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2007年10月31日 (水)

鍋(なべ)の歴史

Imeodennabef
寒くなってきました。
こんな日は家族で鍋を囲んで食べるのが一番ですし、その食卓の光景が一般的になったのは、日本の歴史の中ではそう古いことではないようです。
そもそも昔は、日本も身分制度が厳格であったために、夫と妻、親と子あるいは身分の高いものと低いものが一緒になって食事をすることはなかったようです。
日本の歴史上、鍋料理が登場したのは1643年(寛永20年)の「料理物語」でしたが、その書物によれば、当時は野菜を味噌の上で煮た鍋を炊事場から食卓へ運んで出していたようです。
日本の伝統食品である「かまぼこ」が初めて書物に出現したのが、1115年ですから、それから500年以上も後のことであると考えると歴史は新しいということになります。
その後、熱いものは熱い内に食べるのが一番との素朴な願望から、七輪や火鉢に鍋をかけて材料を煮ながら食べる「小鍋仕立て」とよばれる料理方法が普及しはじめ、「湯豆腐」「どじょう鍋」などが生まれたということです。
鍋の歴史を調べると、江戸時代後期には「桜鍋(馬肉)」「もみじ鍋(鹿)」「牡丹鍋(猪)」などを食べるのがトレンドになっていたようです。 明治時代初期に「牛鍋屋」が相次いで開店し、鍋料理が大衆に認知されるようになったようです。

ミツカンの「家庭における鍋料理のトレンド」によると、なべの中で実施率がもっとも高かったのはおでん(85%)<だったそうです。

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2007年10月26日 (金)

かまぼこは冷凍してはいけない?

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基本的に、家庭の冷蔵庫についている冷凍保管庫で保管することは避けてほしいと思います。 家庭用のものでは凍結速度が遅くて、組織内部で大きな氷結晶ができて、その氷結晶が組織を破壊し、解凍したときに水を組織内に吸収しきれないので、かまぼこがスポンジ化して大量のドリップが生じるからです。 かまぼこの凍結点は水分や、砂糖含量によって違いますが、だいたいマイナス4℃からマイナス7℃くらいです。マイナス10℃になれば、かまぼこの水のほとんどが氷に変わります。従って、マイナス10℃までの冷凍速度が急速であればあるほど、かまぼこ内にできる氷結晶が小さくなります。 小さな氷結晶を作るには、超急速凍結が必要になるのです。
かまぼこのように肉厚の製品を超急速凍結すると、かまぼこの表面がひび割れし、場合によってはかまぼこ全体が割れてしまいます。 水が氷に変わる際にはその体積が約8.7%膨張するので、かまぼこを凍結するとその体積が増加します。 超急速凍結するとかまぼこ表面が瞬間的に凍って、氷の非常に固い殻ができます。 この表面の氷の殻が内部が凍って体積膨張するのを抑えるので、かまぼこ内部に大きな圧力が発生します。
表面の氷の殻がその圧力に耐えられないで壊れると、かまぼこ表面にひびが入ります。ひび割れ防止には中心温度がマイナス10℃になったら凍結を止め、マイナス15℃付近の低温に置いて内部温度を平均化します。そうすると、かまぼこ表面の冷気が内部に伝わって表面と内部の温度差が小さくなるので内圧が大きくならず、ひび割れしないのです。
いったん冷凍したかまぼこは、一般の食品と同様に、貯蔵温度が低いほど品質の低下は遅いのです。かまぼこの足の弱いものほど、貯蔵期間のドリップの比率は高く、弾力が低下してスポンジ化が進みます。 また、みりんをたくさん入れたかまぼこは冷凍期間が長いと保存中に、みりんの中のブドウ糖とアミノ酸やタンパク質が低温でも反応してメイラード反応を起こして褐変が進行する場合があります。 (内容は、『かまぼこの化学』岡田稔著より引用させていただきました。)
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ブラックバスのかまぼこ

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1992年といえば、もうすでに15年も前のことになるが、全国の湖沼に外来生物であるブラックバス、ブルーギルといった外来魚を使ってかまぼこを造る研究をしたことがあっる。
その当時、琵琶湖のモロコやフナ寿司の原料になるニゴロブナなどが、これら外来魚の繁殖により、壊滅状態になりつつあり、琵琶湖から外来魚を間引くことが急務となり、漁獲した大量の外来魚の処理に困った沖島漁協から相談をうけた日本食品開発研究所の故太田社長から、外来魚のすりみ化研究の依頼を受けたのだった。当時、舞鶴ではブラックバスからすりみを製造しかまぼこ造りをおこなう世界初の研究を行ったが、ブラックバスという名前のイメージが悪かったのと、これを使っても付加価値が高まるわけでもないことから、揚げ物を中心に、すこしずつ他の原料すりみに混ぜて製造しはじめた。 しかし、ブラックバス漁獲にたいして国からの補助がつかなくなってからは、沖島漁協からこれらの外来魚が舞鶴に送られてくることはなくなった。
ブラックバスそのものは、白身の魚であり、スズキなどと同分類の生物であり、内臓を除去すれば、それほど臭みもなく、川魚独特の泥臭さも少ないので、練製品に使えなくも無かった。だが、弾力面や、製品の仕上がりから上級の製品への使用は難しかった。丁度、この研究をおこなっていた頃は、ルアーフィッシングの全盛期であった。
当時、幼い息子と家でブラックバスを飼育したりして、いろんな発見をした記録も、私の別のサイトに残している。

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2007年10月25日 (木)

舞鶴にロシアから研修員が....。(その4)

この2枚の原稿は、舞鶴蒲鉾協同組合の実施している各事業の内容のロシア語での説明になっています。
①コンピュータを駆使した購買事業等の事務処理 
②生すりみを共同加工するすりみ事業 
③ふるさと舞鶴便という名称ではじめた通信販売事業 
④組合の教育情報にかかわる事業 
⑤組合員の商品を買い上げて各地で宣伝販売する販売事業 
⑥検査研究事業の順番に説明されているものです。
(※ただし、内容は2001年当時のものである。)
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舞鶴にロシアから研修員が....。(その3)

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このページは、その頃のわが舞鶴蒲鉾協同組合の会社概要をロシア語に翻訳したものです。名称、住所、資本金などといった順番に記載されています。英語であれば、文字を見ればだいたい意味が想像できますが、ロシア語は馴染みが無いので難しそうです。
日本語はページはここを見ていただきたい。(※ただし、ロシア語バージョンのものはあくまで2001年当時のものである。)
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舞鶴にロシアから研修員が....。(その2)

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舞鶴は、城下町であり、”かまぼこ”は舞鶴を代表する土産品として定着し、市内の練製品市場ではかなり高いシェアーを有しているというような内容を、ロシア語に翻訳してもらったものである。

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舞鶴にロシアから研修員が....。(その1)

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2001年2月のことで少し古い話題になるが、舞鶴市の友好都市ナホトカ市(ロシア)より水産加工業に関わる企業幹部などを招待し、舞鶴市の同業者の経営管理、品質管理、マーケティングなど「マネージメント」に関する研修を実施することになった。 当時、市場経済への移行期間にあったロシア、特にナホトカ市の経済活動を円滑化するための一助とし、同時にわが国とロシア、ひいては京都府・舞鶴市とナホトカ市との今後の交流促進に資することを目的として、下記6名の研修生を受け入れたのであった。 当時、私どものパンフレットや履歴書などをロシア語に翻訳していただいたものが出てきたので失ってしまわないうちに、記録を残しておきたいと思った。
若い職員たちが、また、将来、ロシアの方々との交流をする際に何らかの役に立ててくれれば幸いである。

研修にこられた方々は以下の6名であった。
①ルネフ エフゲニー・イワノビッチ/男(47)/(ナホトカ商工会議所副会頭/ナホトカ市水産加工業振興プロジェクト責任者)
②ベトシュキン セルゲイ・イワノビッチ/男(43)/(リブサービス㈱社長/サケマス類漁獲と加工)
③ブイボチキン ビクトル・ワシリエビッチ/男(43)(リブサービス㈱副社長/サケマス類漁獲と加工)
④オルロワ ナターリア・ワシリエブナ/女(44)/(ポセイドン㈱工場長/漁獲、加工、販売)
⑤ルイセンコ アレクサンドル・セルゲエビッチ/男(48)/(DRK株/副社長 生産担当)
⑥ソン ウラジスラフ・ボリソビッチ/男(46)/(クロンベルク㈱社長 海産物加工)
まず(その1)では、かまぼこ、ちくわ、てんぷらのできるまでを図解したもののロシア語バージョンを添付しておく。
(※日本語バージョンは、かまぼこのできるまでを参考にしていただきたい。)
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2007年10月24日 (水)

冷凍すりみも輸入品となった!?

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かつて、かまぼこの原料であるすりみは殆ど国産であった。古くは各地の港で比較的量的に確保しやすかった魚を自社ですりみにして、かまぼこ造りをしていたのであるが、そのうち、前浜の漁が減り魚の確保が難しくなってから、北洋資源で大量に得られたスケソウダラを洋上(すりみ工船)、あるいは北海道の陸上工場ですりみにしたものを急速冷凍して、全国に供給する技術が確立してからは、蒲鉾業界はこぞってそうした冷凍すりみを使用するようになった。 しばらくは大手水産会社がすりみプラントを積み込んだ大型船やトロール船を北洋に繰り出し、船上で冷凍したすりみ化したものを国内に持ち帰り、全国のかまぼこ屋さんに供給していたのであるが、200海里問題が昭和50年代に発生してから、日本のすりみ工船が他国の海域(主に米国海域)で操業できなくなったのである。 それで、しばらくの間は、日本が漁獲できないので海外船に漁獲してもらって、洋上で魚を買い付けてすりみに船上加工したものを持ち帰っていたのである。(これがジョイントベンチャーといわれた方式である) しかし、これもやがて限界となり、大手水産会社は自らのすりみ工船を海外に売却して、海外産の冷凍すりみを商社が買い付けて日本のかまぼこ屋に供給するというスタイルになってしまった。(まさにすりみの輸入がはじまったのである。) そのうち、陸上すりみ工場も海外に出来るようになり、タイ、インド、ベトナム......とすりみの生産国は東南アジアにも広がっていったのである。
このグラフを見ても、この20年で輸入と輸出が逆転してしまったことがわかる。伝統食品かまぼこの原料も、もはや海外に依存しなくてはならない時代になったのである。 食料自給率最低の先進国といわれる日本であるが、お家芸で、国際用語となっている”surimi(すりみ)”でさえも、国内自給率は2割をきっている。

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2007年10月23日 (火)

舞鶴かまぼこの販売エリア

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平成17年に組合が独自で統計調査をした結果を円グラフで描いたものである。まず、得意先業種別にその構成比を調べてみたものであるが、地域の小売店スーパーで6割強を占めている。 かつては生協の扱いが非常に大きかったが、近年縮小傾向にあり、直販、土産物向けの商品が2割近くまで増えてきているのが特徴である。 組合員企業でも、ネットやDMの通販、あるいは地元重視の動きがみられる。

Maizuru_eria
さらに、販売地域ごとにその売上構成を調べてみたものであるが、京都府および兵庫県を近隣地区とすれば、なんと8割強の売上をその地域であげていることになる。 数年前は、卸売り市場、中央市場、生協など県外出荷もかなりの比率を占めていた時期があったのだが、ここ数年は組合員企業数の減少にともない、だんだんと地元に売り先をシフトしている様子が伺える。

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舞鶴かまぼこの品種構成

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舞鶴かまぼこは全体としてどのような品種構成になっているのかを平成17年に統計調査したものがこのグラフである。売上高から見ると、板ものが6割を占める。その次が揚げ物(=天ぷら)であり、両者を加えると85%になる。

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いっぽう、生産量からみると、板ものはてんぷら、ちくわに比して単価が高いこともあり、板ものの生産量は全体の50%以下となり、揚げ物が4割近い生産をしていることがわかる。
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かまぼこ類の生産量の推移

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かまぼこなどの練製品の生産量はこのところ毎年、生産量が減ってきている。その生産量たるやピーク時の6割を割り込む勢いである。 なぜ減ってきたのかについての要因として、これまでは食の洋風化によるものとする意見が多かった。 しかしながら、実際に生産量がピークであった頃と今の食品の種類、あるいは食品を提供する形態や、その場所等の大きな変化を考えると、それだけではないように思う。特にジャンクフードと呼ばれるものから、グルメ希少品まで食品の種類は加速度的に増え続け、分母が増えたことにより単なる選択確率の減少が起こっただけという見方もできるのではないだろうか?同じ練製品の中でも、板かまぼこの生産の落ち込みが激しいが、これは魚のおさしみが日本全国どこの小売店でも揃うようになり、日々のおかずとして、酒の肴として消費されるようになったことも原因のひとつにあげられるのではないかと私は思っている。
それが証拠に”板わさ”という居酒屋メニューも、だんだんと姿を消してきた。 また、和の食とマッチする日本酒が若い人を中心に敬遠されるようになっている昨今を見ていると、和の伝統食品であるかまぼこの生産が反転増加していくことは考えにくい。
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練製品の家計消費の変化

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ここ数年は、練製品の消費にしめる割合は残念ながら漸減しているようである。 かつては1世帯あたり年間消費金額も15000円を超えていたのであるが、統計データにみえる金額からさらに減っており、現在(平成19年)では9000円を切るだろうと言われている。
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家計消費にしめる練製品の位置

Suisanbutu_1999
水産品の中で練製品はどの程度をしめているのであろうか?また、食品全体の中では、練製品の消費はどの程度を占めているのかを示すのがこの円グラフである。 一世帯あたりの消費金額では、1999年の総務庁家計調査の数字をみると、鮮魚をふくめた水産品の総消費は月間、11.5万円程度であるが、ここから鮮魚の分を差し引くと水産加工品には5.2万円消費していることになる。 水産加工品の分野だけでみると、練製品は約20%をしめていることがわかる。 また食品総トータルでみると年間100.6万円消費しているので、家計食費の11%が水産品にまわり、食費全体からすると約1%程度しか練製品の消費にまわされていないことがわかる。ただし、1%を多いとみるか少ないとみるかは判断しかねる。
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2007年10月18日 (木)

東京に出張して.......。

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 先日(2007.4.18~4.19)、地域ブランドフェスティバルに参加し、当組合高野専務と私は会場となった赤坂グランドプリンスホテル(旧赤坂プリンス)に宿泊させていただいたのであるが、この周辺へ出張に来ていただいた方ならわかると思うが、ホテル宿泊客のうちの日本人の比率はかなり低い。日本人だと思っていたら、ほとんどが中国人であったりする。六本木界隈へ繰り出してみても、店の客引きは黒人が多く、歩道はたくさんの大柄な黒人たちが並んでいる。また、店に入っても、白人、黒人、東洋人(半分近くは中国系?)というように国際化が進んできている。 本当に、あのあたりを夜、散策していると、どこの国にいるのかわからなくなってくるくらいである。
話は本題にもどって、日本では、来春の大学生の求人倍率は16年ぶりに2.14倍となるそうであり、これはバブル期のピークを上回り、過去最高であるということである。
一方、オリンピックや万博を控えた隣の中国では、バブル経済の様相を呈していることから、日本以上に就職率が高く加熱してるのではないかと思ってしまうが、現実には厳しい就職難に突入してるようである。
人民日報の「就職発展計画調査」によると、大学卒の希望初任給は日本円で23000円となっているが、同じ大学の1年生の希望初任給は46000円となっている。 現在の高校生でも、希望初任給は43000円と回答しているらしい。このように希望との落差が非常に大きいことが、就職に際しての抵抗となっていることも事実のようである。幼少期から「有名大学を卒業すれば将来は明るい」と両親や学校に教えられて育つ一方で、企業は即戦力を求める傾向から、もはや大学資格だけでは就職できない時代を迎えているようである。
しかも、低年齢層の失業率は、失業者全体の約7割近くを占めているらしく、国家推進の「4050工程」(女性40歳以上、男性50歳以上の失業者の再就職を支援する制度)そのものが低年齢層の失業者を増加させているそうである。
世界最大の人口を有する中国では、都市部での求職者が増えすぎてパンク状態となっている今、今日のグローバル化の下では、中国国内にとどまらず、海外への移動を生む可能性が大である。 プリンスホテル内のお客の様子を見ていると、もう、その流れがはじまっていうのではないかとさえ感じてしまうくらいであった。
 日本も今ではまだ、限定的開国政策をとっているが、将来、就労人口の減少が避けられない日本が、開国政策に転換したとしたら………中国に生活基盤のある人が来日すればいいが、アウトサイダーの来日が増えれば、また犯罪多発に悩む都市、東京という姿も見えてきて心配だ。
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2007年10月17日 (水)

舞鶴かまぼこと機械(その9)

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最終包装にはいろんな役割があります。舞鶴では、どの商品も人手がなるべくかからないように自動包装機で自動包装されていきます。 包装には、まず、包装することで商品を大気、環境中のバクテリア等の汚染からガードするという役目があります。 また、商品の水分が蒸発するのを防ぎ、みずみずしさを保つ役目もあります。 そして、消費者に関心の高い原材料表示や賞味期限などの重要な表示を的確にすることが、この包装フィルムなどに求められています。(昔は、どちらかというと表示よりも、デザインであるとか、陳列した商品の差別化という意味が強かったようです。)
さらに、商品は金属検知器や、重量チェッカーなどを通して異常がないことを確認してから箱詰め、出荷されていきます。
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舞鶴かまぼこと機械(その8)

製品は温度をあげたあとは、冷却しなくてはなりません。 それは、その後の商品の日持ちを向上させるための工程なのです。
昔は、冷却が不十分であったため、商品は、腐敗しやすかったのである。
夏場になると、朝造って店にかまぼこをだしていたら、夕方には腐り始めていたそうであり、そのために、昔は夏場だけかまぼこの表面を焼いてから店に出すようにしたのだということをある老人に聞いたことがある。 現在の蒸し焼きかまぼこ(焼きかまぼこ)は、むしろ夏場の日持ち対策からうまれた商品だったようである。
しかし、現在はまるで逆になり、衛生技術が進歩し、通常の蒸しかまぼこは生のうちに包装してから蒸しあげるので細菌による二次汚染の影響がなく、はだかで蒸してから表面を焼く「焼きかまぼこ」よりもずっと日持ちがするようになったのである。
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舞鶴かまぼこと機械(その7)

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板かまぼこは蒸し器にいれて蒸しあげます。舞鶴かまぼこはいきなり蒸さずに、40度前後の温度でしばらくむらしてから、一気に蒸しあげます。 これにより、心地よい弾力が得られます。 また、蒸し焼きかまぼこというのは、いったん蒸しあげた蒲鉾の表面をガスや電熱で焼いて焦げ目をつけたものです。
ちくわはガスシュバンクのついた長いラインを棒にまきつけられた状態で、ころころと転がり、数分かけて焼きあがります。
揚げかまぼこ(舞鶴では天ぷらといいます)については、160℃前後の菜種サラダ油の中に投入されて、数分間、表面がキツネ色にあるまで揚げていきます。
左から順番に、かまぼこの蒸し、てんぷら揚げ、ちくわ焼きの工程の画像を添付しました。
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舞鶴かまぼこと機械(その6)

写真が成型機です。左から、かまぼこ用成型機、ちくわ用成型機、てんぷら用成型機ということになります。そうして成型されたものは、蒸す、焼く、揚げるなどの処理をおこないます。
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舞鶴かまぼこと機械(その5)

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こうして、できた生すりみは10キロづつ袋につめられて、舞鶴のかまぼこ屋さんに毎日配送されていきます。 舞鶴のかまぼこ屋さんでは、すりみをこのサイレントカッター、や石うすですりあげます。 塩を入れることにより(総魚肉比率で2%程度)魚肉が糊のように粘り気をもち、なめらかになっていきます。
かまぼこは、この塩によって塩に溶ける蛋白を溶かしてできるため、たんぱく質が身体に吸収されやすくなります。(かまぼこは消化がいい食べ物です)
また、そこにほどよい味付けと、色艶をだすための調整(みりん、卵白といったものを加え)をして練り肉を仕上げて行きます。それから、いろんな商品の形にしていきます。もちろん、それぞれの製品により使用する原料魚や等級は異なっています。
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舞鶴かまぼこと機械(その4)

魚の身を洗うことによって、血合いなどのはいっていたピンク色の身が真っ白の身に変わっていきます。 何も知らない人が、かまぼこは漂白剤をつかって色を白くしているんだなどという根拠のないことを流布したことから、一時は、このかまぼこの色の白さが問題視されましたが、かまぼこを製造するためには、アシ(弾力)を落す原因となる油脂分を取り除く工程が必要であり、これが、また、魚肉の色をつけていた血合いなどの成分も水で除去していたから、できあがりのすりみの色は白くなっただけのことです。
写真は、こうして洗い終わった魚の身をほどよい水分値まで絞る機械です。スクリュープレスといって、ドリルの親玉のようならせんが出口にいくにしたがって間隔が密になり、そのスクリューの間を通っていくうちに圧縮されて水が染み出てくるという仕組みになっています。

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舞鶴かまぼこと機械(その3)

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画像は採肉機といって、人によって頭と内臓を取り除いた状態のものから、魚肉と皮、骨を分離する機械です。 穴が無数にあいたドラムに魚を押し付けて、魚肉はドラム内に押し出されて、ドラム表面に皮、骨が残ります。 表面をかきとったものは、また、エキス調味料の原料として保管されていきます。 舞鶴蒲鉾協同組合の研究によりエキス調味料が開発されてから、この魚の残さいのうちの頭、骨皮についてはすべて再利用されるようになり、できあがったエキス調味料は、再度、舞鶴かまぼこの味付けに利用されているのです。
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舞鶴かまぼこと機械(その2)

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舞鶴では、特製蒲鉾の原料としては、シログチという魚がメインとなっています。この魚は地元ではほとんど獲れませでしたから、以西底引きが盛んであった九州方面からトラックで運んできていました。 最近では、九州(主に長崎)も日本船だけでは量が確保できなくなっており、中国船からの浜での買いつけもおこなわれています。
シログチは、かまぼこの弾力をつくるたんぱく質の能力が非常にすぐれている魚であり、少々鮮度が落ちても、ある程度、ゲル形成能力を失わずにいていれる魚です。
現在、舞鶴では、タラ系の北方産の魚の冷凍すりみや、イトヨリ系の南方の魚の冷凍すりみとこれらの生すりみをミックスしてかまぼこの製造しています。
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舞鶴かまぼこと機械(その1)

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舞鶴かまぼこができるまでの概要を少し述べて生きたいと思う。しばらくこの話題をシリーズ化していこうと思うが、せっかくなのでそれぞれの工程で活躍している機械なども画像で紹介していきたいと思う。
最初に魚ありきというのが本物のかまぼこです。じゃあ嘘のかまぼこがあるのかといえばそういうわけではありませんが、冷凍すりみが開発され、それを主に蒲鉾屋さんが使うようになってから、蒲鉾屋さんが魚のことを考える必要がなくなったのです。(現に、舞鶴以外のかまぼこ工場内では鮮魚の姿をみかけることがほとんどなくなりました。)
かまぼこ屋の原点は、まず昔は、その扱う原料魚の鮮度や種類の目利きだったのです。 魚の頭と内臓と骨皮を取り除いて、魚の身だけにして、それを水で洗って脂肪を分離して取り除き、最後に脱水をしてできあがったものを舞鶴では生すりみと呼び(実際には晒し落し身の状態です。)それが特製かまぼこの原料となります。
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2007年10月16日 (火)

韓国かまぼこ企業との交流記(その12)

■いよいよ韓国をあとに
翌日はまた、リーさんがホテルまで迎えに来てくれて、空港まで送ってくれることになっていた。 昨日の話では今日は韓国は祝日で休みだということだったので、休日にわざわざ遠い仁川空港まで送らせるのは大変気の毒に思っていたが、空港バスの乗り場で空港までの切符を二人分用意してくれて、そこで見送ってくれることがわかり、ちょっと安心したのであった。 あとは中塚氏と二人だけで日本に帰るのだ。
バスを待つ間も、中塚氏がリーさんと色々と英語で喋っていた。あとで聞くと、今日は韓国のパトリオットデイ?だそうで、私たち日本人は韓国にいない方がいい日のような気がしていた。
空港までのバスの中で、韓国のテレビ放送をしていたが、やはり韓国では国をあげて愛国の祭典が行われていた。韓国の軍隊の祝砲の後、ノムヒョン大統領が国立墓地で墓に献花をしている姿が映っていたり、韓国市民の子供から大人までが墓の前でお供え物をしたり、頭を地面にくっつけて先祖の霊に祈りをささげている姿が映し出されていた。
 
※顕忠日(殉国者慰霊祭)
 独立運動の功労者や祖国のために戦った人たちへの敬意を表する日。太極旗(国旗)を弔旗掲揚します。元々は、朝鮮動乱(南北の戦いで40万人亡くなっていますので、そのための慰霊祭だったようですが、その他全ての殉国者に敬意を表するようです。ちなみに8月15日は光復節(開放記念日もしくは独立記念日))

中塚氏が「日本では建国記念日があっても、最近では、何の休日かわからない人々も多く、テレビでは右翼と左翼がめいめいのことを言って激論している風景が見られる程度なのに韓国はこうして国民全体の行事になってるんだなあ」と感想を漏らした。
すでに日本では、広く国のために戦争で命をおとした先祖の霊を敬うというようなこともしなくなっている
 右でも左でもないが、よその国に来ていると日本人は国という中での一体感をなくしてきているように感じてしまう。 平和でいいのであろうが、その平和のなりたちに感謝したり、過去を見つめなおすというようなことを全くしないようになっている。 何か間違っているような気がしてならない。
そして、今回、数日あるいは数時間の観察の中でも、韓国の儒教精神か…….年配者を大切にして敬うという良い部分も強く感じたし、日本人が忘れている本来の人の優しさのようなものも感じることができた。 韓国がすべてよいとは思わないが、確かにこの国に来てみるとかつての日本人も持っていたはずの美しい人の心を感じてしまうことも多かったのである。 <古い日本人かく語る!>

(帰国後調べると、この日は旧占領下から開放された記念に制定された日であるということです。よくも悪くも日本と韓国の間はとても深いつながりを感じます。)

さて、インチョン国際空港に到着し、お土産を買って帰ることにしたが、思えば舞鶴を出てからこの時まで、一円のお金も使っていないことに気がついた。 ありがたいことに韓国では、交通費、宿泊費、食費などすべての費用を㈱東遠に負担していただいたし、終日、工場にカンズメになっていたから、当然といえば当然のことであった。

■やっと開放感……で、関西空港での祝杯
帰りはANAの飛行機で日本に帰ったのであるが、さすがに機内ではアルコールが欲しくなり、ビール、ワインを飲み干し、さらに、関空に到着してから、特急はるかの出発時間までの1時間半、レストランにはいり、帰国した戦友中塚氏と二人で今回の出張の打ち上げをした。
久しぶりに味わう日本酒の味………日本人に生まれてきてよかった!<日本国万歳!>

韓国はいろんな過去の問題があって、感情ももつれなどは依然、底流に渦巻いているので、これまでは私のイメージでは、最も近くて遠い国になっていた。
だが、今回、行ってはじめて、これから人的交流、技術交流の必要性があることを痛感するとともに、身近に感じるようになった。
原料問題…….品質管理の問題も含めて、今度、両方に利益のあることを考える素地ができてきたように思う。再び招待されるようなことがあるかどうかは別として、これからやれることが多いような気もしてきた。
京都駅で中塚氏と別れて、山陰線に乗ると、また、電車が二条駅で止まって動かなくなった。(信号の非常停止ボタンが押されているので調査中です。今しばらくお待ちくださいというアナウンス…..。)
もう、何時間遅れても、空を飛んでいるわけでもないし、ここは日本だし、もう安心と思ったとたんに、関空でしこたま飲んだ酒が効いて、また睡魔に襲われたのであった。        (おわり)
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※ 招待していただいた韓国企業にご迷惑をおかけしないために企業名や工場名は公表しませんでした。

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韓国かまぼこ企業との交流記(その11)

■ 韓国企業の役員たちと二次会にいくことになった。 
今夜は役員も来ているので、二次会はどんなところへ連れて行ってもらえるのだろうかと少し期待もしていたが、結局、日本でいうところの部屋の広いカラオケボックスのようなところに連れて行ってもらった。 しかも、役員たちは一曲歌うと、「明日は出張しなければならないので、これでお別れです」と言って、全員去ってしまった。
役員たちがいなくなると、工場スタッフたちはすごく開放的な顔つきになり、どんどんと歌を歌い始めた。 若いスタッフがハングルで歌を歌う中、横に座っていたキムファンギ氏が「日本語の歌もあります」と言って、日本語の歌のページを開いてくれた。
カラオケの部屋は薄暗く、老眼の私には細かい文字がほとんど読めず、何曲か選んで歌ったが、韓国チームをはじめ中塚氏がほとんどカラオケ点数…..100点だったのに、私だけが90点台で一度も100点をとれなかったのが悔しかった。でも、まあ、みんなに花を持たせたのはよかったと思うことにした。
最後はトリを私が歌うことになり、選んだ曲がなんと“お富さん”だった。 実はカラオケ本に書いてある文字が見にくくて、お富さんという字だけがカンで読めたからである。 
韓国へ来て、最後に“お富さん”を歌って帰るとは夢にだに思っていなかったのである。韓国の工場スタッフが全員起立して、歌にあわせて手拍子を打ってくれた。 
最後の夕食会、懇親会を終えて、ホテルまでは、工場スタッフのソク課長、キムヨンホ工場長、キム通訳、リー案内役の4人に送っていただいた。 明日の朝迎えにきてくれる予定になっているリーさん以外の人とはこれでお別れである。 ホテルの玄関で別れる際に昨夜、ソクさんから教わった韓国語で「アニョイ ケーセーヨ(さようなら)」と言うと、ソクさんがほほ笑んで「グッバイ、さようなら」と英語と日本語で代表して別れの言葉を言って握手してくれた。
部屋についたとたんに酔いがまわってきた。やはり、韓国焼酎は飲みやすいが、あとからどんどんと酔いがまわってくる。 ハーフカンペーでよかった…….とつくづく思って、風呂にはいってからベットにはいって熟睡した。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その10)

■ 二日目の夕食会へ(韓国企業の役員同席にて)
これで、ほぼ今回の出張の役割のほとんどが終わった。す~っと緊張感が抜けてしまい、何となく明日、日本に戻るのだと思うとハードな時間であったにもかかわらず、逆にさみしさがこみあげてきた。
本日、見事な通訳をしてくれたキムファンギ氏が、流暢な日本語で「今夜はこれから、伝統的な韓国の家庭料理を楽しんでいただけるところに案内します。 また、食事の場に弊社の取締役が出席することになっています。」と案内してくれた。
また、会社から車にのせてもらっていったんホテルに商売道具のパソコンなどを置いてから身一つになって、取締役らの待つ宴席に向かうことになった。 写真はその途上で自動車の窓から撮影したものであるが、韓国のガソリンスタンドのガソリン価格がわかってもらえると思う。 ウオンで表示されているので、交換レートである約7.7で割ると日本円にしてリッター200円程度になる。日本は現在リッター135円~140円あたりだと思うので、韓国のガソリン代はかなり高いということになる。
さて、取締役が待つ夕食会の席に車が進むにつれて、また新たな緊張感がうまれてきた。
はたして、今回のわれわれのコンサルティングの様子が工場スタッフを通じて、役員たちにどのように伝わり、理解して歓迎してくださるのかどうか?という点であった。
ただ、やるだけのことはやったし、これでお役御免になったらなったで、それで元通りでどういうこともないじゃないかというすっきりとした気分にもなっていった。
夕食会場のレストラン?の2階にある別室に案内されていくと、そこに、すでに役員の方々が4人ほど座っておられた。 私たちはその4人の前に座らされ、あとは日本チームの横に通訳をしてくれているキムヨンギ氏が横に座ってくれて、私たちの言葉を逐一、役員に伝えてくれることとなった。
まず、役員を代表して、キム氏の歓迎挨拶がはじまった。 何を喋っているのかはわからないが、彼の喋る顔をじっとみつめながら、真剣な顔をして聞いていた。 あとで我々の日本語に直して通訳してくれたのを聞いていると、どうやら歓迎してくれているようだったので安心して、今度は礼儀だと思って自発的に私からも挨拶をした。
その挨拶の内容は、基本的には、今回、韓国に招待していただいたことのお礼と、スタッフの心のこもった温かいもてなしに感謝することと、隣国で同業者の皆さまと技術交流をおこない、共存共栄をはかっていこうという内容で、最後に夕食会へのご招待の御礼を述べた。
さて、ビールで乾杯したあと、どんどんと豪華な料理が運ばれてきて、特に刺身が出てきたのでうれしかった。 魚種は、ヒラメ、イサキ、タイと思ったが、このとき、醤油とわさびが出てきて驚いたが、これは私たち日本チームのための特別の計らいであったことを知った。 しかも、わさびは私たち日本人からすると、「これはわさびではない。」と言いたくなるようなシロモノであった。 濃緑色の絵具のような外観で、わさびのフレーバーが入っているが少しも鼻にツンとこない偽わさびであった。
 しかし、ここ韓国で私たちのためにこういった心遣いをしてくださっているのは、とてもありがたいことだと痛感した。
また、途中で役員が私に東遠のかまぼこ製品の品質はどう感じたかと質問してきたので、私は「文化の違いということもあり、韓国マーケットでの良い品質と日本での良い品質の違いがあるのかもしれませんが、今日、試食させていただいた御社の製品は残念ながら私の口には合いませんでした。」と答えておいた。
 すると、通訳係のキムさんが、カバンの中から工場を出る時にカバンにいれた試食の残り物の特製蒲鉾の焼板をとりだして、「お土産にいただいたミスター辻のカンパニーの製品です。」と役員に報告した。 すぐに役員が、それを切って食べさせるように店の人に命令し、ナイフが出てきた。そこで、今度は私がかまぼこの板の外し方を全員の前でもう一度、披露すると、工場で中塚氏がやったときと同じような「オ―」という歓声が湧き起こった。
<この芸は韓国で大受け!>
しばらくして、舞鶴の特製焼きかまぼこを食べていた役員の一人が「スケソウダラの味を強く感じる」と言い。工場のソク課長が「ちくわの味に似ている」と言っていた。
塗板があればよかったが、工場の試食会で全部食べられてしまい、焼板だけが残っていたので、少し残念であった。
 今日一番の上席であるキム常務が、もくもくと特製焼き板を食べ始め、ひとりで全部食べてしまうような勢いだったので、中塚氏が「キム常務、せっかくですので他の若いスタッフにも食べさせてやってください」と言うと、彼は笑って板ごと若い韓国人に渡して食べるように指示していた。<中塚先生!あんたは強い!>
 韓国の家庭料理ということで、昨日、工場スタッフに御馳走になった料理の味と似たような料理がまた、豪華盤になって出てきたが、最終には焼き魚のようなものが出てきて、これをみて思わす「グチだあ」と叫んでしまった。
 「これは私たちが高級かまぼこに使用している原料魚の一種です。」と通訳を通じてあちらの役員たちに説明した。
 そうこうしている内に、役員たちが韓国焼酎をお茶で割って呑み始めた。 あいかわらず工場スタッフは酒をあまり口にしない。(韓国では上役の前ではあまり呑まないのが礼儀らしい)私たちにもカンペーをするかどうか聞いてきたが、せっかく韓国に来たのだし、仕事はもうほぼ終了し、明日は日本へ帰るだけとなっている安心感もあり、少しだけいただくことにしたのであった。
 すると朴(パク)常務が「ミスター辻はいつ生まれたのか?」と尋ねてこられたので、即座に「1955年です」と、これは英語で答えた。 すると、にやにやと笑いながら、キム常務が「あなたの履歴書を拝見して、あなたが私と同じ年であることを知っていた。」と言われ、手を伸ばしてこられ、握手を求められ、それからは同い年ということで、急に態度がやわらかくなってきて、将棋の歩がいきなり敵陣に入って、いきなり金に成ったような雰囲気だった。
「カンペーを少しだけやりますかな?」とキム常務が言ってきたので、まあ、仕事も終わったし、開放感で韓国焼酎をコップにうけることにした。 途中で、なんだかカンペーをもっとやりたい気分になり、半分ほど空いたキム常務のコップに韓国焼酎を注いでしまった。 横にいた通訳のキムさんに「韓国では、飲み干していないコップに酒を注ぐことはとても失礼な行為ですよ」と言われて、文化の違いをここでも感じてしまった。
 実は、朴常務を通じて、中塚氏も辻氏も酒はあまり呑めないのでほどほどにしてやってくださいというメッセージがあらかじめ韓国側に行っているせいもあり、キム常務は気遣ってくださり「おいしいけど飲みすぎると後がしんどいですから、カンペーでなくてもハーフカンペーでもいいよ」と言ってくれ、私たち日本人はしばらく、ハーフカンペーを繰り返した。
(※カンペーをすると。毎回、杯はかならず全部飲み干さなければならない。)
本当は、昨日から、酒を飲みたいのに飲めないフラストレーションがたまっていたので、私はカンペーでもよかったのであるが、とりあえず、半分だけ残すことで酒酔いの負担を軽くしてくださった常務には感謝をした。 
 そこでの夕食会も最後は、私とその日の最高上席のキム常務のツーショットでの記念撮影ができるほどまでになごやかな雰囲気となって終了した。

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韓国かまぼこ企業との交流記(その9)

■ 激論バトルは続いたのだった。
その後もディスカッションをし続けて、やがて午後7時に近くになる頃には、疲れてきて、集中力がなくなり、相手の質問も、頭にはいらなくなり、質問の内容を聞きなおすというような状態になってしまっていた。
彼らもタフであるが、日本チームもタフであった。キムチパワーVSサシミパワーというような別の意味での闘いであった。 さすがに韓国スタッフも最後には、顔に疲労の色がではじめて、お互いに限界の時間に達したようで、最後は商品の試食をすることになったのである。
 私がお土産に持参していた舞鶴かまぼこも、冷蔵庫から出していただいて試食してもらうことになった。 これはわが社の特製のかまぼこで、日本円で約500円/枚します。と言って彼らに食べさせたのである。 おいしいですというスタッフもいれば、おいしいのかどうかよくわからないというスタッフもいた。
韓国企業のカニ製品もすべて試食したが、日本のカニスティックと比べると、繊維感が少なくカニのフレーバーが弱く、味が甘すぎるように感じた。 日本チームの二人もこのころになると遠慮もなくなり、「食感が悪い」「味が甘すぎる」「かたすぎる」など言いたい放題に言っていた。
おもしろいことに、舞鶴かまぼこを韓国スタッフがナイフでカットしようとしていたときに中塚氏が割り込んで、例のかまぼこの板から上手に身を剝す方法(包丁の甲を押しこんできれいに剥がし取る方法)を韓国人に伝授すると、これが意外に大受けして、韓国スタッフが「おお~」と言ってどよめいたのであった。<芸は身を助ける!>
最後に会議のしめくくりとして、私に総括してほしいと通訳のキムパンギ氏からの要請があり、このように挨拶した。
「本日は長時間にわたり、有意義なディスカッションをしていただき誠にありがとうございました。 また、見させていただきました皆様の工場のレベルは、日本のかまぼこ企業のそれと比較しても遜色なく、日ごろの皆さまの品質向上のご努力に敬服いたしました。 皆さまにとって私の本日のアドバイスが本当に役に立てたのかどうかはわかりません。 しかし、今、日本では人口減少がはじまり、消費のパイが減少しつつある中で、コストだけを考えた商品造りをしていたのでは、将来、企業としての存続が危ぶまれるところとなります。 私どもも含め、お互いに少しでも商品の付加価値を高めてゆくような努力をしていくことが重要だと思います。 私たち日本の隣人である韓国の皆さまとも、これを機会に交流を深め、お互いに切磋琢磨し、共存共栄を目指していきたいと思います。 最後になりますが、この二日間、皆さまに非常に親切にしていただき、お世話になり、近くて遠い国だった韓国の皆さまがたいへん好きになりました。本当にお世話になりあらためて感謝申し上げます」
これを、キム氏が韓国語に翻訳し終わると、周りから拍手が沸き起こった。気持ちが通じた……..という満足感でいっぱいになった。<おめでたい日本人!>

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韓国かまぼこ企業との交流記(その8)

■ ●●工場研修室でのプレゼンテーションと激論バトル
昼からは昨日と今朝、私たちと工場スタッフが対面して座った3階の研修室のような場所に移動して、いよいよ、本命のディスカッションが始まった。
工場を視察しての感想と意見をまずのべていただきたいということだったが、最初の製造工程の段階であれやこれやと議論が進み、今日一日ではとても終わらないので、これも途中半端で終わり、今度は㈱●●の会社案内がスクリーンに映し出された。
見ていると、清涼飲料水、キムチ、缶詰め、レトルトパウチ食品、水産加工品、ハムソーセージなど、ありとあらゆる食品の製造をしているばかりか、ファイナンス会社や、漁業会社まで一体化した化け物のような大きな企業体であることがわかった。
映像を見ながら、「まさに味の素(日本最大の食品企業)がかまぼこを生産しているようなもんだなあ」と中塚氏がつぶやいたが、まさにそのとおりであった。 私にしてみれば場違いのところへ来てしまったような気もしていた。植木等の「およびでない!こりゃまったあ、失礼しました」のギャグが浮かんできてしまった。
これが終わると今度は日本の練製品市場の説明をこちらがすることになった。あらかじめモバイルパソコンに入れて用意してきたパワーポイントで説明をした。
日本市場における蒲鉾の位置がわかってもらえたのかどうかは定かでないが、日本での生産規模がかつての100万トンから60万トン程度に減っていることを指導にきた国の人に語ることは少し複雑な思いがした。
その後は、原料関係の彼らの質問を中心にいろいろとディスカッションを行い、練り製品の品質についての議論を深めたのだった。 検査室のスタッフも来ていたが、いずれも分析技術だとか新技術に対する知識はハイレベルだったが、どちらかというと魚肉に対する基礎技術だとか、原料副資材に対する素材と品質の相関などの点が欠落しているように思えた。 機械や最近の流行は金があれば、ある程度は買うことができるが、底にある伝統食品としての技術の蓄積や、魚本来の技術的なベースがないと、砂上に積み上げられた楼閣のようなもので、いつか失敗してしまう。
私は特に、このことを彼らに伝えたく熱弁をふるってしまった。<情熱的な日本人!>
結局、彼らの目指している品質と私が目指している品質には大きな開きがあり、そのことをお互いに認識しあえるまで、1時間以上にわたって議論していたように思う。
 2時間くらい発表、議論、質問、応答などを繰り返すと一回休憩して、屋上でタバコを吸いながら(本当はいけないのだが、屋上の一か所でのみタバコを吸うことを工場長が特別に許可してくれた)雑談をする。
 いろんなことを聞いたが、「今年は中国からの黄砂が日本にも頻繁に飛んできて、空が黄色くなることが多いが、ここソウルはもっとひどいんでしょうね」と質問すると「ここからチンタオ(青島)まで飛行機で40分しかかからない距離だ。近い分、被害は日本の比ではない。黄砂が舞い上がると、子どもたちは家から外へ出せなくなる。」という答えがかえってきた。また、「最近、ここソウルにも中国からの観光客が増えてきて、たくさん金を落としてくれるようになっているので、中国はいい面と悪い面と両方あってなかなか正面きっては言えない面もあるのだ」とも教えてくれた。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その7)

■ ●●工場へ技術指導にはいる。
我々には守秘義務が生じているため、工場内部の様子をこのブログに掲載することができないので、あえてその部分はカットしておきたい。
■ ●●工場での昼食を社員食堂でいただく。
工場視察は、こうして色々と現場での意見交換をしながら、上の階へ進み、揚げかまぼこ(てんぷら)、かまぼこライン、ソーセージ製造ライン、クリーンルーム、包装場などをくまなく視察し、予定通り午前中に終わった。
 工場視察の中では、数多くの指摘をしたし、彼らからの質問も多く、中には即答できないことも多々あった。
また、今回、デジカメを持参してきてはいたが、前日に中塚氏と協議をして、相手方のノウハウの機密保持という意味合いもあり、(彼らから見ると韓国内の他社企業に、自分たちの情報を提供してしまう危険性もあるわけで、)デジカメは工場内に持ち込まないことにしたのだった。
まして、今回は視察ではなく、あくまで現地指導であり、指導する側がカメラで撮影してまわるというのもおかしな話であった。 相手は日本人でないのだから、何があとでおこるかわからない。(君子危うきに近寄らず)
そこで、昼休みとなり、私たち日本チーム二人も、社員食堂で、現地のスタッフが食べている昼食と同じものを食べることになった。 昨夜、訓練をうけたから、辛い料理には多少慣れてきたし、工場の視察の中で、工場スタッフとかなり会話ができたことに自信ができて、おなかが急に減ってしまい、途中で辛さにむせながらガツガツと食べてしまい完食してしまった。でも、辛さにむせていたとき、横に座って食事をともにしていたソクヨンハ氏が、韓国のティッシュのようなものを数枚とって、私の食器の横にそっと置いてくれた。 無骨だが、本当の男の優しさを感じてしまった。

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韓国かまぼこ企業との交流記(その6)

■韓国最初の夜、RSホテルに泊めていただいた。
ホテルは日本のビジネスホテルクラスでは考えられないほど広く、風呂も大男である私が手足を広げても十分に余裕があるような大きさで、ジャグジーも装備されていて、朝から腰痛で悩んでいた私にとっては、本当にありがたかった。
おそらく、このホテルの中でも一番いい部屋を用意してくださったのではないかと思うほど、すばらしく広い部屋であった。部屋は3区画になっていて、風呂をでると、大画面の液晶テレビが壁に設置され、大きなダブルベットがあっても他に充分に走り回れるくらいのスペースのある広い寝室区画と、さらに、黄金色の格子で区切られたの隣の区画には、大人がゆっくりと2人腰をかけれるような座椅子と、机、それにインターネットに接続された最新のパソコンが設置された机が別に設置されていた。
パソコンの操作しながら、アイコンのハングル文字がもの珍しく、持ってきていたデジカメでモニター画面を記念撮影した。私のビジネスでの出張経験上、こんな豪華な部屋に宿泊したのははじめてだったと思う。 韓国の大企業に日本から招待されて、自分にはこれだけ期待されているんだと思うと、またプレッシャーのようなもので胸がしめつけられるのだった。
それと同時に、もうここまで来てしまった以上、引き返せない。明日は、これまで食品の技術畑で20年以上歩んできた自分の経験と知識を信じてやるしかない!わからないものはわからないと言えばいいじゃないか!、なるようになるさという気持ちにも変化していった。 普段は寝付きがよくて、いったん寝ると朝まで目が覚めない自分であるが、ビールをいただいてほろ酔いだったにもかかわらず、この日だけは、緊張していたのか、夜中に何度も目が覚めて、午前4時から目が冴えて眠れなくなってしまった。
 
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韓国かまぼこ企業との交流記(その5)

■工場から、最初の夜の夕食会へ向かった。
とりあえず、話し合いがまとまったのが午後7時ごろで、いったん夕食をとることになり、私たちは車2台で店に連れて行ってもらった。
そこでも、いったんホテルまで送っていただき小荷物を置かせてもらって、店までの送り迎えをすべてしてもらい、まるで殿様のような気分であった。
彼らとの夕食は、プルコギを食べに連れて行ってもらうことになり、韓国の辛い料理への挑戦!ということで、日本ではあまり食べることのできない韓国の“古漬け?キムチ”“白キムチ”“白キムチを油でいためたもの”“青とうがらし”“ニンニク”“韓国バージョンの味噌汁”“コンニャク?(日本人ならコンニャクとは思わない寒天のような食感)”…………中塚氏は韓国味噌汁が美味しいとスープをすすっていたし、わたしは白キムチを揚げたものが気に入って食べた。いろんな物を美味しい焼肉と一緒に食べさせていただいた。むろん、私たち日本チームはタレは一番甘口にしてもらっていたのだが、特に生の青唐辛子と生ニンニクを韓国の味噌につけて葉野菜でくるんで食べると、口の中が火事になりそうだったので、思わず“fire!!(ファイヤー)”と叫んで、韓国の工場スタッフたちに笑われてしまった。
その日の夕食は、キムとさん(工場長)とソクさん(製造課長)とリーさん(研究員)と私たち日本チーム2人の5人での夕食会となった。 特に工場長のキムさんは、辛いものに辛い調味素材をつけて、平気な顔で食べておられたので、思わず“あなたはホットスパイスのチャンピオンだ!”と英語で言うと、笑いながらどんどんと辛いものを口に入れておられた。
料理は出てきたが、スープの器は日本チームである我々の前に2つしか出てこず、韓国の人たちの分はどうなのだろうと思っていたら、彼らがめいめいに手をのばして、私の目の前のスープの中にスプーンを入れてそれを口に運んでいた。 どうも韓国ではひとつのスープ皿はみんなですくって食べるのが普通なのではないかと思った次第である。 
また、韓国のハシはすべて真鋳かステンのような金属製なので、ものをつまむときは指に力がはいり、先が丸くできているので、細かいものやうすっぺらいものだとどうもうまくつかめなかった。 生の韓国海苔をはがして少し焼いて水分を飛ばしてから食べるのであるが、我々がやると、焼きすぎたり、生焼けだったりとうまくいかなかった。やはり慣れはこわいもので、韓国の人たちは上手にハシをつかってすばやく海苔を焼いて口に入れていた。 日本人は辛さとハシの使い方で韓国人に負けた!!
やっぱり、ハシは日本の木製でできた、角型の先の細いハシが一番だ。 
彼らの運転で来ているからか、ビールもあまり飲まないので、思わず「韓国では飲酒運転は罰せられるのか?」と聞くと「罰せられる」と答えた。
聞いてみると、日本ほど罰則は厳しくないようだが……..あまりビールは飲まない様子であった。 客人をもてなすときは、自分たちは、あまり飲まないのが礼儀といった風習があるかのようだった。 食事会をあとにして、二次会に向うことにした。車の中でいろいろと雑談をしていた中で、私が「“チャングムの誓い”というドラマを日本で全部見て、主演女優のイ・ヨンエのファンになったんですよ。」と中塚氏に英語でキムヨンホ工場長に伝えてもらうと「イ・ヨンエは私の友人の妹と同級生ですが、学校時代は手のつけられないほどの不良少女だったんですよ」と語られた。<聞かなければよかった……..。でもよくある話>
 その後、二次会では、ガラス貼りの地ビール工場の広いホールに入って、おすすめの地ビールをジョッキーで1杯ずつ飲んで、午後10時頃にはまた、ホテルまで連れ帰ってもらった。
二次会では、お互いの生活や、文化の話で盛り上がった。中でも韓国では子供への教育費の比率が非常に高いらしく、(普通のサラリーマンでは2人子供を育てるのは経済的にそうとう大変そうだ。)かつての日本の受験戦争のような状況になっているらしいということや、城南工場の近くのマンションでも、5000万円するというようなことを聞いた。まさに韓国はかつての日本のバブル期のような状態なのかもしれない。
しかし、この会社、工場長でさえ年齢は30歳後半、リーさんも33歳(未婚)だということもわかり、(ソクさんもおそらく30歳代だろう)本当にこんな若い人たちに、今日のようなことに対するマネージメントを任せる会社が日本にどれほどあるだろうかと考えさせられた。
特にリーさんは研究員だが、日本へは機械の買い付けに行って、数千万円の買い物をして帰ってくるらしい。 日本では、30歳そこそこの社員に海外へ数千万円の機械の買い付けに単独で行かせる企業は、商社でもない限りおそらく皆無に近いだろう。
翌日、日本の大手が出ている新製品の製造機械の情報を日本人である我々よりも先に入手して持っていることを知ったときには驚きを隠せなかった。
中塚氏も初日は、空港でリーさんと会ってからずっと、英語で喋っており、私が喋るニュアンスを伝えることの難しい日本語を、韓国のスタッフのために英語に翻訳して伝える作業でかなり疲労していた。
当初、夜の部では、韓国の人たちはおそろしく強い酒を飲み交わすのだという噂を聞いていたので、こういったスマートな酒の飲み方は少々意外で拍子抜けであったが、疲れきった日本チームの二人にとっては、むしろラッキーなことであった。
中塚氏も限界に来たのか“明日は日本語を理解できるスタッフがいますか?”と聞いていた。 日常会話ならともかく、専門用語が飛び交う明日のディスカッションでは、とても対応ができないということだ。
だが、あっさりと工場スタッフから“明日は当社の日本語を話せるスタッフが数名来る予定になっています”と言われ二人ともにホッとした。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その4)

■ホテルから㈱●● ●●工場へとむかった。
空港から、ホテル(ホテルRS=今年1月にできたばかりのホテルであり、場所はソウル市の隣の市になる。)まで運ばれ、ここにいったん大きな荷物を置いたあと、いよいよ●●㈱の●●工場に向かうことになった。 工場へ行くまでの道は、セントラルパークのような美しい公園の池のまわりを回っている道路(休日には外国から来た人であふれる観光地らしい)を通って、わざわざ遠回りして、工場まで連れていってもらった。
公園近くの道を抜けると、また幹線道路に出て、工場までの道はまた、広々としてきた。ここソウル近郊の道路は非常に広くゆったりと作ってあるので、道路はみな高速道路に思えてしまうくらいであった。 
相変わらず車の中で、案内人の李(リ-ソンホ)さんは中塚氏といろいろとコミュニケーションを繰り返して、気心が合ったようで、笑顔で語り合うまでになっていた。
しかも、●●工場に着いて、目の前にそびえたっている5階建の巨大なビルが、その工場だとわかったとたん、軽いめまいがした。「こんな大規模な工場にこれから入り込んで、私は彼らにどんな指導ができるのだろうか?」という不安と、おそらく主力になっているかもしれないカニ足ラインについての詳細なノウハウを持ち合わせていないことの不安が重なり、中塚氏の笑顔をよそにどんどんと顔がこわばってくるのを感じた。
李さんは、中塚氏にタバコを吸うか?と聞いてきた。 どうも、工場に入ると全館禁煙なので、ここで先にタバコを一服吸ってから、工場に入るのだと言う。
私はタバコは全く吸わないので、二人が談笑しながら、ゆっくりとタバコを美味しそうに吸うのをしばらく黙って見つめているしか仕方なかった。
ハングル語で工場入り口の看板に大きな字が書かれていて、その内容はわからなかったが、ISO9001やHACCPというような数字が見えたので、この工場はすでにHACCPやISOを取得しているのだということがわかった。中塚氏もこれを見て、さすがに「おいおい、我々に指導できるようなことがあるんだろか?」と冗談まぎれに私に言うので、よけいに不安になってきた。 アシアナ航空の飛行機が遅れたことにより工場到着の時間も予定よりも1時間以上遅れたことから、工場に着いたのは夕方の五時近くであったことから、初日の打ち合わせの時間も相当遅くなりそうに感じた。
手前の大きなビルは原料冷凍庫などの施設であることが後でわかった。その裏には工場棟がコの字型にあり、地上3階建ての工場になっていて、私たちは最初、その工場の3階部分にある研修室のようなところに案内された。(しかし翌日、この工場は地下2階から製造ラインがあることを知り、結局5階建て構造であることを知った。)
そこで、英語を中心に明日以降のスケジュールの打ち合わせをした。
しばらくして、工場の製造責任者のソクヨンハ氏と工場長のキムヨンホ氏を紹介された。
工場長は人当たりのいい感じの方で、ソクヨンハ氏は少し気が強そうに感じた。最初から名刺交換したのは工場長だけであった。(だが、今回の出張中で私が一番仲良くなれたと感じたのは、意外にも初日に名刺交換が一方通行だったソクヨンハ氏だった。)
とにかく、あちらのスケジュール表にあわせなければならなかったが、中塚氏と相談して、正直に“ミスター辻の会社では、板かまぼこ、あげもの、ちくわ、それに原料の生すりみしか生産していないので、カニ足ラインに関しては、指導できない。魚肉ソーセージのラインについては、以前に丸大食品で開発部門にいた経験があるので、指導はできるだろう”と英語で説明してもらった。 あちらからの、スケジュールでは、朝から夕方近くまで工場に入って、我々が直接、現地で技術指導をすることになっていたが、1日しか時間がないため、事前に私に投げかけられている技術的な問題の解決方法や、工場を見た後での我々の意見や改良点などのアドバイス、上席をいれた新製品開発の話などの時間を持つと、それでは時間が足らなくなるということで、彼らとの意見調整し、2日目の工場視察指導の時間は、午前中いっぱいで終えることに変更した。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その3)

■インチョン国際空港から宿泊先のホテルへ向かった。
用意されたタクシーにのってソウル市内まで役1時間近く高速道路を走る中、名刺交換し、彼が李(リーソンホ)さんという研究員であることを知る。その上で、自己紹介をし、中塚氏が最初に”(辻さんは英語が喋れません)Mr.Tsuji can not speak English”と私が日本語しか話せないことを伝えた。
そのため、それ以後の会話はリーさんと中塚氏だけの会話となり、私は完全に部外者となり、なんだか寂しい感じもした。「俺だって、10年近く学校で英語を習ってきたのに…….」と日本の英語教育の貧弱さをつくづく感じしてしまった。
中塚氏は、大阪大学の工学部を卒業しているが、別に英語に関して私とは違う特別のことをしたわけでもないのに、この差(喋れるのと喋れないの差)はどこからきているのかが気になって、後で聞いたのだが、彼は神戸に生まれ育ったせいで、幼少のころから外国の人との交流が多く、外国語を喋ることに抵抗がなかったし、学生時代に英会話のサークルのようなものにも加入していたことがあると聞き、納得した。
とにかく、社内の会話を隣で聞いていて、リーさんの年齢が33歳で、親兄弟と高速道路沿いのマンションに住んでいて、会社までの通勤に毎日2時間かけていることがわかった。したがって、彼は独身であることもわかったのである。
彼は、日本には3度(福岡、宇部、東京?)来ており、日本の機械メーカーへも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。 私は代表的な機械メーカーのカタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。 私は英語は喋ることはできなかったが、韓国の人が話す英語は非常に聞き取りやすく、彼らの喋っている意味はなんとか半分以上は理解できた。
広い幹線道路には日本車と姿がかわらない自動車が走り、左ハンドルで右側通行である点、あちこちに表記されているハングル文字は違和感があったが、立ち並ぶビルの姿、街の様子など、まったく日本にいるのと同じであるように感じた。
車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつて深くかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。
中塚氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。 結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。 
しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加していったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。
中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私はインチョン空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その2)

<<関西国際空港からインチョン(仁川)国際空港へと飛んだ。>>
私は飛行機に搭乗したとたんに睡魔に襲われてしばらく眠り込んでいたため、目が覚めてもまだ、離陸していないことに気がつき、中塚氏に聞いてはじめてこの異常事態に気がついたのであった。
私たちが乗ったアシアナ航空12時50分 関空発のジャンボジェット機はエンジントラブルのため、1時間遅れで出発した。(私の旅には常にこういうハプニングがよく発生するので、またはじまったか……という感じだった。)
とにかく、遅れはしたものの、無事出発すると、遅い昼食は早速、機内サービスのお弁当となり、壁面のテレビで現在飛行している位置を確認する。しばらくは眼下に淡路島が見えたり、鳴門大橋が見えたりした。まさに、高松にいる息子のところへの道を上空から俯瞰しているような感じであった。
その後瀬戸内海をしばらく横切っていたと思うと途中で北上し、島根あたりの上空から日本海にはいった。もちろん画面モニターは日本海でなく東海(イーストシー)と表記されてる。ふと現地でこうした話題から日本人と韓国人とのちょっとした感情のもつれがないことを祈る気持ちになった。
 到着時間が1時間遅れて、現地で空港に迎えにきてくれているスタッフは待ちぼうけをくらってるんじゃないかと心配するが、中塚氏は心配しなくても現地にすでに遅延の情報が行っているだろうというのでいらぬ心配はしないことにした。
韓国のインチョン国際空港は、ちょうど関西空港のようにひとつの島になっているが、空港の広さは関西空港とは比較にならないほど広かった。
 ちょうど大阪の伊丹空港に相当するのが韓国の金浦空港であり、関西空港に相当するのがこのインチョン空港である。 ようやく韓国に着陸し、空港出口に向かい英語の名前の書いたプラカードを差し出している人が10人ほどいたので、自分たちの名前の書いたカードを持っている人を探す。ずーっと目を人の列にそって流していくと、あったあった。
 Mr.Tsuji & Mr.Nakatsukaのプラカードを差し出している人を発見!なんと挨拶したらいいのだろうと思っているうちに、中塚氏が最初に「あなたは日本語が話せるか」を聞くと「ノー」と返事が返ってきたので、英語で航空便が遅れたことのお詫びと迎えのお礼を述べた。
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韓国かまぼこ企業との交流記(その1)

2007年6月4日(月曜日)舞鶴から関西国際空港へと私は向かった
以前、関西空港から飛び立ったのはもうずいぶん昔のことであり、関空の国際線カウンターが4階、国内線カウンターが3階になっていることなどすべて忘れていた。
さて、今回の韓国行きは元はといえば、以前いた会社の先輩からの要請が発端となった。
京都出張の車中で、先輩から携帯電話にて「韓国へいって、蒲鉾メーカーの指導をしてくれないか?」という依頼を受けた時には、「わたしで指導できるようなことか?どういった点が技術的に問題になっているのか?」と尋ねてみたが、はっきりせず、雲をつかむような話だったので、他の人にお願いしてもらうよう、最初はお断りした。
だが、なんどかやりとりした後、私の技術者としての経歴を調査した上で、「ミスター辻を韓国の当社に招待することに決めた。」との、社内稟議がすでに通った内容が先にメールで送られてきたで驚いた。
とにかく、語学も達者でないし、食品加工技術といっても、もう技術者としての最前線から離れて10年以上も経過している以上、私一人では不可能であると思った。
先輩を通じて「日本食品開発研究所の中塚社長が韓国企業の窓口になってくれて、また、二人を招待してくれるなら行ってもいい」とあつかましいお願いをして、「それが聞き入れられなければ私は行かない」という条件を提示した。
これくらいあつかましいお願いをすれば、相手もあきらめて他の人を探すだろうと思っていたが、数週間後、英文で了解したとのメールが届いたのだった。 
以後、中塚社長が私のメールを英語に翻訳して韓国企業に送ってくれたり、私のかわりに朴常務とも東京で直接に会っていただいて、今回の韓国企業のニーズの把握や、韓国へ行くための段取りをすべてしていただいたのである。 ここまで皆さんにお世話になって、増して、韓国という外国の人間からこれほど熱望されているのに、行かないというのも悪いし、もう後へはひけなくなったのであった。
出発一月前になってはじめて、事前質問の用紙がメールで送られてきた。
思った以上に難問も多く、それから数週間は仕事から帰ると家でもレポート作成や資料集めにかなり時間を割いた。 そして、日本を出発する当日の朝が来た。私は電車で京都経由で特急“はるか”で関西空港まで行き、空港で中塚氏と合流することにした。
中塚氏は先にアシアナ航空のカウンターに到着していて、携帯電話でそこまで私を誘導してくれた。
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2007年10月10日 (水)

MK-C開発秘話(10)

MK-Cの名前はMaizuru Kamaboko Coopの頭文字をとったものである。最終的には、MK-Cの製品としてのセーリングポイントを以下のようなものにして組合員に販売をはじめた。

(製品の特徴)
1.本品は別表5はもとより別表2に記載されている添加物は一切使用しておりません。100%天然素材から出来ています。

2.本品は新鮮なシログチを原料とし、その抽出したエキス分が主成分です。このエキスは酸分解型の魚肉エキスでなく、酵素を利用した煮沸のエキス抽出法を利用したものです。

3.特殊原料による天然植物性アミノ酸を複合してありますので、呈味力及び味の幅に広がりがあります。
4.一般的に天然エキス濃縮調味料はややもすると製品を褐変化させますが、本品の場合その心配はありません。

5.本品はグルタミン酸ナトリウムのような化学調味料は添加せずに味のバランスをとることができます。
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MK-Cの開発では、私が平成5年(1993年)京都府知事より創意工夫発明功労者表彰をうけた。
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MK-C開発秘話(9)

回り道をしたようであったが、私どもの開発した調味エキスの製法を外部の会社の人たちの協力で実現させていただくことができたのである。
最初からそうすればよかったではないかという人もいるかもしれないが、私はそうは思わない。
試行錯誤の中に、いろんなノウハウや人と人とのつながりができてくる。それが私には今もかけがえのない財産になっている。
とにかく、昭和60年には、石巻でできたその濃縮エキスを大阪の甲南化工さんに運んで調整、製品化していただき、最終商品として組合で仕入れて、それを組合員に販売する仕組みができあがったのであった。
Tenpura_01_150
思えば、お金を出して引き取ってもらっていた魚の残さいを冷凍しておいて、10トン単位で石巻の会社にエキス原料として売り、出来上がった商品を仕入れて組合員に売るという二つの取引の中で利益を得ることができるようになったことは大きかったのではないかと思う。
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MK-C開発秘話(8)

そのように出来た抽出エキスをさらに大阪に送り、そこで濃縮していただいて、舞鶴に送り返してもらうことにしていたが、いつまでもこんなことはしておれず、大阪の抽出エキスの製造工場を視察させていただいたりしていた。
かくして、温度制御など考えていた以上に設備投資が必要であることを痛感して、当初の計画は頓挫してしまっていたのである。
Ekimae_150
かくして途方にくれたある日、また白石カルシウムの鬼沢氏が来られ、問題のあった煮沸濃縮工程を外部委託してはどうか?と提案してくださったので、すぐにその工場へ交渉に飛んだ。
その工場は、石巻にあり大手水産会社の子会社であった。そこで、早速、我々の開発した製法を説明し、次に実際に舞鶴からグチの残さい10トンを送り込み、エキス生成の一連のテストを実施していただいた。その際に、エキス抽出をする工程をすべて見学させていただき、自分たちがなんと無謀な計画をしていたのかと痛感した。 私たちが悪戦苦闘していたそれぞれの工程が見事に完璧にクリアーされていく様を見ながら、自分たちの考えのあさはかさを知った。
やはり、温度制御だけでも億単位の投資が必要になってくるのであった。
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MK-C開発秘話(7)

(4)悪臭がする。
残さい物を鍋で煮沸している間は、非常に良いにおいがしていたが、明朝すりみ工場に出勤してきた女性社員たちが顔をしかめて、全員悪臭と感じるにおいに変化していた。(私は徹夜でおつきあいしていたので、鼻がおかしくなって、においがわからなくなっていた。それで家に朝帰りしたとき、余りの臭さに部屋に入れてもらえず、玄関でSurimi_01_150
スッポンポンにされて、風呂に直行した思い出がある。さらにそのにおいは強烈で、においが抜けるまでの約2週間、家族は誰も私のにおいの乗り移った自動車に乗ろうとはしなかったくらいであった。天気の良い日には自動車のドアを全部開放して日光浴、風通しをさせてやっとにおいが抜けた。結局、作業服は捨てたと思う)
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MK-C開発秘話(6)

(2)油脂の除去が困難
1回目の試験では、油脂分離させなかったので、濃縮、分離などの効率が悪く、出来がよくなかったため、2回目は三層分離機(シャープレス)を甲南加工さんに持ち込んでいただいて油脂分離を実施したが、魚の種類によって、特にタチウオなどの残さいは油脂分が非常に多く酸性白土を使っても、うまくいかず、目詰まりの連続で気が遠くなるほどの時間を費やした。
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(3)雑菌の影響を受ける。
最初の温度コントロールが難しかったことが原因でもあるのだが、テストした時期が初夏かから秋にかけてということで、一晩中つききりであったにもかかわらず、半分の釜がメタン発酵をしてしまうことになった。
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MK-C開発秘話(5)

最初、机上で実験レベルでやったものは、非常によい感触が得られたのであるが、実際に大きなロットで実験をすると、次々と問題が発生してしまった。
(1)温度管理ができない。
 当然のことであるが、特別のガスバーナーも強力だと思っていたが、初夏であっても温度が急速に上昇せず、2回目のテストでは、そのバーナーを2基つけて煮沸させたのだが、今度は攪拌が追いつかず、ズンドウの底が焦げ付いてしまったものもあった。
その上、煮沸後の冷却がなかなか順調にいかず、ビニール袋に氷を入れた袋を当時の男性職員たちに何回も運び込んでいただいて、ズンドウの液面がいっぱいになるまで、その氷袋を投入したり、ズンドウ周りに冷水をあてたりしたが、冷却スピードは緩慢であった。Kensa_01_350

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MK-C開発秘話(4)

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まず、手造りの実験プラントの作成からはじめた。 大きな鍋(ズンドウ)は、組合員の工場で生すりみを水さらしするのに使っていたステンレスの水さらしタンクを集めてきて利用した。
また、その大容量のズンドウの水を沸騰させることのできる強力な火炎装置は、取引のあった山下菅工開発さんにさんざん無理をいって、ただで貸していただいた。
攪拌棒と夜中の攪拌のためのスクリューも白石カルシウムさんに用意していただいた。
初回は、遠心分離機が都合がつかず、金物屋へいき、メッシュ3ミリの金網を買ってきて、私が日曜大工で、固形物を除去するための大きな「こし網」を作成した。
できた原液を冷凍車で配送して、濃縮加工をしていただくことにしていたので、その容器として卵白の空き缶をたくさん集めてきておいた。
ただ、運悪く実際に試験をはじめることができたのは、初夏であった。
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MK-C開発秘話(3)

煮沸した汁だけでは、固形分が少ないということ......これが、酵素分解を再度考えるきっかけになったことは確かである。 そんなある日、鬼沢氏が当組合に来られ、ずいぶんと具体的に調味エキスの製造方法を考案されて、一緒にやってみないかということになった。
今まで、私がやってきたのは、生原料からの分解生成ばかりであったが、鬼沢氏はいったん煮沸させたスープをDscf0009
酵素分解するというものであった。これなら、塩辛さ、pH調整などの必要はなくなり、いいものができれば、そう大きな資本投下は必要ないだろうということで希望を新たに、挑戦しはじめたのであった。
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MK-C開発秘話(2)

私自身もその後、調味エキスの会社の研究者から、色々なアドバイスを受け、酵素も数種類試してみたが、酵素の働く温度帯で他の雑菌の汚染を受けずに酵素分解をさせることに若干の難しさを感じていた。 
食塩を過度に添加すること、pHを調整することなど工夫はしてみたものの、管理の難しさが研究のゆくえを阻みつつあった。また、あるときは日本食品開発研究所の故太田氏により大手酒造メーカーの研究者を紹介していただき、料理用ワインで残さい物を煮沸し、当時の女性職員にタマネギを細かく切り刻んでもらって、煮沸後期に投入し、スープ造りなどもやってみた。ただ、酒造メーカーのほうも評価はしてくれたが、濃縮コストが非常に高くて採用はできないということで話が終わってしまったのであった。
Dscf0001
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MK-C開発秘話(1)

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MK-C(グチ残さい利用エキス調味料)の開発の発案は、昭和58年の京都府中小企業団体中央会の補助事業として開催された「舞鶴蒲鉾需要拡大懇談会」にさかのぼる。
その委員の一人でもあった㈱日本食品開発研究所の故田中社長より「高級な生魚を使って、コストアップになるデメリットをいくらかでも減らすことを考えよ。まず、捨てるのに金がかかる残さい物を酵素分解してみてはどうか」との意見が出された。
さらに、白石カルシウムの鬼沢氏からは「生魚を使用し続けてきた舞鶴の特徴をさらに商品に反映するために、残さい物から調味成分を引き出し、商品の味付けに再利用してはどうか」との、さらに進んだご提言をいただいたのであった。
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2007年10月 9日 (火)

食の安心・安全と環境問題(8)

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多くの農産物や水産物を海外に頼っている日本は、農産物の栽培に必要な水も輸入していることになりますし、搬送するためにエネルギーを使用しますので、そこでも炭酸ガスを発生しています。
 限られた資源を有効に使うという点では、「日持ち向上剤」も有効な手段といえます。
 その他の添加物ついては、食べる時点で役立つもので、この場合、消費者の安全を担保すると言うより、その食品の商品力(風味、食感、見栄えなど)を担保するために使用されていると考えます。この場合、「使う便利さ」「使わない不便さ」という二面性を消費者が考えるべきです。
エネルギーにしても食品、添加物にしても、二面性がありますが、今の世の中では、その一面だけを強調したほうが、受けがいいようですが、「使うリスク、使わないリスク」も当然ですが、「使う簡便性、使わない不便性」もあり、これらを全て拒否するならば、農産物や水産物を自前で調達し、加工調理するしか方法はありません。
また、「使うリスク」、「使わないリスク」についても、公平な情報が充分に伝わっていない点も、問題で、日本の食は、国内だけの問題ではなくて、地球環境全体の問題も関与しています。
一つの限られたポイントだけが大きく流布されがちですので、このような情報に惑わされず、地球環境も視野に入れ、日本の伝統的食生活、食文化の継承ができればと考えています。
以上のことを、考慮して、今一度、皆さんの食生活を考えて頂けませんか?
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※)より引用
※中塚正博氏は私の親友である。
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食の安心・安全と環境問題(7)

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食品添加物についても、これと同じ考えが当てはまります。
「発酵と腐敗」 これは、両方とも微生物が作用する現象ですが、人に役立つのが発酵で、役立たないのが腐敗です。
 単に菌数が多いから腐っている、役立たないということではなく、食中毒を起こす微生物が、ある限界以上に、増殖しているか否かがポイントで、菌数や毒素の有無、個人の体調によって、健康被害の程度が変わります。
 菌数が多いだけで、排除されるとヨーグルトや納豆、漬物、キムチなどは食卓に上がりません。
この点では、添加物の中でもっとも役立ってきたのが、「保存料」とか「日持ち向上剤」という範疇の素材です。
 小生がマクリを飲まされていた時代とは異なり、家庭にも冷蔵庫がありますし、コールドチェーンや宅配便の発達により、個人でも冷凍や冷蔵で食品を配送できる時代となりました。
 これらの技術の発達過程において、その時々に、安全性を担保するために使用されてきたのが、いわゆる「日持ち向上剤」です。
 微生物的に安全といえば、いわゆる軍隊の非常食が挙げられますが、風味、食文化と言う点では、通常の生活にはなじみません。
 このニーズを満たすのがチルド商品と言う範疇です。スーパーで冷蔵販売されている食品群が、これに該当します。
家庭内で、原料処理から調理・包装まで全て行えれば、「日持ち向上剤」不使用の食品を作ることができます。 弁当がこれに該当しますが、朝作った弁当を、翌日に食べますか? 微生物の増殖を心配すると、少し躊躇するのが普通です。
安全性、風味の両面でこの課題を解決しようとしたのが、コンビニの弁当やおにぎり、サンドイッチです。
これらの商品には、今は、「保存料」や「日持ち向上剤」という表示は少なくなりましたが、まだ、多くの食品には、日持ち向上のための添加物が資料されていますが「日持ち向上剤」や「保存料」は、消費者にとって安全を担保するものであり、食品を購入する時点でその役目は終わっています。
「日持ち向上剤」や「保存料」を使用しないためには、それに変わる技術(例えば急速冷却というハード、HACCPというソフト)で、安全性を担保しようとしています。
 しかし、冷蔵配送などのインフラが整備されていない国では、これらの商品は、流通できません。
確かに、添加物の用途や中身が、一般消費者にとって不透明で、「まやかしの技術ではないか」と懸念される方も多いと思います。「添加物=将来の健康不安」という心配はありますが、これも「使うリスク」「使わないリスク」の二面性があります。 
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※)より引用
※中塚正博氏は私の親友である。
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食の安全・安心と環境問題(6)

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(食中毒と発がん性)
今日・明日の食中毒を避けるか、何十年か後の発ガンを心配するか?  
アメリカでの年間の食中毒死者数は約5000人といわれています。日本では10名ですが、統計の取り方の違いがあり、一概には比較できません。しかし、水産物や農産物など食資源のグローバル化が進んでいますので、潜在的なリスクは日本でも増加しています。
食中毒の原因は、微生物が原因の場合が多いわけですが、微生物を死滅させるもっとも基本的な方法は加熱です。加熱だけで、全ての微生物が死滅し、毒素も分解するわけではありませんし、加熱をしすぎると、食品素材そのものが持っている食感・風味・栄養など損なわれる場合もあります。
確実な方法の一つとして放射線殺菌がありますが、日本ではジャガイモの発芽防止にしか認められていません。
アメリカでは、当初軍隊用の食品の殺菌方法として研究され、宇宙食用に認可され、その後何種類かの食品にも認可されました。
 臭化メチルや青酸ガスが青果物の燻蒸に使用されますが、その代役も果たしているようです。香辛料やハーブの殺菌については、EUでも認められています。
 この放射性殺菌の是非を検討するのは、非常に重要なことですが、つまるところ「使うリスク」と「使わないリスク」のどちらをとるかと言うことです。
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
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食の安全・安心と環境問題(5)

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天然物は様々な成分から成り立っています。 季節変動や産地によってもその組成は変わりますので、個々の成分を特定し、その内容を100%明らかにするのは、至難の業です。 安心できますが、安全を保障できる範囲が限られます。
しかし、何十年、何百年前からの食経験のある素材は、素材そのものの安全性・安心感は歴史が証明しています。食の歴史が古いほど、その素材自体の安全性は高いと判断できます。ただし、栽培方法、例えば未認可の農薬を使用した場合、素材自体は安心ですが、付着物が不安材料となります。
一方、日本人として食経験の歴史が浅いものについては、未知の部分があり、充分な評価がなされていない場合もあります。南米や中国、インドの民間伝承ハーブにアルカロイドなどが含まれている例がその一つです。
 一方、「合成品については不安だ」という意見も多いのですが、化学的合成法の場合、製法管理上、純度検定もしっかりと行っていますので、含有しているもの組成が明らかです。 つまり、危険の範囲が限られますので、リスク管理がしやすいということがあります。例えば、商品規格書作成時には、遺伝子組み換え、アレルギーなどの記載に際し、天然物由来品の場合、トレーサビリティーと言う点で、多少の不安が残りますが、ビタミン類などの合成品では、GMOとかアレルギー物質は完全に「該当外」となります。
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
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食の安心・安全と環境問題(4)

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統計的な資料もないので、軽はずみなことは言えませんが、リスク回避をするならば、煮炊きするとか、充分に洗浄するとか、ノンリスクではないことを意識すべきでしょう。(グルメを自称され、何でもトライする方は、注意が必要です。食中毒と違って潜伏期間が長いので、感染している自覚症状がすぐにはでてきません) 
また、世界的にみると農薬が無ければ食糧確保ができません。もちろん、定められた使用方法を守る必要がありますが、「飢餓」と「農薬」の選択ができる余裕のない地域も数多く存在します。オーガニック品は、ゆとりのある方が利用するしかないのです。
また、「オーガニック」と言う言葉と同じように好まれるのが、「天然」とか「自然」などの言葉です。
「天然原料だけを使用したので安心」とか「添加物は使用していません」とかいうキャッチフレーズを良く見かけます。本当に天然物は安全でしょうか? また、添加物は不要でしょうか?
天然が安全で、自然食品は安心して赤ちゃんにも食べさせることができるという考えですが、リスクは全くないのでしょうか?
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
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食の安心・安全と環境問題(3)

【リスクの考え方(農薬・寄生虫)】エネルギー用に消費される農産物が注目される一方、こだわりの食材も徐々に注目されています。
たとえば、オーガニック食品です。 農薬などの化成品を使用せず、昔ながらに手間をかけて大切に育てられた農産物や、それらを使用した加工食品で、一定のルールの下に生産された食品類のことで、安心・安全の鏡として、着目されています。
 ここで、また昔のことを思い出しますが、我々が小学生の頃の給食に、「マクリ」という海藻を煎じた液で、非常に飲みにくいものを毎日、給食の時に、飲まされていたことです。
このマクリは、寄生虫を駆除するための駆虫剤で、まだ当時は、農産物の肥料に人糞などを使用していたため、農産物由来の寄生虫が、多くの児童に寄生していました。一種の食物連鎖です。その連鎖を断つため、毎日、飲まされていました。同じ時期、栄養補給のためメニューだった「脱脂粉乳」も給食のいやな思い出です。

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 今は、肥料に人糞も使用しませんから、昔ほどのリスクはないのですが、オーガニックの生野菜は本当に安全でしょうか?
海外に行かれた時は、生水を飲まないとか、生野菜・生魚は避けるとか、充分に火の通った食品を食べるとか注意はしていますが、国内で食べる生野菜には、それほど注意はしていません。
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
※中塚正博氏は私の親友である。

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食の安全・安心と環境問題(2)

(便利さの代償)
例えば、この自販機ですが、国内に設置されている自販機は、550万台で、その約48%(270万台)が飲料関係のKama_img_15
自販機です(50人に一人の割合です)。 
また、自販機での飲料関係の年間販売金額は約2兆7000億円になっています。 
一方、自販機全体の電力消費量は、約66億kwhで、国内の年間発電量の約0.6%程度です(日本自動販売機工業会資料)が、小生が活動している地域で考えると、関西電力美浜原子力発電所(3機分)の1年間の発電量(約70億kwh)に相当します。
日本人は、自販機の恩恵をたくさん受けていますが、その便利さには、原発1箇所分が必要という事実にも眼を向けるべきです。

同じく、エネルギー関連では、最近ガソリン代も上がっていますが、オイルショックの頃の話題として、トイレットペーパー騒ぎがテレビでも時々放映されていました。この頃は、NHKをはじめ民放でも深夜放送を自粛し、NHKは総合、教育ともに23時以降の放送を休止していましたし、NHK教育では、午後の数時間も放送を休止していました。また、ガソリンスタンドも日曜日は休業していましたが、これらの情報はほとんどテレビでは放映されていません。
逆に、食糧を原料としたバイオエタノールやバイオディーゼルの話題に集中しているようです。 国民一人当たりの油脂類の摂取量は1日17g(15歳以上の平均:国民栄養調査)ですが、1月で500gちょっとです。これを車のガソリンで考えると、5km程度しか走れません。 食品関連の仕事に従事してきた私には、食品原料から燃料を作る発想には、どうしてもなじめません。
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(雑誌「表面技術」 2007円年58巻9号 49-50P 著者:日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
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食の安心・安全と環境問題(1)

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食品や食糧に関する話題が、マスコミの話題になることが多くなりました。
BSE、鳥インフルエンザ、表示偽装、マグロの高騰、小麦、大豆などバイオエタノール関連素材の高騰など、あまり明るい話題は無いようです。
また、一方、これを飲めば健康になるとか短期間でダイエットができるとか食品に関しての多種多様な一見便利な情報があふれていますが、食品分野だけでなく、最近は何もかも便利になりすぎて、かえってその便利さが分からなくなっているように思います。
5月末に島根県のある町に行く機会があり、そこで、一泊しましたが、夜は暗いものだということをあらためて思い出しました。
自宅の近所も夜は暗いのですが、街灯や家の明かりなどがあふれ、当然ですが、足元を見なくても歩くことができます。
その町では、信号と自販機以外の明かりはみあたらず、自販機の明かりが、誘蛾灯の役割を果たすぐらい、虫が集まっていました。
私が幼少の頃は、いまのような自販機は家の回りにはなく、夜の闇は本当に怖くもあり、神秘的でもありました。
現在、食品の研究や開発業務に携わっていますが、この自販機のように便利さだけを甘受し、大切なものを忘れているような気がします。
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(雑誌「表面技術」 2007年58巻9号 著者 日本食品開発研究所 中塚正博※より引用)
※中塚正博氏は私の親友でもある。
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2007年10月 1日 (月)

かまぼこ板の効用

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舞鶴かまぼこでは、かまぼこ板には、白くて、節のない、しかもにおいのない、モミ類の材を使用しています。
かまぼこは、熱をかける前は、粘着性のある魚肉の糊のような状態ですから、蒸すというような加熱方法をとるためには、かならずなにかの上に置いてからでないと、加工ができなかったのです。 ゆでものやあげものはそうした担体がなくても、湯や食用油の中で浮かんでいる状態ですから、そういったものの必要がなかったわけです。
かまぼこは、蒸す時、冷す時に、水分をはいたり吸ったりします。その際に、かまぼこ板は、余分な水 分を吸い取ってくれます。それによって、かまぼこが腐りにくくなるようです。 かまぼこが板付きになったのは、安土桃山時代と言われ、それまでは、現在のちくわのように棒や竹に巻いて焼き上げたものが主流だったようです。
板に載せたのは、それ以外にも料理人が献上品としてのしつらえを持たせるための工夫もあったのかもしれないという説もあります。 (これは小田原、鈴廣さんのHPより引用いたしました。)
かまぼこに板が付いていると、糊のような魚肉を包丁をつかって形作る時に形を整えやすい、持ち運びに便利であることはもとより、製品の極度の乾燥を防止してくれたり、製品を腐りにくくしてくれるなど、 板は、さまざまな役割を果たしているのです。舞鶴かまぼこが保存料を使っていないのも、いくらかは、こうしたかまぼこ板の恩恵を受けているからかもしれませんね。

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