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2007年10月16日 (火)

韓国かまぼこ企業との交流記(その5)

■工場から、最初の夜の夕食会へ向かった。
とりあえず、話し合いがまとまったのが午後7時ごろで、いったん夕食をとることになり、私たちは車2台で店に連れて行ってもらった。
そこでも、いったんホテルまで送っていただき小荷物を置かせてもらって、店までの送り迎えをすべてしてもらい、まるで殿様のような気分であった。
彼らとの夕食は、プルコギを食べに連れて行ってもらうことになり、韓国の辛い料理への挑戦!ということで、日本ではあまり食べることのできない韓国の“古漬け?キムチ”“白キムチ”“白キムチを油でいためたもの”“青とうがらし”“ニンニク”“韓国バージョンの味噌汁”“コンニャク?(日本人ならコンニャクとは思わない寒天のような食感)”…………中塚氏は韓国味噌汁が美味しいとスープをすすっていたし、わたしは白キムチを揚げたものが気に入って食べた。いろんな物を美味しい焼肉と一緒に食べさせていただいた。むろん、私たち日本チームはタレは一番甘口にしてもらっていたのだが、特に生の青唐辛子と生ニンニクを韓国の味噌につけて葉野菜でくるんで食べると、口の中が火事になりそうだったので、思わず“fire!!(ファイヤー)”と叫んで、韓国の工場スタッフたちに笑われてしまった。
その日の夕食は、キムとさん(工場長)とソクさん(製造課長)とリーさん(研究員)と私たち日本チーム2人の5人での夕食会となった。 特に工場長のキムさんは、辛いものに辛い調味素材をつけて、平気な顔で食べておられたので、思わず“あなたはホットスパイスのチャンピオンだ!”と英語で言うと、笑いながらどんどんと辛いものを口に入れておられた。
料理は出てきたが、スープの器は日本チームである我々の前に2つしか出てこず、韓国の人たちの分はどうなのだろうと思っていたら、彼らがめいめいに手をのばして、私の目の前のスープの中にスプーンを入れてそれを口に運んでいた。 どうも韓国ではひとつのスープ皿はみんなですくって食べるのが普通なのではないかと思った次第である。 
また、韓国のハシはすべて真鋳かステンのような金属製なので、ものをつまむときは指に力がはいり、先が丸くできているので、細かいものやうすっぺらいものだとどうもうまくつかめなかった。 生の韓国海苔をはがして少し焼いて水分を飛ばしてから食べるのであるが、我々がやると、焼きすぎたり、生焼けだったりとうまくいかなかった。やはり慣れはこわいもので、韓国の人たちは上手にハシをつかってすばやく海苔を焼いて口に入れていた。 日本人は辛さとハシの使い方で韓国人に負けた!!
やっぱり、ハシは日本の木製でできた、角型の先の細いハシが一番だ。 
彼らの運転で来ているからか、ビールもあまり飲まないので、思わず「韓国では飲酒運転は罰せられるのか?」と聞くと「罰せられる」と答えた。
聞いてみると、日本ほど罰則は厳しくないようだが……..あまりビールは飲まない様子であった。 客人をもてなすときは、自分たちは、あまり飲まないのが礼儀といった風習があるかのようだった。 食事会をあとにして、二次会に向うことにした。車の中でいろいろと雑談をしていた中で、私が「“チャングムの誓い”というドラマを日本で全部見て、主演女優のイ・ヨンエのファンになったんですよ。」と中塚氏に英語でキムヨンホ工場長に伝えてもらうと「イ・ヨンエは私の友人の妹と同級生ですが、学校時代は手のつけられないほどの不良少女だったんですよ」と語られた。<聞かなければよかった……..。でもよくある話>
 その後、二次会では、ガラス貼りの地ビール工場の広いホールに入って、おすすめの地ビールをジョッキーで1杯ずつ飲んで、午後10時頃にはまた、ホテルまで連れ帰ってもらった。
二次会では、お互いの生活や、文化の話で盛り上がった。中でも韓国では子供への教育費の比率が非常に高いらしく、(普通のサラリーマンでは2人子供を育てるのは経済的にそうとう大変そうだ。)かつての日本の受験戦争のような状況になっているらしいということや、城南工場の近くのマンションでも、5000万円するというようなことを聞いた。まさに韓国はかつての日本のバブル期のような状態なのかもしれない。
しかし、この会社、工場長でさえ年齢は30歳後半、リーさんも33歳(未婚)だということもわかり、(ソクさんもおそらく30歳代だろう)本当にこんな若い人たちに、今日のようなことに対するマネージメントを任せる会社が日本にどれほどあるだろうかと考えさせられた。
特にリーさんは研究員だが、日本へは機械の買い付けに行って、数千万円の買い物をして帰ってくるらしい。 日本では、30歳そこそこの社員に海外へ数千万円の機械の買い付けに単独で行かせる企業は、商社でもない限りおそらく皆無に近いだろう。
翌日、日本の大手が出ている新製品の製造機械の情報を日本人である我々よりも先に入手して持っていることを知ったときには驚きを隠せなかった。
中塚氏も初日は、空港でリーさんと会ってからずっと、英語で喋っており、私が喋るニュアンスを伝えることの難しい日本語を、韓国のスタッフのために英語に翻訳して伝える作業でかなり疲労していた。
当初、夜の部では、韓国の人たちはおそろしく強い酒を飲み交わすのだという噂を聞いていたので、こういったスマートな酒の飲み方は少々意外で拍子抜けであったが、疲れきった日本チームの二人にとっては、むしろラッキーなことであった。
中塚氏も限界に来たのか“明日は日本語を理解できるスタッフがいますか?”と聞いていた。 日常会話ならともかく、専門用語が飛び交う明日のディスカッションでは、とても対応ができないということだ。
だが、あっさりと工場スタッフから“明日は当社の日本語を話せるスタッフが数名来る予定になっています”と言われ二人ともにホッとした。
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