韓国かまぼこ企業との交流記(その1)
2007年6月4日(月曜日)舞鶴から関西国際空港へと私は向かった
以前、関西空港から飛び立ったのはもうずいぶん昔のことであり、関空の国際線カウンターが4階、国内線カウンターが3階になっていることなどすべて忘れていた。
さて、今回の韓国行きは元はといえば、以前いた会社の先輩からの要請が発端となった。
京都出張の車中で、先輩から携帯電話にて「韓国へいって、蒲鉾メーカーの指導をしてくれないか?」という依頼を受けた時には、「わたしで指導できるようなことか?どういった点が技術的に問題になっているのか?」と尋ねてみたが、はっきりせず、雲をつかむような話だったので、他の人にお願いしてもらうよう、最初はお断りした。
だが、なんどかやりとりした後、私の技術者としての経歴を調査した上で、「ミスター辻を韓国の当社に招待することに決めた。」との、社内稟議がすでに通った内容が先にメールで送られてきたで驚いた。
とにかく、語学も達者でないし、食品加工技術といっても、もう技術者としての最前線から離れて10年以上も経過している以上、私一人では不可能であると思った。
先輩を通じて「日本食品開発研究所の中塚社長が韓国企業の窓口になってくれて、また、二人を招待してくれるなら行ってもいい」とあつかましいお願いをして、「それが聞き入れられなければ私は行かない」という条件を提示した。
これくらいあつかましいお願いをすれば、相手もあきらめて他の人を探すだろうと思っていたが、数週間後、英文で了解したとのメールが届いたのだった。
以後、中塚社長が私のメールを英語に翻訳して韓国企業に送ってくれたり、私のかわりに朴常務とも東京で直接に会っていただいて、今回の韓国企業のニーズの把握や、韓国へ行くための段取りをすべてしていただいたのである。 ここまで皆さんにお世話になって、増して、韓国という外国の人間からこれほど熱望されているのに、行かないというのも悪いし、もう後へはひけなくなったのであった。
出発一月前になってはじめて、事前質問の用紙がメールで送られてきた。
思った以上に難問も多く、それから数週間は仕事から帰ると家でもレポート作成や資料集めにかなり時間を割いた。 そして、日本を出発する当日の朝が来た。私は電車で京都経由で特急“はるか”で関西空港まで行き、空港で中塚氏と合流することにした。
中塚氏は先にアシアナ航空のカウンターに到着していて、携帯電話でそこまで私を誘導してくれた。
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