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2007年10月16日 (火)

韓国かまぼこ企業との交流記(その3)

■インチョン国際空港から宿泊先のホテルへ向かった。
用意されたタクシーにのってソウル市内まで役1時間近く高速道路を走る中、名刺交換し、彼が李(リーソンホ)さんという研究員であることを知る。その上で、自己紹介をし、中塚氏が最初に”(辻さんは英語が喋れません)Mr.Tsuji can not speak English”と私が日本語しか話せないことを伝えた。
そのため、それ以後の会話はリーさんと中塚氏だけの会話となり、私は完全に部外者となり、なんだか寂しい感じもした。「俺だって、10年近く学校で英語を習ってきたのに…….」と日本の英語教育の貧弱さをつくづく感じしてしまった。
中塚氏は、大阪大学の工学部を卒業しているが、別に英語に関して私とは違う特別のことをしたわけでもないのに、この差(喋れるのと喋れないの差)はどこからきているのかが気になって、後で聞いたのだが、彼は神戸に生まれ育ったせいで、幼少のころから外国の人との交流が多く、外国語を喋ることに抵抗がなかったし、学生時代に英会話のサークルのようなものにも加入していたことがあると聞き、納得した。
とにかく、社内の会話を隣で聞いていて、リーさんの年齢が33歳で、親兄弟と高速道路沿いのマンションに住んでいて、会社までの通勤に毎日2時間かけていることがわかった。したがって、彼は独身であることもわかったのである。
彼は、日本には3度(福岡、宇部、東京?)来ており、日本の機械メーカーへも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。 私は代表的な機械メーカーのカタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。 私は英語は喋ることはできなかったが、韓国の人が話す英語は非常に聞き取りやすく、彼らの喋っている意味はなんとか半分以上は理解できた。
広い幹線道路には日本車と姿がかわらない自動車が走り、左ハンドルで右側通行である点、あちこちに表記されているハングル文字は違和感があったが、立ち並ぶビルの姿、街の様子など、まったく日本にいるのと同じであるように感じた。
車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつて深くかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。
中塚氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。 結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。 
しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加していったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。
中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私はインチョン空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。
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