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2007年11月16日 (金)

かまぼことおせちの話

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おせちの起源とその意味
1年に5つの節句を持つ日本の暦。その日は神様にお供えをし、家族揃って節振舞にあずかる。これがおせちの始まりとなり、今はお正月の料理をおせちと呼ぶようになったそうである。ちなみに5つの節句とは1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽を指す。おせちは五穀豊穣を願い、家族の安全と健康、子孫繁栄の祈りを込めて、縁起のよい食材の名にこと寄せ、海の幸、山の幸を豊かに盛り込んだもの。 おせちは昔から五法、五味、5色をバランスよく取り入れて作るのがよいとされた。
つまり、日本人は古くからバランスのとれた食生活がいかに人間の健康に必要であるかを知っていたことになる。おせちの中に入っている食品にはそれぞれ栄養学的に優れているだけでなく、いろんな願いをこめた意味がある。それらを代表的なおせちの材料を列挙して説明しておきたい。
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■紅白かまぼこ
紅は「慶び」、白は「神聖」を表すのは、日本のみならず、東アジアやインドネシアにも残る風習。紅白と互い違いにし、両端には紅がくるようにお重に詰める。

錦玉子
黄身と白身の二色が美しい錦玉子は、その二色が金・銀にたとえられ、正月料理としてよろこばれる。また、「二色」を「錦」と語呂合わせしているともいわれる。
■伊達巻
お正月には巻物がよく出ている。昔の人は、大切な文書は巻物に装丁し、家宝にした。伊達巻の起源は江戸時代、長崎に広まった卓袱(しっぽく)料理の中の「カステラかまぼこ」。
■黒豆
「まめ」とは元来、丈夫、健康を意味する言葉で、健康長寿の願いが込められている。植物性のタンパク源として栄養価も高い食材。
■田作り
豊作を願い、小魚を田に肥料としてまいたことから名付けられた。五穀豊穣の願いが込められている。小さなカタクチイワシを焼いて、甘辛く味付けしたもの。
■数の子
ニ親(にしん)から多くの子が生まれることにかけた縁起物として、古くからのおせちの一品。昔はどこでも入手できたが、今では貴重で高価なものとなり「黄色いダイヤ」とも呼ばれる。
■栗きんとん
「金団」と書いてきんとん。黄金色に輝く財宝に見立て、「今年も豊かな一年でありますように」との願いが込められている。また、「勝ち栗」という言葉があるように、栗そのものが昔から縁起のよい食べ物として尊ばれてきた。
■昆布巻
「よろこぶ」にかけて、お祝いの食卓に欠かせない昆布。錦飾りにも使われる。健康長寿が得られるといわれる。実際、昆布は繊維やミネラルをたっぷり含んだ健康食品
■結び昆布
結びは「睦(むつみ)」にたとえられる。結び目を上にしてお重に詰める。
■紅白なます
最近は人参と大根だけで作られるようになったが、昔は必ず生の魚介を加えたことから、この名がついた。大根どきの医者いらず、といわれるように、栄養面にも優れた一品
■菊花かぶ
大根もかぶも冬が旬。お正月の頃いちばん美味しく、ジアスターゼが豊富な野菜。おめでたい菊の形に飾り切りし、酢のものに仕立てる。
■酢ばす
穴のあいたレンコンは、「先の見通しがたつ」という意味で、やはりおめでたい食べ物とされている。中国では漢方薬として珍重されているらしい。酢は食欲増進効果がある。
■小肌栗漬
小肌は「コノシロ」という魚の成魚になる前の名前。出世魚なので縁起のよい食べ物とされている。小肌栗漬は小肌の切り身を蒸した栗と一緒に酢漬けしたもの。栗はクチナシで鮮やかな黄色に染めている。栗は五穀豊穣を願ったものだが、防腐効果もあるという昔の人の知恵も隠されている。
■酢だこ
紅白の色合いがめでたさを感じさせる。お酢には消化促進、防腐効果など、すぐれた効果がある。
■鬼がら焼
「長いひげを生やし、腰が曲がるまで長生きするように」と、海老もお祝いの席に欠かせない食べ物。穀も頭もそのまま、つけ焼きにしたのが「鬼がら焼」
■ごぼう(穴子八幡巻)
細く長く地中に根を張るごぼうには一年間しっかりがんばりましょう、との願いが込められている。穴子のやわらかさと、ごぼの歯ごたえの組合せを楽しむ八幡巻は、ごぼうの産地八幡に名を借りたもの。お正月らしい巻物料理
(紀文おせち百科を一部引用、掲載させていただいています。)
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2007年11月14日 (水)

歴史文献にみるかまぼこ

歴史の文献の中で当時のかまぼこのことをうかがい知ることのできる代表的なものを列挙してみた。
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1115年 (永久 3年) 類聚雑要抄 平安後期に書かれたもので、 関白右大臣東三條へ移御の祝宴の膳が図解されていて、現在残っているものの中では最古の記述がある。
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1528年(大永 8年) 宋五大双紙 室町時代(戦国時代)に書かれたもので、「 かまぼこはなまず本なり、蒲の穂をにせたるものなり...」と原料と形態についての記述がある。
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1643年 (寛永20年) 料理物語 江戸前期に書かれたもので、 かまぼこ原料として、たい、はも、たこ、いか、かれい、えび、こち、あじ、みょうきち(ぼら)、いとより、くずな(アマダイ)、しろうお、アワビ、川魚では、みごい、鮭、鯰をあげている。
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1695年 (元禄 8年) 本朝食鑑 江戸中期に書かれたもので、 鯰(なまず)でつくった蒲鉾は下品で品質もあまりよくない。したがってハレの席には出すべきでないとの記述もあるとか...。
西暦1714年の当流改正料理大全という書物にも同様の記述があるらしい
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1728年(享保13年) 料理網目調味抄 江戸中期に書かれたもので「近代杉の板よし。魚、はむよし。勢州より東ははむなきところはたひ、かれひ、あまだひ、藻魚等の諸魚2,3種にいかを交え用ふ。たひは中なるよし。」と原料に当時どういう魚が使われていたかを知ることが出来る。
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1743年(寛保 3年) 本朝世事談議 江戸中期に書かれたもので「魚肉を磨りて細き竹に塗りこれを焼く、そのかたち蒲の穂にたゆるゆへに名付け、今竹輪といふなり、近世は小板に貼ずといへども昔の名を呼ぶなり」とかまぼことちくわの名前についての由来を記しているものがある。
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1752年(宝暦 2年) 摂戦実録大全 江戸中期に書かれたものには、豊臣秀頼公が大阪へ御帰城のとき、途中で馳走をしたと記され今の板蒲鉾の製造法が載っている。(安土桃山時代には、すでに板つけかまぼこが存在したものと窺える記述がある)
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1795年(寛政 7年) 海鰻百珍 江戸後期に書かれたものには南朝の初期につみいれがあったと記されている。
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1843年(天保14年) 貞丈雑記 江戸後期に「蒲の字、カマとすみて読むことなり。田舎びとはガマとにごりていふなり。」と書かれ、地方、下級階層ではカマボコは”ガマボコ”と呼ばれていたらしいことがわかる。
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1951年 (昭和26年) 人間の歴史 昭和中期 安田徳太郎 大和民族の祖先はビルマ方面(ビルマと書かれているのは現在のミャンマーのことであるが)から移住してきた南方民族であることを強調。ビルマ人の風俗、風貌、食生活に共通の点があり、蒲鉾類似の食品も昔からつくられてきたと記述。
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2007年11月 8日 (木)

かまぼこの原料、平成、そしてこれから

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昭和の終わりから、200海里問題が発生し、北洋で生産されていたスケソウスリミの生産ができなくなり、やがて、海外からの輸入品になってゆく。アメリカから、南米、ニュージランド、中国、ベトナム、タイ、インド.ヨーロッパへすりみの生産基地が広がっていった。  
現在、かまぼこの主たる原料は緯度の高いところに生息するスケソウダラなどの底が大半を占めているが、私がこの業界に入った頃から、200海里問題などで、原料の国際化が急速に進んだ。
当時は北海道の陸上すりみと、北洋にて操業していた洋上の母船(マルハや日水といった大手水産会社の船)で製造した洋上すりみの2種類を使用しておればよかった。
しかし、ジョイントベンチャーというものからはじまって、しばらくは原魚の洋上買い付けをしながら、それでも日本の工船ですりみを製造していた時期もあったが、やがて、日本の水産会社も操業ができなくなり、船を海外に売却してしまいダップと呼ばれる完全海外生産に移行してきた。それにともない、練り製品の需要もグローバルになり、生産国、消費国が国際化してきた。 北方系のスケソウダラ中心のすりみだけでなく、タイ、インドといった南方にもすりみ工場ができ、イトヨリ中心の冷凍すりみを輸入するようになった。”surimi”(すりみ)は今や国際語になっている。 私が就職した頃は、すりみはほぼ100%近くが国産であったのだが、20年たたないうちに、輸出と輸入が逆転してしまい、日本は伝統食品原料であるすりみに於いても輸入j国になってしまった。
中国、インドなどかつて新興国あるいは後進国といわれた国が、この数年で経済力をつけて、生産国から消費国に変貌している中では、こうした食料資源は世界中で囲い込みが進む影響を受けていくのではないかと危惧している。 これからまた、十年、二十年と経過すると予測もしていなかった状況になっているのかもしれない。 とにかく、記事を書いている現在に生きている私が考えることのできる範囲は案外狭いのかもしれない。
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2007年11月 7日 (水)

かまぼこの原料、大正時代以後

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その以西底引きも大正、昭和と進むにしたがって衰微し、今では壊滅してしまった。
昭和30年代にはいってこれに替わるものとして北洋のすけそうが注目されるようになり、その冷凍すりみが登場した。
すけそうのすりみはそのまま冷凍したのでは肉が変性し、練り製品原料にならないのだが、それに糖類を加えると冷凍変性が防止されることが判明し、スケソウのすりみに砂糖を加えて冷凍する無塩すりみと塩を加え、すりみに砂糖を加えて冷凍する加塩すりみが開発されて、現在かまぼこの原料の大半を占め、ほとんど全国的に利用されるようになった。特徴がなくなった味といわれる所以はそこにある。

明治時代、地方の原料魚の代表的なものを調べると各地に特色があったようである。

       仙台  キチジ、メヌケ、ドンコ
       東京  ヨシキリザメ
       豊橋  たちうお
       新潟  すけそう
       富山  ノドグロ、トビウオ
       田辺  エソ、ムツ
       瀬戸内 ハモ、エソ、コダイ、ウシノシタ
       松江  トビウオ、ノドグロ
       仙崎  エソ
       宇和島 エソ
       九州  エソ、ホシザメ

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参考文献:「かまぼこの歴史」(志水亘著)

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2007年11月 5日 (月)

かまぼこの原料、明治時代

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初期の頃は江戸時代と別にかわったところは見られない。
明治末期(1907)ころ、東シナ海にトロール漁業(以西海区)が創業され、キダイをはじめとして、ぐち類、にべ、えそ、太刀魚、かながしら、はも、こち、かれい、したびらめ、いさき、むつ、さめなどが漁獲されはじめた。
最初はキダイを目的としてはじめたが資源が枯渇し、グチなど、利用価値が少ない魚種が多くなった。最初にこれに目をつけたのが大阪の蒲鉾業者であった。明治時代には、小田原、明石、および宇和島がかまぼこの主産地であった。それまで、関西ではかまぼこは明石が主産地で、瀬戸内の魚を使っていたが、それがグチに変わり、かまぼこの主産地も、やがて大阪、神戸におかぶを奪われるに至った。
小田原でも、はじめはオキギス、トラギス、ムツ、イサキ、タカベ、スズキなどの近海魚を使っていたが、その資源が枯渇した。資源を三陸地方に求めていたがそれも次第に少なくなり、小田原かまぼこは一時絶滅の危機に追い込まれた。
しかし、この以西もののグチが入荷するようになり、小田原は再興した。
宇和島や九州地方ではエソが主体で、それも近海魚にたよっていたが、その資源が減少し、以西ものに頼らざるを得なくなった。
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参考文献:「かまぼこの歴史」(志水亘著)

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2007年11月 4日 (日)

かまぼこの原料、江戸時代

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宋五大双紙の「かまぼこはなまず本なり....」の記述から鯰が代表原料だったように伝わっているが、それはあまりよい原料でなかったことがあとの記録からも多数見られる。
江戸時代にはハモがもっぱら重視され、ハモのない関東ではタイ、ひらめ、キス類が代用された。その他、かさご、すずき、はた、はぜなど品質ではハモ、アマダイが一位の品質とされていたようである。
サケ、マス、タラ、などの北洋魚やイカ、たこ、えび、あわび、くらげ、なまこ、うになどの無脊椎動物も使われた。
特にイカは叩いてからつかっていたようで、纏まりにくい魚種の場合に入れて足を補強していたようである。
当時は製品の色はあまり関心がなかったとみえて、カツオ、鰯、鯖のような赤身魚や、イトヨリ、ぼら、こち、えい、黒鯛、あじ、にべ、えそ、むつ、かます、さより、しらうお、あらなどの名前も見られる。
さらにかわったところでは、鮑のわた(内臓)、魚卵や、皮、骨まで利用されていたらしい。
さらに、魚肉以外のカモ、ガン、うずら、ひばり、ヤマドリなどの鶏肉や鶏卵が用いられたらしい。
本当に、昔から、かまぼこは地方の独特の味というものがあったようである。
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参考文献 :「かまぼこの歴史」 志水亘著

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