歴史文献にみるかまぼこ
歴史の文献の中で当時のかまぼこのことをうかがい知ることのできる代表的なものを列挙してみた。
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1115年 (永久 3年) 類聚雑要抄 平安後期に書かれたもので、 関白右大臣東三條へ移御の祝宴の膳が図解されていて、現在残っているものの中では最古の記述がある。
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1528年(大永 8年) 宋五大双紙 室町時代(戦国時代)に書かれたもので、「 かまぼこはなまず本なり、蒲の穂をにせたるものなり...」と原料と形態についての記述がある。
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1643年 (寛永20年) 料理物語 江戸前期に書かれたもので、 かまぼこ原料として、たい、はも、たこ、いか、かれい、えび、こち、あじ、みょうきち(ぼら)、いとより、くずな(アマダイ)、しろうお、アワビ、川魚では、みごい、鮭、鯰をあげている。
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1695年 (元禄 8年) 本朝食鑑 江戸中期に書かれたもので、 鯰(なまず)でつくった蒲鉾は下品で品質もあまりよくない。したがってハレの席には出すべきでないとの記述もあるとか...。
西暦1714年の当流改正料理大全という書物にも同様の記述があるらしい
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1728年(享保13年) 料理網目調味抄 江戸中期に書かれたもので「近代杉の板よし。魚、はむよし。勢州より東ははむなきところはたひ、かれひ、あまだひ、藻魚等の諸魚2,3種にいかを交え用ふ。たひは中なるよし。」と原料に当時どういう魚が使われていたかを知ることが出来る。
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1743年(寛保 3年) 本朝世事談議 江戸中期に書かれたもので「魚肉を磨りて細き竹に塗りこれを焼く、そのかたち蒲の穂にたゆるゆへに名付け、今竹輪といふなり、近世は小板に貼ずといへども昔の名を呼ぶなり」とかまぼことちくわの名前についての由来を記しているものがある。
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1752年(宝暦 2年) 摂戦実録大全 江戸中期に書かれたものには、豊臣秀頼公が大阪へ御帰城のとき、途中で馳走をしたと記され今の板蒲鉾の製造法が載っている。(安土桃山時代には、すでに板つけかまぼこが存在したものと窺える記述がある)
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1795年(寛政 7年) 海鰻百珍 江戸後期に書かれたものには南朝の初期につみいれがあったと記されている。
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1843年(天保14年) 貞丈雑記 江戸後期に「蒲の字、カマとすみて読むことなり。田舎びとはガマとにごりていふなり。」と書かれ、地方、下級階層ではカマボコは”ガマボコ”と呼ばれていたらしいことがわかる。
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1951年 (昭和26年) 人間の歴史 昭和中期 安田徳太郎 大和民族の祖先はビルマ方面(ビルマと書かれているのは現在のミャンマーのことであるが)から移住してきた南方民族であることを強調。ビルマ人の風俗、風貌、食生活に共通の点があり、蒲鉾類似の食品も昔からつくられてきたと記述。
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