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2008年7月30日 (水)

最近の犯罪の原点は食にあるのでは

最近の無差別殺傷事件が増加しているのをみていると、本当に情けない気持ちになる。増して他人同士の殺し合いだけでなく、親兄弟や、教師と生徒の間でもこうした事件が起っているのを見ているととても辛い。
また、こうした事件がおこると、テレビではいろんなコメンテーターがいろんな角度からその事件を引起こしている背景を述べようとする。そうすると、教育が悪い、親が悪い、マスコミが悪い、社会が悪い、大人が悪い、ゲームが悪い、ケータイが悪い、貧富の差が悪い、政治が悪い、自動販売機が悪い、ファーストフードが悪い、コンビニが悪い.......と悪いことだらけになってしまう。
しかしながら、基本的には私は、この贅沢な暮らしの中に多くの問題が生じてきているのだと思ってしまう。しかも昔の生活と今の生活を比べてみると、家族が揃って何かをするということが減ってきたことが大きな違いであるように思える。 暮らしは今以上に貧しかった私たちの少年時代ではあるが、食事はだいたい家族そろってテーブルを囲んでいろんなことを喋りながら、大皿に盛った家族共通のおかずに箸をのばして、好き嫌いにかかわらず食べていた。 中には嫌いなものもあったが、親に「食べないと頭がよくならないとか元気がでないとか病気になりやすい」とか適当に脅かされてしぶしぶ食べたりしていた。
だから、好きなものも嫌いなものも一応は口にして、その味や香りなどを知ることが出来たのである。その経験は大きく、子供の頃に苦手だったおかずの味でさえ成長とともに、美味しく感じられるようになることも多々あった。
最近では、家族がばらばらの時間に起きてきては好きなものを食べる。しかも、残さず食べる必要もないので、途中で嫌になれば平気で残す。 だからいったん嫌いだと思った食べ物は一切口にしないので、一生嫌いというパターンになる人も多いように思う。 少なくとも食べ物が貴重であった時代には、残さず食べることで食べ物のありがたみを知り、好き嫌いは身体によくないことを親から毎日教育されていたので、今でも、よそへ料理を食べに行き、皿に料理を残すときに罪悪感を感じてしまうのは私だけではないと思う。
「米粒ひとつひとつに神さんがおるんや.....食べ残したら、米の中の神さんのバチがあたる」なんて言われて育った私も子供に同様に言ってはいるが、この飽食時代には子供たちは、小学校、中学校に行き、外の社会を見ると、親の言っていることが作り事のように思えてきてしまうのであろうか、そうした思いはあまり強くないのではないかと思ってしまう。 食べたくないものは無理して食べなくてもいいし、我慢して食べる必要もないし、好きなものを好きなだけ食べて、嫌いなものや飽きたりしたものは残しておけばよいという食生活を送ってきた子供たちは、もうどんな事にでも挑戦することもないし我慢することもしないのではないだろうか。
それだから、そういう子供は会社にはいっても、嫌だなあと感じたら3年もおれずに辞めてしまう。こんな学校嫌だと思えば学校も行かずにひきこもってしまう。 物事を我慢して乗り越えるという訓練が幼い頃からできていないために何か嫌なことにぶち当たると、それを回避することしか考えられない。 人生は幾多の荒波や壁をこえていくことで自らを成長させ、自らの人生を豊かにしていくものなのに、そういったことに対応しようとしないので、いつまでたっても基本的な精神は子供みたいな大人がどんどん増えてきている。
本当は幼い頃から好きなものの味、嫌いなものの味もすべからく広く経験して身体で覚えておくべきなのに、偏った味に執着してしまい。味の豊かな広がりがわからず、結局、栄養学的には貧しい食生活を送らざるを得なくなるのである。 人間も同じで、いろんな個性を持った人が社会を形成しているのであって、単に嫌いなものは捨てるの思想では、”いじめ”社会をなくすることができない。 嫌いなものも飲み込んで、理解あるいは解釈しようという努力みたいなものもできなくなっているんじゃないかと思ってしまう。
うわべだけ、自分にとって都合のよい好きな人だけとおつきあいするから、みんな成長もせず、ただ、浅い友人関係の中で漂うだけだから、食事と同様で、バランスのとれた人間関係を形成することすらできなくなっている。
特に、日本の四季を風味で感じることができなくなったのも、輸入品にたよった加工食品を中心とした食生活が原因となっているのかもしれない。 
私など、夏であれば、あの夏の盛りに真っ黒に日焼けして、氷水の中で冷やしたトマトをそのままかじって、青臭いにおいと共に感じたあの甘み........耳にはセミの声.....そんな思い出がある昔人間であるが、今の子供たちは、夏も冬も同じ味の甘いアイスクリームや年中あるチョコレートやケーキの上にのった季節感のないイチゴを食べて、食品というものは工業製品のようなものだと思ってしまっているのかもしれない。
やっぱり、どんな忙しい時代がきたとしても、食事はなるべく最低限、家族という一つの単位で一緒に同じものを食べることで、季節感を感じ、偏食を避け、食べるということから人生のいろんなことを自然に学んでいくのではないだろうか?子供も親も好き勝手に生きている時代........反省すべき時に来ているのではないだろうか20071116_kama_img

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