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2009年1月28日 (水)

エチオピアの話

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主に舞鶴の天ぷら(揚げかまぼこ)には、板かまぼこに使われるような白くて弾力のすぐれた魚だけが選ばれるわけではなく、少々色が黒くても味の強い魚が使われたりする。
舞鶴漁港で獲れるいろんな魚をすりみにしてかまぼこを製造しているのであるが、中には正式な名称のわからない魚種や見たことのない魚に出会うこともある。
名前のわからない魚がいるとデジカメで撮影して、地元にある京都大学の水産研究所の益田先生にメールを送って名前を教えていただいている。
今回、その中のひとつを紹介するのだが、この魚の名前をご存知の方は、比較的少ないと思うが、正式名は”シマガツオ”であり、別名”エチオピア”と呼ばれているそうである。
益田先生は市内の料理屋でその”エチオピア”を刺身にしてもらって食べたことがあるそうで、結構脂がのっていけてたそうである。
さて、そのエチオピアであるが、なんでこんな俗称がついているのか不思議に思っていたら、本日の新聞に、京都大学水産実験所の上野さんが『日本海に遊ぶ----エチオピア』というタイトルで書いておられるコラムをたまたま発見した。
以下、非常に興味深かったので、上野先生の投稿文の一部を引用し、紹介させていただきたい。
『世界恐慌の嵐が吹き荒れていた昭和のはじめ、植民地支配をもくろむイタリアの攻撃を受けていたエチオピアは、戦局を乗り切るために日本との友好を深めようとします。当時、有色人種の国はほとんどが欧米の植民地。日本とエチオピアだけが皇室を中心とした独立国だったので、即位したばかりの皇帝ハイレ・セラシュが積極的な対日外交を命じます。この皇帝の名前はローマ、東京と五輪のマラソンを連覇したアベベ選手とセットで記憶している方が多いかもしれませんね。当時の日本は欧米中心の国際連盟で孤立を深めていましたので遠いエチオピアからの友好申し入れを大歓迎。ついにはエチオピア皇子と華族のお嬢さんが婚約するなんて騒ぎになります。エチオピアブームで日本が騒いでいたちょうどその頃、相模湾でシマガツオの大漁が続き、黒くて強そうなこの魚を築地の若い衆がエチオピアと呼び始めたのだそうです。アジアとアフリカを結んだ友情は、こともあろうに日本の裏切りであっけなく潰えてしまいます。日本が占領した満州を認める代わりに、エチオピア侵略を認めろというイタリアの提案にのって日本はイタリアと同盟。日本の後ろ盾をなくしたエチオピアはあっという間に占領されたのです。国や政治家に信義なんか無いってシマガツオの悲しそうな眼は訴えているのかも』

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