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2010年6月25日 (金)

舞鶴蒲鉾協同組合の事務所(その1)

昭和47年10月13日、払い込み済み出資金 3420万円(組合員数14名)で舞鶴蒲鉾協同組合が設置された。(昭和55年には7500万円に増資された。)
その一年後、昭和48年4月7日に組合の事務所、冷蔵庫、倉庫などが現在の組合敷地に建設されている。 竣工式当時の組合の役職員の写真が残されている。
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ご存命の方もおられるが、写真に写っている半分近い方が鬼籍に入られている。
特に最前列中央の宮越氏は私が組合に入社(昭和54年)したときの理事長であり、最前列最右に座しておられる嶋田氏(当時の理事の中では若かった)は、私が参事として20年近くおつかえした最も思い出深い理事長である。二人とも、すでにお亡くなりになっておられるが、思い出があまりに多く、写真を見るたびに目頭が熱くなる。
 その嶋田氏の横に座っておられるのが、現在も存命中の山下氏である。
当時、山源という舞鶴市内で一番の人気店であったかまぼこ屋社長であり、組合では宮越理事長と嶋田理事長の間の3期6年の間、理事長をつとめられた方である。 港湾道路の開通で立ち退き要請を行政から受けた際、諸般の事情により多くの市民に惜しまれながら、山源廃業の決断をされた。(平成16年)
 その山下氏の横は、かつての組合専務理事をしておられた吉田氏である。たいへん厳しい上司であったが、わたしはこの人によって苦労して学ばせていただいたことがずいぶんん多かったと思っている。 舞鶴蒲鉾協同組合の組織の骨組みはこの吉田氏によってできたといっても過言ではないだろう。また、2段目の最左側に立っておられるのが嶋岩の先代社長である。 私が組合に入社してから、存命中は、格別に可愛がっていただいて、よく京阪神へ営業に連れて行っていただき、公私共にお世話になった。 とにかく見ていると、それぞれに思い出がありここでは書き尽くせないものがある。

初代組合の収支予算書が残っているが、それをみると、事業収入は6億8千万円となっており、現在の組合の事業収入よりも多い。(組合員数が現在5名であるが、当時は14名であったことで、組合員数の規模からすると約3分の1になっているので仕方のないことといえば仕方ないのだが)

当時の資金計画を見ていると、土地代として1500万円(取得費用123万円は別)、建物代として3225万円、冷蔵庫設備に1000万円、その他の設備に1400万円、当時の運転資金として1500万円程度を見込んでいる。その他もろもろで9000万円程度の資金が必要だったようであり、その約半分は高度化資金を活用して、残りを払込出資金と銀行の長期借入でまかなうということになっていたようである。
当時の組合には、組合員が協同で使えるような真空包装機械や冷却装置なども配備されていたようである。(後に真空包装機、冷却機は組合員さんに払い下げられたようである)

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