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2017年2月 3日 (金)

かまぼこ百科 最終稿


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かまぼこのことを、このコラムに連載させていただくお話をいただいて、ほぼ月に一度のペースで原稿を書いてきたが、はや4年の歳月が過ぎようとしている。

 私も、還暦となり、会社でいうところの一応の区切りを迎えたばかりである。 大学を出てから、他の食品会社に在籍した年数や現在の舞鶴かまぼこ協同組合で働いた年数を加えると、ほぼ37年となるが、この間、ずっと食品関係の仕事をしてきたことになる。

 もちろん、共働きの両親のもとで育った私には、食品会社とはほとんど無縁であったと言ってよいが、元来、食べたり呑んだりすることが大好きな人間であり、後から考えると自分にとってはこれこそが天職であったのかもしれないと思えてくる。

 わが業界にも、これから、天変地異ともいえる自分たちの力ではどうしようもないような地球規模の動きが少なからず影響を及ぼしてくるだろうと思われる。 海の環境と資源問題もそうであるし、国家間の食糧の争奪もそうであるし、エネルギー問題や、あってはならない国と国との係争事、経済のうねり、などもそうであろう。

 思えば、私が舞鶴のかまぼこ業界に身を置くようになった頃、組合員の会社は14社もあったし、さらに、現組合の前身であるかまぼこ水産加工業協同組合が設立されたころ(昭和25年)は26社があったといわれている。

 私が定年となった今では、組合員企業の数はわずか5社のみとなっている。

10年先、50年先はどうなっているだろうかと思うと気が遠くなりそうだが、その時代、その時代の大きなうねりの中で、波に乗るか、波間にのみこまれてしまうか………先のことは誰もわからない。

 ただ、かまぼこという食べものは、900年以上も日本人に食べ続けられてきたわけであり、これまでも幾多の時代の波が押し寄せてきた中でも、生き残ってきたことを考えると、私がこの業界にお世話になったわずか数十年のことだけで未来を予測するのは、かまぼこに対して、あまりにも失礼ではないかと思うようになった。

 魚という動物蛋白から、有用な塩に溶ける蛋白質をとりだし、それらを細かい分子構造の組織にして、繊維状になったたんぱく質をからめて熱でかためた加工食品……….これがかまぼこの姿であり、魚のもっているタンパク質や有効成分をそのまま引き継いで、いつでも簡便に食べることができる食品である“かまぼこ”は、これからも日本人の食卓から消えてなくなることはないと信じたい。

 三十余年もの長きにわたり、舞鶴かまぼこに関わって仕事ができたことは、本当に幸せであったと思うし、これからも生ある限り、見守っていきたいと思う。

 舞鶴かまぼこ百科への投稿記事も、まだまだ、中国へ技術指導にいった思い出や、商品開発にかかわった思い出だとか舞鶴かまぼこの営業に全国行脚した思い出など、他にも色々とあり、話題は尽きないが、冒頭で述べたように、私自身の区切りとなる年がやってきたことを契機に、ほぼ4年にわたり、浅学な私の投稿記事を読んでいただいた読者の皆様と、投稿の場を与えてくださった舞鶴市民新聞のスタッフの皆様方に感謝を申し上げつつ、いったん、幕を下ろしたいと思う。 本当に長い間、ありがとうございました。(完)
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舞鶴かまぼこのこだわり   かまぼこ百科㊸

 私がこの業界に足を踏み入れた35年ほど前までは、まだ、舞鶴のかまぼこ屋さんは、それぞれ各社で生すりみ加工を行っていた。 北洋のスケソウダラを原料とする冷凍すりみ技術が完成し、全国流通するようになると、ほとんどのかまぼこ屋さんは、冷凍すりみに依存し、面倒な鮮魚生すりみ加工からは足を洗っていった。

 そんな中、鮮魚からつくるかまぼこの伝統の味を忘れてはいけないというかたくなな先人の意思もあり、舞鶴では相変わらず昔ながらの伝統の製法を残し続けていたのである。

 つまり、その頃は、組合はかまぼこ屋さんである組合員さんに、必要なだけ鮮魚を供給して、組合員さんが、それぞれの工場で、魚の頭、内臓、骨、皮を取り除いて、魚の身だけを取り出し、それを水で晒して、脱水して、かまぼこの原料となるすりみを製造し、それをさらに加工してかまぼこにするという一連の工程を受け持っていたわけである。

 私が業界にお世話になることを決めたころ、当時のかまぼこ屋さんに行くと、薄暗いよ

うな部屋で、女工さんが魚の頭を切っている姿を見かけたし、工場の床には、魚の頭や内

臓が落ちていたり、魚の血が流れていたりして、工場そのものが生臭かったのを覚えてい

る。

 組合の職員であった私も、近くに漁師町があるとはいえ、こんな環境の職場には、おそ

らく将来、若い人が働きにきてくれないのではないかという不安を抱いていた。

この生すり身の加工を衛生的で機械化された工場で一括しておこなうことができれば、組合員の工場は衛生的になり、わずらわしい鮮魚の買付、加工に時間をとられなくて済むのではと考えた当時の役職員が、長年の構想をベースに、舞鶴市和田の水産加工センター(協)内に、昭和54年に組合の生スリミ生産直営工業を建設したのであった。

 だが、舞鶴かまぼこ協同組合として、加工センターの排水処理施設などを含めて数億円の投資をして建設した最新の施設“すりみ工場”も、すでに34年目をむかえ、あちこちが老朽化してきているのが現状である。

 舞鶴かまぼこのこだわりは“生すりみ”にありというくらい、この地元の鮮魚からつくる生すりみを舞鶴かまぼこに配合することそのものが舞鶴かまぼこの“こだわり”であり、この伝統の製法をこれからもひき続いて受け継いでいく為には、老朽化してきたすりみ工場を建て替え、いつか“新”すりみ工場の建設していかねばという思いもある。

舞鶴市民にこれだけ愛されて育てられてきた“舞鶴かまぼこ”の伝統の味をそう簡単に消し去るわけにはいかないからである。

伝統を守るということは、現在の社会情勢、自然環境の中では、それなりに厳しい道のりであることも予想される。

 すりみ工場は、現在、自動ラインの処理機械を配し、女子従業員と工場長数名で運営している。 この職場に夢を与えることができるかどうか、一番にリスクと感じていてるのは地元の漁業資源の将来であり、最近の漁獲量の低迷には大いに不安を抱かざるを得ないのである。

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かまぼこ900年の歴史   かまぼこ百科㊹

 かまぼこが初めて我が国の文献に登場したのは西暦1115年、関白右大臣の祝宴の膳に挿絵入りで登場していることは、このシリーズの最初の投稿で述べた。

 つまりそれから数えても、今年はちょうど900年目にあたるわけである。 おそらく文献に出る少し前には、世の中に“かまぼこ”が登場していたと思われるので、想像するに1000年近く前に日本人が発明し、日本人が食べ続けてきた加工食品ということができる。

 さて、日本の伝統食品の代表格といえば、かまぼこの他に、味噌、納豆、豆腐などといったものがあるが、味噌そのものの発祥は中国であり、実際いつごろ日本に伝わってきたのかということは、諸説ありはっきりしないそうである。

 しかし、巷の間で、味噌汁が広まったのは西暦1400年ごろであると言われているので、それから数えて615年目ということになる。

 また、現在、我々が普通に食べている糸ひき納豆は、できたのが西暦1500年頃といわれているので、今年で515年ということになるそうである。

 豆腐については、西暦1183年の奈良の春日大社の神主さんの日記にはじめて登場していることから数えても今年が832年目ということになる。

 こうした日本の他の伝統食品と比較しても、かまぼこがいかに古い歴史をもっているかがおわかりいただけると思う。

 現在、かまぼこがはじめて文献に登場してから900年の今年は、かまぼこ組合の全国組織である全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会(略して全蒲と呼んでいる)では、かまぼこ900年のお祝いと感謝の意味を含めた色んな催しを全国で実施するように呼び掛けている。 かまぼことちくわのキャラクターである“かまぴー”と“ちっくる”をあしらったピンバッチなども作り、全国のかまぼこ関係者がそれを身につけて、話題性を広げていこうというようなことも実施している。

 ここ舞鶴でも、今年は、いろんなイベントを実施する中で、“かまぼこ900年”を祝して、長く続いてきたご愛顧に感謝をしていかねばいけないと考えている。

 現在発見されているかまぼこが掲載された最古の文献「類聚雑要抄」には、図の中にさしみのようなものもたくさん見られる事から、当時の海の魚である“タイ”や“ヒラメ”といった魚が海水容器詰めで、川を伝って京の都に運び込まれていたのではないかと想像することができる。

 古くは、かまぼこの原料も、海水魚だけでなく、淡水魚である鯉、ナマズなども使われていたようであるが、淡水魚を使わずに、こうした海水魚が原料として使われるようになると、かまぼこの味や品質も格段の向上が見られたのではないかと想像する。

 京都の祇園祭の時期に欠かせないハモ料理も、海のない京都市内で生きのよい魚を食べるためには、ハモのような生命力の強い魚に依存していた伝統が残されているからかもしれない。 今年、全蒲では、かまぼこの登場した最古の文献の舞台となった

古都、京都において、老舗料理店のご協力を得て、当時のかまぼこ

や料理を再現しようという計画もたてているようである。

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舞鶴かまぼこ手作り体験工房    かまぼこ百科㊸

 最近、旅行も発地型から着地型のものに変化し、以前のような団体旅行のいわゆる物見遊山型から、少人数の参加体験型の観光に様変わりしているようである。

 そこで、以前から、舞鶴の名産加工品である“かまぼこ”の製造体験を観光客にしていただくことのできる施設があれば、そうした地域の観光資源の一つになりえるのでないかと思っていた。 過去には、かまぼこ生産者の工場の一角を借りて、小中学生にかまぼこの製造の真似事のような体験をしていただりしてもらったことがあるが、現場の機械器具をお借りしながらの作業なので、何かとスムーズにゆかず、体験のお世話している我々もかまぼこ屋さんの仕事の邪魔をしているようで、なかなかうまくいかなかった経験があった。

 また、そういう体験施設を別に作ることに対しては、費用対効果という意味合いから、なかなか組合として設置に踏み切ることができずにいたわけであるが、舞鶴市のチャレンジファンドという制度があることを知り、この体験施設が“舞鶴の観光にとってぜひとも必要であり、舞鶴のかまぼこ業界にとっても宣伝効果があるので、ぜひ投資をしていただきたい”という熱いプレゼンテーションを行い、幸いにもそれが市に認められ、平成25年の春に組合の倉庫の一部を改造し、体験ができる機械器具を導入し、“舞鶴かまぼこ手作り体験工房”が立ち上げることができたのであった。

 当面は、組合の職員の中で、かまぼこなどの技術を理解し、ある程度、現場経験のある私が先生となって、お越しいただいた観光客(生徒)に、かまぼこのことを楽しく教え、実際に手作りをしていただき、その場で製品にして、できたての味をたのしんでいただく仕組みをつくりあげたが、それがが平成25年5月のことであった。

 それから、一年間は、一日10人までという限られたスペースで体験をしていただいていたが、独自で宣伝もしながら、まいづる広域観光公社への予約客や取引先の研修に利用していただいたりしたため、初年度とはいえ、年間で250名ほどのお客様に手づくり体験をしていただいた。

 しかしながら、定員10名という枠をはずさないことには、ちょっとした団体のお客様を逃がしてしまうことになる為、開業後一年経過したところで、思い切って一度に20名以上収容できるように倉庫を改造してスペースをひろげた。

また、作業台や、体験用具などを人数分揃え、壁一面に「かまぼこができるまで」のLED付きの大型パネル(オリジナル)を作って設置し、製造工程の説明が眼で見ながら理解できるようにした。 また、今後、舞鶴も海外からの観光客も増えることを想定し、体験工房内の表示という表示はすべて英語表記をすることにした。

 その甲斐あって、2年目は4月からの約半年で初年度の来客数を超えてしまった。

 当初は子供が多いのではないかと予想していたが、これまでのところでは、大人の方が圧倒的に多く、しかも、少ないだろうと予想していた20歳代のお客様がけっこう増えている。 彼らの多くはインターネットを通じて工房のことを知り、体験の申し込みをしてくれていることもわかった。 工房に来た観光客に、ここでもいろんな情報を流すことができるし、逆にお客様から、舞鶴の観光について生の声を聴くこともできるので、なかなかやりがいのある仕事に思えてきている今日このごろである。

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海外かまぼこ事情 韓国編その1 かまぼこ百科㉞から㊷

 

かまぼこ百科 34 海外かまぼこ事情 韓国編①

 

 

 

 平成19年64日 関西空港から韓国ソウルにむけて飛び立った。

 

今回私が会社の有給休暇をとってまで、韓国へ飛ばなくてはならなくなったかについて、少しだけ触れておこう。

 

 韓国の大手企業であるT社では現在の自社の練り製品の付加価値をたかめたいという思いがあり、品質向上と生産技術などにアドバイスしてくれる人間を探していたらしい。日本でその技術者を探していた韓国企業の最高責任者がB常務であり、実は彼が以前、別の会社に勤務していたころ、丸大食品の研究所長であったS氏と親交があったため、丸大食品に技術者派遣の相談にこられたらしい。

 

 しかし、丸大食品は現在、その韓国企業とは取引関係にないため、社内から人を派遣することはできず、S氏にとって、最初にひらめいた人間が、たまたま、かつての中央研究所時代の後輩でもあり、現在もかまぼこ組合という練り業界に在籍している私という人間であったというだけのことである。

 

 ダイレクトに携帯電話にてこの話を受けた時には、「わたしで指導できるようなことなのだろうか?どういった点が技術的に問題になっているのか?」と尋ねたが、はっきりせず

 

「とにかく一度来て、見てほしい」というレベルの話であった。

 

 雲をつかむような話だったし、最初はお断りしたが、また再度連絡がはいり、「具体的に問題を提起するので、その点を解決するために来てもらえないか」との話になってきた。

 

 とにかく、語学も達者でないし、食品加工技術といっても、もう技術者としての最前線から離れて10年以上も経過している以上、私一人では不可能であると再度断った。

 

 これでもう話は流れたと思っていたら、今度は「食品コンサルの中塚氏とだったら一緒に行ってくれるか?」ということだったので、そこまで必要とされているのならということで、とうとう「中塚氏が同行してくれて、韓国企業との交渉窓口になってくれるなら行ってもいい」と返事をしてしまったのだった。 

 

 以後、中塚氏が私のメールを英語に翻訳して韓国企業に送ってくれたり、私のかわりにB常務とも東京で直接に会っていただいて、今回の韓国企業のニーズの把握や、韓国へ行くための段取りをすべてしていただいたのである。 ここまで彼にお世話になって、行かないというのも悪いし、もう後へはひけなくなったのであった。

 

 出発一月前になってはじめて、事前質問の用紙がメールで送られてきた。思った以上に難問も多く、それから数週間は仕事から帰ると家でもレポート作成や資料集めにかなり時間を割いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科35 海外かまぼこ事業 韓国編②

 

 

 

とにかく、無事出発すると、遅い昼食は早速、機内サービスのお弁当となり、壁面のテレビで現在飛行している位置を確認する。

 

その後瀬戸内海をしばらく横切っていたと思うと途中で北上し、島根あたりの上空から日本海にはいった。もちろん画面モニターは日本海でなく東海(イーストシー)と表記されてる。ふと現地でこうした話題から日本人と韓国人とのちょっとした感情のもつれがないことを祈る気持ちになった。

 

 到着時間が1時間遅れて、現地で空港に迎えにきてくれているスタッフは待ちぼうけをくらってるんじゃないかと心配するが、中塚氏は心配しなくても現地にすでに遅延の情報が行っているだろうというのでいらぬ心配はしないことにした。

 

韓国のソウルの仁川国際空港は、ちょうど関西空港のようにひとつの島になっているが、空港の広さは関西空港とは比較にならないほど広かった。

 

 ちょうど大阪の伊丹空港に相当するのが韓国の金浦空港であり、関西空港に相当するのがこの仁川空港である。 ようやく韓国に着陸し、空港出口に向かい英語の名前の書いたプラカードを差し出している人が10人ほどいたので、自分たちの名前の書いたカードを持っている人を探す。ずーっと目を人の列にそって流していくと、あったあった。

 

 M.Tsuji のプラカードを差し出している人を発見!なんと挨拶したらいいのだろうと思っているうちに、中塚氏が流暢な英語で話しかけていた。 航空便が遅れたのでお詫びと迎えのお礼を言っているのはわかった。

 

 車にのってソウル市内まで役1時間近く高速道路を走る中、名刺交換し、彼が李さんという研究員であることを知る。その上で、自己紹介をし、中塚氏が最初に”(辻さんは英語が喋れません)Mr.Tsuji can not speak English”と私が日本語しか話せないことを伝えた。

 

 そのため、それ以後の会話は李さんと中塚氏だけの会話となり、私は完全に部外者となり、なんだか寂しい感じもした。「俺だって、10年近く学校で英語を習ってきたのに…….」と日本の英語教育の貧弱さをつくづく感じしてしまった。

 

 中塚氏は、大阪大学の工学部を卒業しているが、別に英語に関して私とは違う特別のことをしたわけでもないのに、この差(喋れるのと喋れないの差)はどこからきているのかが気になって、後で聞いたのだが、彼は神戸に生まれ育ったせいで、幼少のころから外国の人との交流が多く、外国語を喋ることに抵抗がなかったし、学生時代に英会話のサークルのようなものにも加入していたことがあると聞き、納得した。

 

とにかく、社内の会話を隣で聞いていて、李さんの年齢が33歳で、親兄弟と高速道路沿いのマンションに住んでいて、会社までの通勤に毎日2時間かけていることがわかった。したがって、彼は独身であることもわかったのである。

 

 

 

 

 

かまぼこ百科36 海外かまぼこ事情 韓国編③ 

 

 

 

李氏は、日本には3度(福岡、宇部、東京?)来ており、Y社にも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。 私はY社の機械カタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。

 

車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつてかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。

 

N氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。 結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。 

 

しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加していったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。

 

 中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私は仁川空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。

 

工場から、ホテルまで運ばれ、ここにいったん大きな荷物を置いたあと、いよいよT社の工場に向かうことになった。 工場へ行くまでの道は、セントラルパークのような美しい公園の池のまわりを回っている道路(休日には外国から来た人であふれる観光地らしい)を通って、わざわざ遠回りして、工場まで連れていってもらった。

 

公園近くの道を抜けると、また幹線道路に出て、工場までの道はまた、広々としてきた。ここソウル近郊の道路は非常に広くゆったりと作ってあるので、道路はみな高速道路に思えてしまうくらいであった。 また、行き交う自動車も、日本車こそ少ないものの、その大きさや形態は日本車と似ているため、車が右側を走ることに違和感こそ感じたが、それ以外はまるで日本のハイウエーを走っているのと同じであった。

 

 相変わらず車の中で、案内人の李さんは中塚氏といろいろとコミュニケーションを繰り返して、気心が合ったようで、笑顔で語り合うまでになっていた。

 

 しかも、工場に着いて、目の前にそびえたっている五階建ての巨大なビルが、その工場だとわかったとたん、軽いめまいがした。「こんな大規模な工場にこれから入り込んで、私は彼らにどんな指導ができるのだろうか?」という不安と、おそらく主力になっているかもしれないカニ足ラインについての詳細なノウハウを持ち合わせていないことの不安が重なり、中塚氏の笑顔をよそにどんどんと顔がこわばってくるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科37 海外かまぼこ事情 韓国編④

 

 

 

 ハングル語で工場入り口の看板に大きな字が書かれていて、その内容はわからなかったが、ISO9001HACCPというような数字が見えたので、この工場はすでにHACCPISOを取得しているのだということがわかった。中塚氏もこれを見て、さすがに「私たちに指導できるようなことはあるんだろか?」と冗談まぎれに私に言うので、よけいに不安になってきた。 アシアナ航空の飛行機が遅れたことにより工場到着の時間も予定よりも1時間以上遅れたことから、工場に着いたのは夕方の五時近くであった。初日の打ち合わせの時間も相当遅くなりそうに感じた。

 

 手前の大きなビルは原料冷凍庫などの施設であることが後でわかった。その裏には工場棟がコの字型にあり、地上三階建ての工場になっていて、私たちは最初、その工場の三階部分にある研修室のようなところに案内された。(しかし翌日、この工場は地下二階から製造ラインがあることを知り、結局、五階構造であることを知った。)

 

 そこで、英語を中心に明日以降のスケジュールの打ち合わせをした。

 

しばらくして、工場の製造責任者(日本でいう製造課長)昔氏を紹介された。

 

工場長は人当たりのいい感じの方だったが、昔氏は気が強そうに感じた。最初から名刺交換したのは工場長だけで、昔氏に名刺を渡しても彼は私に名刺をくれなかった。

 

とにかく、あちらのスケジュール表にあわせなければならなかったが、中塚氏と相談して、正直に“ミスター辻の会社では、板かまぼこ、あげもの、ちくわ、それに原料の生すりみしか現在は、生産していないので、カニ足ラインに関しては、指導できない。魚肉ソーセージのラインについては、以前に彼は丸大食品で開発部門にいた経験があるので、指導はできるだろう”と英語で説明してもらった。 あちらからの、スケジュールでは、朝から夕方近くまで工場に入って、我々が直接、現地で技術指導をすることになっていたが、1日しか時間がないため、事前に私に投げかけられている技術的な問題の解決方法や、工場を見た後での我々の意見や改良点などのアドバイス、上席をいれた新製品開発の話などの時間を持つと、それでは時間が足らなくなるということで、彼らとの意見調整し、2日目の工場視察指導の時間は、午前中いっぱいで終えることに変更した。

 

 とりあえず、話し合いがまとまったのが午後7時ごろで、夕食をとることになり、いったんホテルまで送っていただき小荷物を置かせてもらってから、夕食をとる店までの送り迎えをすべて社員の方にしてしいただき、まるで殿様になったような気分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科38 海外かまぼこ事情⑦韓国編(7月掲載)

 

 

 

 朝食を食べながら、リラックスして迎えが来る予定の午前830にパソコンなどの商売道具を入れたカバンを持ってロビーで待っていると、昨日からずっと一緒にいてくれている李さんが迎えに来てくれた。 中塚氏とは、旧知の友のように親しく挨拶して握手までして、さらにお互いの携帯番号の交換などをしていたが、残念ながら私はほとんど無視されてしまい、また、テンションが下がるのを感じてしまった。 昨夜覚えた韓国語を緊張しながら、少し喋って笑いを誘おうとしたが、逆に“グッドモーニング”と韓国スタッフに英語で答えられてしまい、益々しらけてしまった。<不器用な日本人ここにあり!>

 

 工場に着くと、昨夜、一緒に夕食をとった工場のスタッフが笑顔で迎えてくれ、初めてお会いした人に“アニョハセヨ”と元気よく挨拶すると、“おはようございます”と返事が返ってきてびっくりするとともに、その人がキム氏(海外事業部貿易チーム部長代理)であり、本日の日本語翻訳をしてくれる強い味方であることがわかった。

 

 昨日、一日中、中塚氏以外の人とは日本語を話すことのなかった自分にとって、日本語が自由に話せる環境は天国に近いものだった。とたんに元気がでてきた。<単純な日本人ここにあり!>

 

 昨夜、中塚氏とも話し合って、「もし時間が足らないのなら、3日目の午前中もディスカッションの時間をとってもいい。 日本への帰国の飛行機便をひとつ遅らせてもいい。もし、それを望まれるのならそちらで航空券を手配しなおしてほしい」と申し出たが、数分間、別室で協議してから、部屋に戻ってきたキム氏が「もし、時間が足らなくて、積み残した分があっても、また、レポートで日本にお帰りになってから提出していただいても結構なので、とりあえず、予定どおりでやりましょう」と言った。

 

 まず、3階のベランダから、おおまかな工場の構成を教えてもらう。 日本でこれと同規模の工場を作ろうとすれば、かなり広大な敷地が必要であろうが、彼らの工場は縦に積みあがっているため、敷地としてはさほどでもない。(ソウル近郊もまとまった土地は少ないのか、あるいは地価が高いのかもしれない。)

 

 ビルを改造したり、隣のビルとつなげたりということで以前は工場ではなかったスペースまで現在は工場になっているのだという説明を受けた。

 

 最初は地下2階にあるカニ足ラインを見ることにした。 日本製のボールカッター、サイレントカッターから練成肉がホッパーに移されるのを横目で見ながら、パレットに積まれているすりみを見た。 すりみの種類と等級は、イトヨリやタチウオの下級すりみであるということであった。 澱粉は水で溶いて入れていないように見えたので、“水で溶解させてから投入したほうが粉立ちがなく工場が汚染されなくていいし、澱粉の練りこみも均一になる”と指導したが、二等粉と一等粉があって、一等粉は水で溶いて入れているが、二等粉は作業性が悪くて、そのまま投入しているのだという。(少し意味がわからず、後のディスカッションへ、持ち越すことにする。) 

 

(9月予定)

 

かまぼこ百科39 海外かまぼこ事情⑧韓国編

 

 

 

カニスティックの加熱ラインはドラムからスチームが出る機械がすでに導入してあり、数ヶ月前に日本の大手、姫路のヤマサを視察したときに見たものと構造は同じであった。

 

 ただ、日本のドラムスティーマーの上のシートと比較してもそれは、若干、褐色かかり、シートには無数の穴が開いていた。 なぜ、こんなに穴だらけなのか?と聞いたが、逆にどうすれば、気泡を防止できるのか?と逆に問われ「バキュームカッターの真空圧が低いのでは?」と答えると「以前に、圧を変えてやってみたが同じことだった」と言うので、「じゃあ、練り肉に問題があるのかもしれない」と答えると「どんな配合にすればいいか」と聞いてくる。「日本では、カニアシの良品を生産しているメーカーはスケソウの上級すりみを使用している。イトヨリと混ぜているメーカーもあるが、シート適正はイトヨリはあまりよくないのではないかと私は思う。スケソウの配合を増やすことで解決できると思う」などとアドバイスと質問の応酬が始まった。彼らも興味をもった部分については、私の意見を聞いて熱心にメモをとったり、大きくうなずいたりしていた。結局、アドバイスなど、それほどできないだろうと思っていたカニ足ラインでさえ、最初からかなり時間をくうことになり、精神的には少し楽になっていった。 また、工場スタッフからの質問で「日本のかまぼこメーカーと比較して機械などの能力はどうか?」とよく聞かれたので、「概ね、機械等は日本のかまぼこメーカーの使用しているものと同等かそれ以上だ」と答えておいた。

 

 彼らのすばらしいところは、真面目に工場衛生を考えて取り組んでいることであった。

 

ハンドブラシで爪の中を洗浄し、手を洗い、殺菌液に浸したタオルを手で絞り、紫外線殺菌のついたエアーで手を乾かし、クリーンローラーで体の異物を取り除いてから殺菌液のはいった水溜りに足を入れ、エアーシャワー室にはいってから、さらに殺菌槽に足を入れて製造場に入る。 手で触る箇所のドアノブなどは殺菌液を含ませたタオルで巻いてあるなどの、かつて上野製薬あたりが日本のかまぼこメーカーに衛生指導をしていたころのマニュアルがそのまま守られていた。 さらに逆走できないように、中側のドアノブは切り落とされていた。 これをみても、単にあつらえたものを買ったのではなく、自分たちでそれなりに工夫をして真面目に取り組んでいる様子が伺えた。

 

エアーシャワーなどの装置も、買ってきたものだけではなく、見栄えはよくないが、日本で見てきたものを自分たちでオリジナルで作っていた箇所もあり、ハードは金で買ってくればいいというような思想だと思っていた自分が、少し勘違いしていると反省した次第である。 トイレにはいっても、私は手洗いの水道の蛇口をつかんで思わずひねろうとしたが、一緒にはいっていた中塚氏に「衛生指導に来ていて、そんなことじゃ駄目ですね」とひやかされ、足ふみで水が出てくる仕組みであることに気がつき、少し恥ずかしい思いをした。 もちろん、日本の企業であれば、そういう装置ならもともと蛇口などひねらないようにできている筈であり、これも、通常の水道を改造して使っていた彼らのオリジナリティを理解してないことから起こったハプニングなのであった。

 

 

 

かまぼこ百科40 海外かまぼこ事情⑨韓国編(10月予定)

 

 

 

地下2階から1階へ行き、同じように先ほどの入室作業を繰り返して中に入ると、そこは揚げかまぼこの製造ラインが整然とならんでいた。

 

揚げかまぼこは、5ラインくらいの揚げライン(ほとんど二槽式であったが、通常の平天スタイルのものは、一槽式で揚げているようだった。)主原料は韓国語で記載されたすりみ(これが質問状の中でどんな原料を意味するのか不明だったのだが、現地でやっと太刀魚のすりみを意味していることが判明)であった。

 

 工場スタッフに聞くと、太刀魚すりみはベトナムからの輸入品であるとのことだった。これは日本では増量剤程度にしか使われていないすりみである。 一度、私の検査室でも調べてみたが、数値として計測できないような格外品であったのを覚えている。 澱粉配合率を聞いてみたが、平然として「20%です」と言っていた。でん粉配合率の高さに驚いてしまった。(舞鶴かまぼこの10倍以上のでんぷんが配合されている)

 

 平天といっても、韓国のそれは、成型機から出てくる厚みが数ミリのシート状のものであり、油槽から揚ってくる姿は、日本で言うところの“きつねうどんにいれるお揚げさん”のように見えるものであった。

 

 あとで試食もしたが、非常に食感が硬い。とても日本人の生食ニーズにはこたえられない品質であった。 まだ、揚げ物はかたくても食べれるが、板かまぼこはまさにゴムを齧っているようなもので、これは日本人の私としては食えたものではなかった。

 

 今回、品質向上のためにもアドバイス、指導をしてくださいということで呼ばれたわけであるが、韓国市場では、やわらかくすると不良品と見られまったく売れないという話を聞くと「じゃあ、あなたがたの目指す高品質とはどんな商品のことをいうのか」と何度も聞いて意見がぶつかった。 これは昼からのディスカッションでも、時間をとった問題であり、いろんな意味で日本と韓国の食文化の違いを認識せざるを得なかった。

 

 問題点は、成型時の重量バラつきをどうしたら解消できるかとか、この商品にはどんな魚種のすりみ、真空商品の殺菌条件、冷却条件、それに商品の冷却後の水分除去などの問題についても詳細にわたっての指導を行った。 現地から、それぞれの工程の機械等をリスト化してモバイルパソコンに入れてきたので、それも役立った。

 

だが、今日一日だけの現地指導であり、私の言ったことが検証されるのは後日になる。もし、私が指導して帰ったことを実際にやってみて、問題が解消されなければ、もう私の指導者としての意味はなくなるだろう。

 

結局、技術者としては、本当なら現場にはりついて、もう少しの間、試行錯誤を繰り返してみたいという欲求が高まったのは事実であった。(冷静に考えれば、まじめにそこまで

 

労力を提供する必要もないのだが、やはり元々技術者であった血が騒ぐのであった。)

 

 

 

 

 

かまぼこ百科41 海外かまぼこ事情⑩韓国編(11月予定)

 

 

 

 これだけの大きな工場の中に、かまぼこの成型機と蒸しの部屋があったが、失礼な言い方かもしれないが、かまぼこ最大手、紀文の工場の中に家族経営の蒲鉾屋さんが使っている機械があるというようなものであり、板かまぼこの需要は現在の韓国ではほとんどないというのが実態であった。

 

 仮にこのまま、輸出向けに量産したとしても、日本の市場では彼らのかまぼこはほとんど売れないだろう。ただ、うどんなどに薄切りしていれるなどの業務用素材としては、近い将来、日本にも輸出される可能性はないとはいえないだろう。(いくらかは入ってきているのだろう)

 

種物のはいった揚げ物も生産していたが、種物が細切されていて、日本では、種物はあまり細かくすると何が入っているのかわからないので、もう少し大きい状態で製品化するのだと言うと、逆に「韓国では種物の大きいものは気持ち悪がられる」という工場スタッフもいて、これも食文化の違いを感じた。だが技術の人間があとで、「具材の大きさが大きいと異物混入を防止できにくくなる」と言っていたのを思い出す。はて?具材の入った商品もフィルターをかけてたっけ??思い出せない。

 

ボイル後の水冷却のあとの水拭きを完全にしないままダンボールケースにつめていたのでダンボールが水で湿ってクレームは来ないか?と聞くと「他のメーカーではかなりクレームになっているが、当社ではクレームは少ない。ただ、数件はある。」との返事だったので、数件、最新の風圧で水滴を吹き飛ばす装置や、殺菌液を含んだ不織布で表面水を除去する方式の機械などの紹介をしておいた。

 

なつかしいソーセージラインに入ると、このラインが一番厳しく衛生管理されているとの工場スタッフの話に、「レトルト食品なのに、日本とは正反対の対応だな」と日本チームの二人は同時に喋っていた。 なつかしいソーセージのパッカー、結束機械(KAP)が3台稼動していた。 サイレントカッターは下のラインでは見慣れた日本製が多かったが、ここはどうも、丸大時代によく使っていたヨーロッパスタイルのサイレントカッターであるので、聞いてみるとスイス製の機械であるということであった。 畜肉の繊維をカットするのはやはり、日本製よりもスイス製などのほうが優れているということであった。事実、私がかつて勤めていた丸大食品でも、ドイツ製のサイデルマンをかなり使用していたのを思い出す。

 

 レトルト釜は回転式のものが導入されていた。さらに、 パッカーのカットフィルムの部分から細菌汚染が始まるので、これを殺菌するようにと前もって指導していたら、すでにレトルトが終わったソーセージをもう一度、殺菌洗浄している工程が別にあることを知らされて、さすがだなあと感心した。

 

 

 

韓国かまぼこ事情 まとめ422014.12月予定)

 

 

 

今回、魚肉加工の先進地の日本から、お隣の韓国に技術指導という名目で足を運んだわけであるが、言葉の障壁もあり、事前に質問状がメールで届いても、相手が何を聞いているのか? あるいは原材料の名称でも、当方では利用していないものもあり、それがなんだかわからないまま、現地に飛んだわけである。

 

 とにかく、工場の規模は相当大きく、工場そのものが、最初から工場として建てられたものではなく、どこかのマンションビルをそのまま買い取って、改造して建てたような工場であった。 マンションとマンションの間をぶち抜いて廊下にしたりと、日本の製造メーカーからは考えられないような工場空間であった。

 

 また、同じ練り製品といっても、機械はほとんど日本製で、日本から機械も生産技術も韓国に輸出されたものではあったが、そこで生産されている製品は、私たち日本が美味しいと思うような食感をもったものではなかった。

 

 品質改良も、私の今回の技術指導に求められていた目的の一つであったが、日本人と韓国人とは食への志向が違い、めざすものが違うために話は平行線に終わってしまった。

 

 製造現場へいくと、日本の中小のかまぼこメーカーとは違い、働いているのが若い人たちばかりであるのに驚く、特に工場長であっても、30歳後半と、私などよりもずっと若かった。

 

 最後の日に、今回派遣を要請してきた会社の常務と顔をあわせ、夕食をとったときに彼が私と同年齢だと知り、韓国では大会社の役員も若いのに驚くと同時に、韓国の年寄りはどこでなにをしているんだろうかと不思議に思ってしまった。

 

 工場の食品衛生については、かなり気を使っており、逆に我々が勉強をさせられる面も多々あったように思う。 これもヨーロッパ向けなどに製品を輸出していることから考えるとじゅうぶんうなずけるのであった。

 

 たしかに製造機械や、設備そのものは、日本の中小企業と比較すると格段上ではあったし、生産管理という意味では、日本と同等、あるいはそれ以上のように感じた。

 

しかしながら、使っている原料、副原料にかんしても、なぜそれを入れるのかといった基本的な理論であるとか、科学的根拠などについての学習は、まだまだだなと感じたのも事実である。

 

 隣の外国への出張であったが、ほとんど工場とホテルにカンズメ状態で、観光とはほど遠い出張になり、しかも日本に帰ってくるまで一円もお金を使わなかった(使えなかった)ような状態であったので、次回、韓国に行くことがあれば、もう少し、その国の様子を色々と見てまわる時間もとりたいなどと思ってしまった。

 

 幸い、その後、私に技術指導のオファーはなく、韓国へいくこともなかったが、さいごまで譲れなかった“かまぼこの美味しさ”に固執しすぎて、案外、頭の固い日本の先生と嫌われたかもしれない。

 

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舞鶴かまぼこの全国品評会での成績   かまぼこ百科㉝

 舞鶴かまぼこの品質を客観的に評価することのできる全国品評会にも、弱小零細といわれる5軒で構成される舞鶴かまぼこ協同組合の組合員であるかまぼこ屋さんが、ずいぶん過去には出品していたが、途中からなんだかんだと言って挑戦するのをやめてしまい、数十年審査に出さないようになってしまっていた。

 ところが、当時、京都大学の教授であり、審査委員長になっておられた牧野段先生が、講評で「審査に出てこない地域の商品にもたいへん品質のよいものもある。例えば舞鶴地区のかまぼこもそのひとつ…….」というような舞鶴かまぼこに触れた内容を業界紙に書かれたことから、やっぱり、賞はいただけなくても、審査に出して評価を受けようという機運がひろがり、かまぼこ屋さんの店主世代交代を機会に、全組合員で品評会に商品の出品を再開したのである。

 もちろん、その頃には牧野段先生は京都大学を退官され、審査員のメンバーも少し変わってしまった(現在の審査員 水産大学特任教授 福田 裕氏/東京大学大学院教授 渡部終五氏/東海大学教授 加藤登氏/中央水研主幹研究員 金庭正樹氏/国学院短大客員教授 鈴木たね子氏など、そうそうたるメンバーである。)が東京で、年1回おこなわれる全国蒲鉾品評会において、舞鶴の組合員から出品した商品がすべて入賞するという快挙をなしとげることとなった。 知らぬうちに舞鶴かまぼこの品質レベルは高くなっていたのだという自負と喜びが、組合員だけでなく、組合の職員にまで力を与えてくれる結果となったのである。

 この数年の全国品評会、全国審査会などでいただいた賞を次にご紹介しておきたい。

 

2009  58回全国水産加工たべもの展 

大阪府知事賞     御蒲鉾     嶋七

 大阪府知事賞     鯵竹ちくわ 丸海

   

2009  61回全国蒲鉾品評会 

水産庁長官賞     焼の極     髙作

 水産庁長官賞     おらんだ 藤六

 大日本水産会会長賞 御蒲鉾     嶋七

 全蒲連会長賞     まいづる(紅白 嶋岩

 全蒲連会長賞     竹ちくわ 丸海

 

2010  62回全国蒲鉾品評会 

沖縄県知事賞     舞づる(紅白) 嶋七

 沖縄県知事賞     練の極     髙作

 沖縄県知事賞     藤の花     藤六

 全蒲連会長賞     上大(塗) 嶋岩

 全蒲連会長賞    竹ちくわ 丸海

 

2011  60回全国水産加工たべもの展 

水産庁長官賞     焼の極     髙作

 大阪府知事賞     おらんだ 藤六

 大阪府知事賞     ほたて天 嶋岩

 

2011  63回全国蒲鉾品評会 

水産庁長官賞     海峰(白) 嶋七

 大日本水産会長賞 練の匠     嶋岩

         かまぼこ 髙作

         藤の花(白) 藤六

 全蒲連会長賞 ちびくろ(9本入り)  丸海

 

2012年冬   第64回全国蒲鉾品評会

            東京都知事賞      練の極     高作

            大日本水産会長賞    御蒲鉾(焼)  嶋七

                        藤の花(塗)  藤六

                        上大(塗)   嶋岩

 

2013年冬   第65回全国蒲鉾品評会

            水産庁長官賞      おらんだ    藤六

            神奈川県知事賞     練の極     高作 

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舞鶴おでんにご支援を!   かまぼこ百科㉜

 舞鶴市の新しいご当地グルメとして、昨年の夏にデビューした「舞鶴おでん」であるが、舞鶴の練り製品業者、農産物生産者、こんにゃく製造業者、水産加工業者、行政、印刷業者など、様々な分野の市民メンバーから構成される「舞鶴おでん会」がその啓発母体となって活動をおこなっている。

 会長は、レストランととやなどを経営している齋藤友幸氏(現;舞鶴観光協会会長)である。不肖、わたくしも副会長を務めさせていただいている。

舞鶴おでんは、舞鶴伝統の「じゃこ(煮干し)だし」、特産の平天、棒天、いわしちくわ、豆腐団子、カニ物語など地魚をつかった「水産練り製品」、最近復活した煮物に最適な京野菜「佐波賀だいこん」、地元のこんにゃく屋さんが開発した「わかめ入りそーめんこんにゃく」、地元産の高品質の鶏卵などを具材として利用している。

 舞鶴地域はもともと、煮物料理に適した食材の宝庫であるため、「舞鶴おでん会」がこれを生かすメニューを開発して、全国に広めて、地域活性化につなげようという思いから、こういう活動をはじめたのである。

 また、舞鶴おでんのロゴマークも全国公募をして、親しみやすいデザインを選んだ。

現在、市内の料理店で舞鶴おでんの掟(おきて)にしたがったおでんを出されるお店には、舞鶴おでんの認定店として有料で幟(のぼり)と認定証を配布させていただいている。

 また、おでんは、秋から冬に食べるものという固定観念を打ち破るために、夏に冷やして食べる“冷やしおでん”の開発も行い、今年9月1日に赤レンガパークで実施された“総おどり”会場にて、テスト的に試売して、好評を得た。 

 舞鶴おでん会は、ちょうど先月、姫路で開催された「全国おでんサミット」にも初出場し、全国の有名な7おでん会に挑戦状をたたきつけてきた。

 まだ、全国的に名前を知られていないはずの「舞鶴おでん」ではあったが、1200食近くを完売して、十分に手応えを感じて帰ってきたのである。 各地域、出汁にこだわり、中の具材の地方色にこだわる中、舞鶴おでんも地方色を出して、おおいに健闘した。

 舞鶴でも、全国大会を誘致し、こうした数万人規模の集客イベントを開催することができれば、不定期ではあるが、市の流動人口を増やすことができ、地元商店街をはじめとする地域活性化につながるはずである。

 また、一方で、こうした舞鶴おでんをなかだちとした地域おこしのような運動が認められ、最近、舞鶴おでん会が、NHKの密着取材をうけることになり、12月19日午後9時より1時間番組で全国放送されることとなった。NHK BS“めざせグルメスター”)

 いずれにしても、地元の素材のみでつくる舞鶴おでんは、味の面、品質の面で他所のおでんにひけはとらない。 今後も、舞鶴市民の温かい応援をお願いしたい。

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かまぼことお酒   かまぼこ百科㉛

わたしは大学でかまぼこの分野でドクターを取得したわけでもないのに、最近、舞鶴市民の多くの方から「かまぼこ博士」という称号をいただいて、親しまれるようになってきた事は非常に光栄なことであるが、同業者あるいは、私のことをよく知っている友人、知人、先輩、後輩方に私のことについて聞いていただくと、かなり高い確率で、かまぼこ以外に“酒”がキーワードとして出てくるのではないかと思っている。

恥ずかしい話ではあるが、それほど、私は酒に関するエピソードに事欠かない経歴(=武勇伝あるいは懺悔記録)をもっている。

酒もいろいろあり、ビール、焼酎、泡盛、ワイン、日本酒、紹興酒、ウイスキー、バーボン、ウオッカ、テキーラなどなんでも呑むが、やはり食べるものに合わせて酒を選んでいることが多い。

 中華料理を食べるときは、紹興酒が多いし、肉料理を食べるときはワインが多い、しかし魚の刺身を食べるときだけはどうしても日本酒でないと、美味しく食べた気がしない。

 したがって、魚を原料にしたかまぼこをそのまま生で食べるときも日本酒が一番あうはずだと思い込んでいる。

 日本酒は、酒としては味はそれほど強烈ではないが、一般に蒸留酒とくらべると、ほんのりとした甘味とうまみを持っているので和の料理の味を壊すことがない。

 刺身を食べる際に、しょうゆをつけて口の中にいれ、食べながら日本酒を呑めば、しょうゆの辛さがまろやかになり、酒が魚の味をさらに引き立ててくれる気がする。 

一時、焼酎ブームで、焼酎を片手に刺身を食べたが、しょう油の辛さが酒の辛さで倍加されてしまい、せっかくの魚の味が損なわれてしまい、がっかりしたことがある。

 中華料理などは、紹興酒を呑みながら食べると、食欲も増すし、中華の油がさほどしつこく感じなくなるし、第一に二日酔いになりにくい。 一度、中国へ行き、現地で中国人の方と紹興酒を呑んで、中国人を降参させるほど呑んだこともあるが、翌日は本当に何もなかったように元気で商談をすすめることができた。

また、かまぼこをカルパッチョ風に仕上げて、オリーブオイルなどをかけると今度はワインがあうようになってくる。 おでんにしたりして温かい料理にすると、今度はビールがあうようになってくる。 オードブル形式にしてチーズを挟んだりすると、こんどはウイスキーや焼酎などの蒸留酒があうようになってくるような気がする。私は料理評論家でも何でもないのだが、このようにかまぼこは料理方法ひとつで、いろんな酒と相性がよくなる不思議な伝統的加工食品といえるだろう。

 とにかく、料理が酒を選び、酒が料理を選ぶ……それほど、酒と料理は人を幸せにしてくれるものである。

 話がかまぼこから逸れてしまったが、かまぼこも過去には「板わさ」という定番の居酒屋メニューがあったのだが、現在はだんだんと姿を消しつつあり、非常に淋しい。

 「板わさ」には日本酒と相場が決まっていたが、最近、居酒屋でも日本酒を呑む日本人の数が減ってきているように思う。どうも、かまぼこと日本酒はお互いに頑張らないといけないようだ。  

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かまぼこを冷凍してはいけない理由   かまぼこ百科㉚

 基本的に、家庭の冷蔵庫についている冷凍保管庫で保管することは避けてほしいと思う。 家庭用のものでは凍結速度が遅くて、組織内部で大きな氷の結晶ができて、その氷の結晶が大きくなって組織を破壊し、解凍したときに水を組織内に吸収しきれなくなり、大量のドリップを吐き出し、かまぼこがスポンジ化するからである。 

かまぼこの凍結点は水分や、砂糖含量によって違うが、だいたいマイナス4℃からマイナス7℃くらいである。

マイナス10℃になれば、かまぼこの水のほとんどが氷に変わる。

マイナス10℃までの冷凍速度が急速であればあるほど、かまぼこ内にできる氷の結晶が小さい状態で凍り、解凍したときのドリップを少なくすることができる。

しかし、かまぼこのように肉厚の製品を超急速凍結すると、かまぼこの表面がひび割れし、場合によってはかまぼこ全体が割れてしまいう。

 水が氷に変わる際にはその体積が約8.7%膨張するので、かまぼこを凍結するとその体積が増加する。 超急速凍結するとかまぼこ表面が瞬間的に凍って、氷の非常に固い殻ができてしまう。 表面の氷の殻が内部が凍って体積膨張するのを抑えるので、かまぼこ内部に大きな圧力が発生してしまうことになる。

表面の氷の殻がその圧力に耐えられないで壊れると、かまぼこ表面にひびが入るのである。

ひび割れ防止には中心温度がマイナス10℃になったら凍結を止め、マイナス15℃付近の低温に置いて内部温度を平均化する。そうすると、かまぼこ表面の冷気が内部に伝わって表面と内部の温度差が小さくなるので内圧が大きくならず、ひび割れしないのである。

いったん冷凍したかまぼこは、一般の食品と同様に、貯蔵温度が低いほど品質の低下は遅いのである。したがって、保管温度は低ければ低いほどよい。かまぼこの足の弱いものほど、貯蔵期間のドリップの比率は高く、弾力が低下してスポンジ化が進みやすくなる。 また、みりんをたくさん入れたかまぼこは冷凍期間が長いと保存中に、みりんの中のブドウ糖とアミノ酸やタンパク質が低温でも反応して、化学反応をおこして、全体が褐色化していく場合もある)

かまぼこを急速冷凍するためには、その設備に莫大な資金がかかることもあり、舞鶴では生産者がかまぼこを冷凍することはないが、小田原地区のように、年末の首都圏の膨大な需要にこたえるために、かまぼこを冷凍貯蔵して、需要が多いときに解凍して出荷する技術とノウハウを持っている地域もある。

冷凍するのにも、そこに難しいノウハウが必要になってくる。 まして家庭用の冷凍庫のような緩慢な冷凍条件では、かまぼこの品質を維持することは不可能である。

ちくわ、てんぷらなどの比較的厚みのない練り製品については、冷凍による品質劣化はかまぼこと比べると少ないのだが、劣化が無いとは言えないので、美味しく召し上がっていただくためには冷凍はしないほうがよいだろう。

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舞鶴かまぼこの価格は高いの?  かまぼこ百科㉙

 最近、舞鶴のかまぼこも美味しいが高くなったと人によく言われるようになった。

しかし、ご年配の方ならよくご存知であると思うが、昔はかまぼこを一般の人が食べることができたのは、祭り、祝い事など、特別な日だけであったというほど、元々かまぼこは高級品だったようである。

 かまぼこの製法を簡単に言うと、鮮魚から頭、内臓、骨、皮を除去して生肉だけをとりだして、洗って油脂分、血合いなどを取り除き、脱水してから少量の塩で魚のタンパク質を溶かして、成分調整したあと、成型したものを熱で固めるというものである。

 100㌔の鮮魚から得られるかまぼこの原料すりみは20㌔程度でしかなく、このように貴重なお魚のたん白質を贅沢にとり出して、つくりあげるグルメな加工食品というのは他に例がない。

 昔は、全国の港でとれる鮮魚を使ってかまぼこ作りをしていたので、その地域で使う魚の特徴がそれぞれに出て、地方へ行くといろんな蒲鉾の味や食感を楽しむことが出来た。

 しかしながら、近海漁業の衰退、魚資源の高騰から、だんだんと安定して地魚だけでかまぼこを作ることが難しい時代となってきた。

 その中で、潤沢な北洋資源であるスケトウダラが着目され、すりみ加工して冷凍して、全国流通させるという冷凍すりみの技術が確立されていった。 糖を加えることで、魚肉タンパクの冷凍変性をある程度は防止できることがわかり、急速冷凍をすることで、氷結晶の増大を抑え、尚一層の信頼性を高めていったのである。  これにより冷凍すりみ原料が全国に流通するようになり、冷凍庫さえあれば、原料は1年~2年は、ストックでき、いつでも、必要なだけ解凍して使うことができるようになった。

 また、煉製品の製造機械の発展もめざましく、石うすからサイレントカッター、手付けから自動成型機、観音扉の蒸し庫から、自動蒸しラインへ、扇風機から自動冷却装置へ……..と、ある意味、大量生産が可能になってコストが下がってきたのである。

 さらに、近年では、東南アジアでも、すりみ生産がおこなわれるようになると、スケソウダラ以外のいろんな魚種の冷凍すりみが世界中を冷凍で流通するようになっている。

 ただ、すりみを生産するためには、前記の理由から、大量の鮮魚が必要になり、中国など東南アジアの諸国では乱獲が原因で、資源が枯渇しはじめている。

 また、広く国民にかまぼこを食べていただくという事、かまぼこが消費者により身近になった点はよかったのだが、反面、地方の味が失われ、全国画一化が進むとともに、元々、味の弱いスケソウダラを使うことによる欠点を補うための調味料による不自然な味つけが流行りだし、本来の魚の風味に欠ける商品が氾濫するようになってしまった。

 舞鶴では、「美味しいものは残していかなければいけない。冷凍原料に頼りきってはいけない。地魚を生(なま)で活用する技術は残すべきだ。」という先人の教えに導かれ、今でも伝統の製法を守ってかまぼこ作りをしている。

 つまり、地魚や近海の鮮魚を一匹、一匹丹念に頭切りし、内蔵を取り身を採り…….という作業工程を組合事業として共同化して残している。 もちろん、大量に漁獲して送られてくる冷凍すりみと地元の鮮魚からつくられる生すりみとは、元の魚の価格も違うし、製造コストもかなりの差がでてしまうので、原料コストでかなりのハンディを背負っているのが『舞鶴かまぼこ』である。

 しかし、安心、安全で美味しいとお客様に喜んでいただける間は、現在の製法をやめるつもりはない。

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かまぼこの表面がピンク色である理由  かまぼこ百科㉘

 小中学校の社会見学でお越しになった生徒さんが、私ども見学にこられて、たくさんの質問をされるわけであるが、その中でも、高い確率でこの質問が出てくる。

 古くから、日本人は、中国から渡来した紅染の技法とほんのりした色合いを深く愛してきた。 紅花や紅については「万葉集」の中の相聞歌に多くみられる。古の男女の心をとらえた色が「紅花」であり、「紅」だった。また、淡い紅色が日本人に深く愛された要因の一つに、冠位や身分を示す青、赤、黄丹(きあか)、支子(くちなし)、深紫(こむらさき)などの「禁色(きんじき)」<身分の低い人は使ってはいけない色>であったことだ。その禁色の赤だが、薄い紅色の赤は「許色(ゆるしいろ)」として使うことが許されていた。

 そのくらい庶民にも長い歴史の間、好まれ、愛されてきた色であったわけである。

現在では、ハレの日の色は、紅白を主体としていることが多い。 運動会、竣工式、起工式、祭り等々、紅白の幕がとことどころにみられるようになる。

 ハレ(非日常という意味)の料理<日常の料理はケの料理という>には、むかしから紅白のかまぼこが使われていたし、節句料理の中でも正月料理として残ったおせち料理にも、おめでたさを表現するハレの料理として紅白のかまぼこが使われてきた経緯がある。

 また、かまぼこの表面は染められているわけではなく、単に、食用色素を練り込んだすりみを薄く表面に薄く押し出しているだけのことである。 よく見ると、かまぼこの表面には薄い紅色の層ができているのがわかる。

 かまぼこの成形機から送り出される身を見ていると、その成形機の金型を変えることで、紅白のかたちを、中央から半分紅色で半分白色だとか、かまぼこの中央に金太郎あめのように模様のはいったかまぼこも作ることができる。

 また、最近では、お祝いだけでなく、法事にもかまぼこが使われるが、さすがに紅白のかまぼこでは気が引けるので、食用の若草色を使って、緑の塗り身で覆った蒲鉾も注文に応じて生産している。(白いかまぼこの表面に法事の図柄を入れた包装紙で包装している場合もある。)

 北洋のスケソウダラは、かつては無尽蔵にある資源といわれたこともあったほど資源量も多く、価格も安価であったことから、これを冷凍すりみにする技術が開発されてから、全国のかまぼこ屋さんが、近海魚の加工をあきらめて、冷凍すりみを使ってかまぼこ製造をするようになり、さらに高度成長期には、各種の効率的な生産機械ができて、蒲鉾屋さんの生産能力が飛躍的に向上したことにより、かまぼこはかつてのような高級品から日常的な比較的廉価な加工品に変化してしまった。 つまり、ハレの食品からケの食品に変化しつつあるということになる。

 しかしながら、昔ながらの製法を一部保持しながら、伝統を守り続けている舞鶴かまぼこは、廉価商品とは少し距離を置いて、あくまでも、地元の鮮魚を使った伝統の製法でかまぼこを作り続けている。 どのような時代になろうと、おいしいかまぼこを食べていただけることこそが我々舞鶴のかまぼこ生産者の使命であると考えているからである。

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かまぼこはなぜ白いのか   かまぼこ百科㉗

 ちょっと昔、かまぼこは、漂白剤を使って、表面を白くしているのではないかという疑惑がわき起こったことがあった。 実際には、ほとんどの蒲鉾業者はまったく使用していなかったのであるが、当時、関東地区で製造していた浮きハンペンなどの「ゆでもの」には、一部殺菌の為に使われていたものがあったようである。(以後は使用禁止となり今では使われていない。)

 かまぼこが白いのは、原料に白身の魚を使い、細かくした魚肉を水でよく洗う水晒(みずさらし)をするためである。

 イワシ、サバなどの青背の魚や、マグロなど赤身の魚肉が赤い色をしているのは、ミオグロビンなどの筋肉色素を多量に含んでいるからであり、ミオグロビンや血液の色素ヘモグロビンは鉄を含んでいるたんぱく質で、加熱すると灰色にかわる。

 魚の種類によって、ミオグロビン含量が違い、当然ながら赤身の魚に多く、白身の魚は少ない。 普通の水晒しでは、こららの筋肉色素を完全に洗い出すことはできない。

 このため、色素含量の多いイワシやサバなど、赤身の魚からは灰色のつみれや黒ハンペンのようにくすんだ色の商品しかできない。

 したがって、板付きのかまぼこに、こうした赤身の魚を使うことはあまりない。 

舞鶴で、いわしが大量に獲れた時期には、イワシの活用ということで、「イワシ蒲鉾」なるものも開発したことがあったが、健康ブームが去ると、やはり色がくすんだかまぼこは商品価値が低いためか、売れなくなった。

 ただ、同じ白身の魚であっても、色素含量に多少の差がある。舞鶴かまぼこの命とも言われているシログチという魚は、いくらよく晒しても真っ白にはならないが、スケソウダラやエソといった魚の身は晒すと真っ白になる。

 水晒しには功罪があり、肉中の水溶性たんぱく質やエキス成分も洗い流されてしまうので、魚肉の成分の有効利用という面から考えるとマイナス面であるが、水晒しをすることで生臭さがとれたり、かまぼこの足(=弾力)が強くなり、色が白くなるというプラス面がある。 ただし、板ものはそうした白さが求められるのに対して、同じ練製品の天ぷら、ちくわではそのハードルが低く、多少色がくすんでいても商品価値が下がらないので、赤身の魚も一部活用することができる。

 漁連など水揚げ後に、生鮮魚としての価値の低い魚(消費者になじみのすくない魚という意味であり、魚そのものの持つ価値やの鮮度や品質をいうものではない)も、水さらしをすることでかまぼこの原料として有効に利用できるようになるので、舞鶴のように、漁獲された魚を広い範囲で有効利用することができるすりみ工場を自らもっている地域は、これからの近海魚の有効利用という面からは、メリットが大きいのではないかと思う。

 よく消費者から、かまぼこはどんな魚からでも作ることができるのですかという質問をお受けするが、基本的には、こうした理由から、品質や色合いの良し悪しは別として、どんな魚からでもかまぼこはできますとお答えするようにしている。

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舞鶴市民に愛されているかまぼこ   かまぼこ百科㉖

かまぼこ百科 No26  舞鶴市民に愛されている「かまぼこ」

 

総務庁統計局の家計調査の一世帯あたりの練製品の年間支出金額(1997年調査)で、都道府県庁所在地別では多いところは仙台、長崎、山口、松江、高知、松山、和歌山、富山などの順番になっていた。
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番目の仙台を除けば、上位はすべて西日本の都市がしめており、西高東低のかまぼこの消費傾向がはっきりとしている。 品目別でみると、揚げ蒲鉾(天ぷら、さつまあげ)では鹿児島が一番多く、高知、高松、大阪、和歌山など太平洋側で多いようである。 ちくわは鳥取が群を抜いて多く、徳島、松山、佐賀、熊本と続く。 かまぼこは笹かまで有名な仙台が1位で、次いで富山、長崎、松江で消費が多いようである。 京都府は残念ながらランキング上位には位置していない。

だが、舞鶴市だけを調査した結果、驚くべきことがわかった。

平成22年に舞鶴蒲鉾協同組合が詳細な統計調査した資料によると、舞鶴市民が舞鶴かまぼこ(天ぷら、ちくわを含む)を消費している金額は、年間で1世帯あたり13,838円であった。

全国平均で、同年の一世帯あたりのかまぼこ類への年間支出金額は8,941円となっていることを考えると、この数字は驚異的であり、舞鶴市民がいかに舞鶴かまぼこを購入しているかが、数字の上でも明確になったわけである。

他に舞鶴以外の煉製品も消費されていることを考えると、舞鶴市民は他の地域では考えられないほどに、煉製品、特に舞鶴のかまぼこが大好きなのである。

もちろん、この金額は、一般に小売店で買って一家のおかずとして消費するものと、中元、歳暮などを中心に遠く離れた家族、親戚、知人などに贈られているものなどを合算したものである。

 このことからも、家庭で消費するものの他に、市民が外部へ舞鶴名産品として発送したり、持って出たりする量も無視できないほど多いということが想像できる。

そう考えると、市民の舞鶴かまぼこに対する愛情と支援は非常にありがたいものであり、生産者としては品質で市民を裏切るようなことは決してしてはいけないのだということをあらためて痛切に感じるのである。

 舞鶴市内には、ピーク時には30軒近いかまぼこ屋さんがあったというが、現在操業しているのは舞鶴かまぼこ協同組合の傘下組合員企業5社(嶋七、髙作、藤六、嶋岩、丸海)のみとなってしまっている。

 しかし、少なくなったとはいえ、少数精鋭で、残った組合員企業は伝統の技術を継承する強い意思を持って、互いに切磋琢磨努力をする一方、舞鶴かまぼこ協同組合という組織を仲立ちとしながらも、非常に仲よく活動をし、月に数回集まり、情報交換をおこなったり、組合随一の酒飲みで知られる私を中心としたノミニケーションをおこなったりしており、『わが社さえよければ……』というような経営者が一人もおらず、共存共栄に腐心しているのも唯一の強みである。 舞鶴市では『舞鶴かまぼこ』が第一号の地域ブランド産品の認定を特許庁から受けることができたのも、そのあたりに原因があるのかもしれない

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商品紹介 「調味すり身」丸海食品謹製  かまぼこ百科㉕

 当初は、すりみを加熱して製品として出荷している煉製品業者にとって、その素材であるすりみを生でそのまま消費者に提供するという思い切った発想で商品化したものが、この調味すりみシリーズであり、丸海食品㈱が製造している。 社長は若村和重(昭和14年生まれ)であり、今や組合員の中では最長老となった。

 魚肉は、すりみにすると、普通は“すわり”という現象をおこして、元々すりみが持っていたねばりと加熱したときに弾力をつくる能力がそこなわれてしまう。(タンパク質が変性をおこすからである。)

 ある程度の時間が経過しても、“すわり”の現象の進行を抑えて、家庭ですりみを料理素材として活用していただくというのが当初の目的であった。

 “すわり”現象にすりみがやられないうちは、野菜と混ぜ合わせたりして、油で揚げれば、アツアツの野菜天ぷらの味を楽しめたりするのだろうが、この商品は、あくまで“鍋”をターゲットにしており、このままの形で、鍋の中に落すと、工場でできあがったばかりのつみれの味も楽しむことができる。

 関西地区は、関東地区と比較すると、このつみれを食べる習慣が少なかったが、最近、鍋もいろんなものができて、その味付けも、鍋に入れる素材もバラエティに富むようになった。

 従来の和風のものから、中華風、洋風、エスニック風と味そのものも色々と楽しめるようになった現在、その中に入れる具材の種類もどんどん増えてきている。

 調味すりみシリーズでは、イワシ、アジのような色はやや黒いが、旨みの強いすりみもあり、タイやハモのように、淡白だが色の白いすりみもあり、寄せ鍋をしても、それぞれの魚の味がして、美味しい。

 なによりも、魚の骨を取る必要もなく、そのまま丸ごと食べれるというのもありがたい。

特に赤身の調味すりみには小骨がまるごとすりつぶされて入っているので、無理なくカルシウムも多く摂取することができるので、育ち盛りの子供にはたくさん食べさせてあげたい。

 我が家でも、寒い冬の鍋料理には欠かせないアイテムとなっている。

こうした調味すりみは、多少、ねばりと弾力を失ってタンパク変性を起こしているので、鍋に入れて加熱をすることで、かえって繊維がばらけたような状態になり、ちょうどカニ身のような状態になり、中に出汁をたっぷり含んでくれるので、これはこれで、考えようによっては美味しい。

 一時は、絞りだしの袋に入れて、家庭で鉄板の上に絵や文字を絞り出し、焼いて食べる子供向けの遊びのような商品も開発したこともあったが、残念ながら定着することはなかった。

 かまぼこ屋さんたちのアシ(=弾力)を重視する考えからは、こうした商品はうまれなかったのかもしれない。

 実は、生すりみをこのような形にして、チルドで流通させたのは、おそらく丸海食品が日本初であった。商品を発売してから、単品で1億円商材になったこともあり、当時は、久しぶりに舞鶴からヒット商品が生まれたと大喜びしたのであった。

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商品紹介 「焼きの極み」高作謹製  かまぼこ百科㉔

『焼の極(やきのきわみ)』は、第61回全国蒲鉾品評会(平成21年)で、水産庁長官賞を受賞したことで一躍有名になった。

さらに、大阪で実施された第60回全国水産加工たべもの展(平成23年)でも、みごと水産庁長官賞を受賞し、舞鶴では数年の間に同じ商品が二度も長官賞を受賞した例はない。

この焼板は実に美味しい。生産者は舞鶴でも独特の製法で知られる“髙作”であり、店主は高野真一氏(昭和32年生まれ)である。

 彼は、自分で何台もパソコンを組み立てたり、会社や家屋のちょっとした改造を自分でしたりと、たいへん器用なところもあり、自然科学などに対する造詣も深く、かまぼこ屋の主人とは思えないような知識を披露し、その場を驚かせたりすることが多い。

 数年前、私が、市内の宮前町界隈の飲み屋さんではしご酒をしていると、おつまみにこのかまぼこをカットしたものがでてきたことがあったが、それを食べたとき、乾いたオカキやスルメでなかったので、かえって新鮮で、手前勝手ながら、やっぱり『焼の極』は美味しいものだといたく感動した思い出がある。

表面を焼くことで、すりみの火ぶくれした少々厚めの皮ができ、それが少し歯にあたって香ばしい。 また、それを突き破って下の身に歯が到達すると、こんどはソフトでしなやかな雑味のない透き通った味覚が感じられ、それが皮の香ばしさと一体になってのどに送られる。食べるとそんな表現がぴったりのかまぼこである。

 髙作はこのシリーズ第二稿でも述べたが、現存の舞鶴のかまぼこ屋さんの中では、もっとも古く、創業は江戸時代というからすごい。

 しかしながら、古い歴史とは別に、絶えず新しい技術を取り入れて製造しており、伝統の技術をうけつぎながら、近代化も同時に進めている。 これが、老舗の老舗たるゆえんなのかもしれない。

 特に、練成工程では、舞鶴の他のかまぼこ屋さんの多くが、サイレントカッターを使用している中で、いち早くボールカッターに切り替え、真空、高速などの条件を加えることで、きめ細かく、みずみずしい食感をうみだすことに成功している。

 髙作は、家族中心の個人商店であり、規模はそれほど大きくはないが、近年、舞鶴市魚屋に新工場を建て、4人の子育てをし、PTAやロータリークラブなどの活動にも積極的に参画しながら、かまぼこ生産に励んでいる。

 平成20年に舞鶴蒲鉾協同組合の理事長であった嶋田正男氏が亡くなった後、髙作の店主である髙野真一氏が舞鶴かまぼこ協同組合(平成24年に社名変更)の理事長となり、日々、舞鶴かまぼこの発展のために努力している。

 話はそれるが、髙野真一氏の父親で先代の故髙野利夫氏(平成8年没)はかまぼこ製造中にサイレントカッターで誤って指を落とし、煉り肉の中から自分の指をさがし出し、それを氷漬けにして自ら病院に行き、治療を受けたという気丈な方で、業界では有名な話である。 むろん、髙作に限らず、かまぼこ屋さんには他にも武勇伝をもった気丈な人が多い。

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商品紹介 「海峰」「かに物語」   かまぼこ百科㉓

海峰(かいほう)は、昨年、東京で開催された第63回全国かまぼこ品評会(審査会)において、みごと、水産庁長官賞を受賞した舞鶴の誇る板かまぼこである。

この商品は舞鶴では㈱嶋七で製造、販売されている。㈱嶋七の社長は嶋田克己氏(昭和44年生まれ)であり、非常に若い社長であるが、妻の嶋田典子さんと共に、水産の最高学府といわれる東京海洋大学を卒業している。

嶋七のこのかまぼこには、選別された最高の鮮魚が使われている。

その鮮魚の頭を取り、内臓を除去し、綺麗に洗ったあと、採肉機にかけて、魚肉と骨、皮を分離し、魚肉をさらに水にさらして、血合い、夾雑物など水溶性のものや上に浮いた脂などを捨てて、脱水することで、色の白い身ができあがる。 

これに塩を加えてねばりのある肉糊にしてから、調味料、卵白、みりんなどで味付け調整したのち、板の上に成型して蒸しあげていく。(弾力を引き出す為に、2段階の温度で丁寧に蒸しあげる。)といった非常に手間のかかる製法で作りあげられたのが海峰(かいほう)である。

材料にこだわっているので、少々高価かもしれないが、舞鶴かまぼこのシコシコとした弾力とみずみずしさを持ち、透明感のある切断面をもった贅沢な味をぜひ一度賞味していただきたいと思う。

年末にかけて、全国からたくさんの注文が入り、出荷が集中するため、早めのご注文をいただけるとありがたいとのことである。

 

また、今月6日に解禁となった舞鶴ガニの姿をあしらった「かに物語」は、舞鶴では嶋七のみで製造されている。製法は、まず、かにの甲羅の内側からカニ本来の天然色素を塗って色をつけその中に、贅沢にも“かに”の生肉と“高級すりみ”をブレンドした身を手で詰めて、板にのせて蒸しあげるというものである。

まさに、すべて手作りの商品であると言えるだろう。

 主に、この商品は、通信販売による受注生産が中心であり、手作りなので、当然、できる量にも限界があり、年末の繁忙期などには注文に応じられない場合もあるという。

高級材料であるかにの正肉と、最高級のかまぼこの身とミックスしたものは共に海からの生物の原料であり、非常に相性が良く、お互いの特徴を保ちながら融合しているかのような食感と味をもっているといえよう。

そのまま食しても、手巻き寿司の具や、サラダにいれてもおいしさ抜群であるが、私は酢の物の中に一緒に刻んで入れて、酒の肴として食べるのが最も美味しい食べ方だと思っている。 嶋七のホームページは社長婦人である嶋田典子さんが運営をしており、手作りで非常に充実したサイトになっているので、ぜひ一度訪れてほしい。(ホームページアドレスはhttp://shima7.com/

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商品の紹介 じゃこだらけ、ほたて天(嶋岩謹製)   かまぼこ百科㉒

 

『じゃこだらけ天』は、じゃこを骨ごとつぶして製品化している商品で、舞鶴では嶋岩でしか作られていない。 ㈱嶋岩は明治時代創業の会社であり、社長は嶋田宗昭(昭和32年生まれ)である。 不幸にも、若くして病気で愛妻を亡くしているが、まだ独身を通すには若いこともあり、現在、花嫁募集中である。

商品のネーミングとおり、原料としてじゃこを多用している商品であり、じゃこといえば、舞鶴ではカタクチイワシの子供をさしていうのが通常であるが、この天ぷらの材料は、ホタルジャコ(四国地区ではハランボと呼ばれている。)という小魚である。

最近では、嗜好の変化から、煉製品も色の白いものが好まれる風潮になっているが、実際には白身の魚だけでなく赤身といわれる魚もいて、赤身の魚を原料とした煉製品の色は、灰色あるいは黒っぽい色になってしまう傾向が強い。

ただし、こうした色の黒い傾向の商品は概ね、食感が脆かったり、白身のそれに比較するとしなやかさに欠けたりするのだが、栄養面では、高度不飽和脂肪酸(EPADHAなど)といわれるような身体によい成分を豊富に含んでいる。

特にすりみにする際の水晒しを抑えて、魚の味を強く引き出すことを目的としているために、食感はややしなやかさに欠けるが、一部、小骨ごと魚の身がミンチされて、製造に使われているので、魚由来の栄養価も非常に高いし、カルシウムも豊富である。

ホタルジャコの身は赤身と白身の中間色をしており、これを使用した商品は、どちらかというと、揚げたあとの外観も、白身魚のすりみを揚げたようなキツネ色といわれる褐色系ではなく、灰色系の色調をしているのが特徴である。

元々、じゃこ天は四国の八幡浜地区を中心とした名産品として有名になっているが、個人的には舞鶴の嶋岩製のじゃこ天のほうが、食感がソフトで、旨味もあり、塩気も少なく食べやすいと思う。

よく市内の某スーパーで揚げたての温かいじゃこだらけ天を販売しており、うちの妻がたまに買って帰って、すこし表面を焼いて、大根おろしを添えて出してくれるが、本来の魚の風味がして非常にうまいので、私の好きな酒の肴の一メニューに加えることが多い。

 

ちなみに青森産のホタテを天ぷらに練りこんだ嶋岩の『ほたて天』は平成23年度全国水産加工たべもの展で、大阪府知事賞を受賞した。

ホタテのうま味と魚肉のうま味がミックスされていて、美味しく、しかもホタテ貝柱の繊維が口の中でほどよくばらける食感が非常に心地よい。

だが、受賞したとたんに、東北大震災がおこり、三陸の海産原料は壊滅的な打撃を受けたため、ほたて天に使用していた安価で品質のよいホタテ原料が確保できなくなった。

このため、一時は注文に応じられなくなったが、東北の復興とともに、品薄状態も解消されてくるので、再び、たくさんの市民の口に入るようにと願っている。

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商品紹介「おらんだ」藤六謹製  かまぼこ百科 ㉑

 古くから「おらんだ」と呼ばれている商品が舞鶴にある。 現在、舞鶴では蒲鉾屋の老舗のひとつである「藤六(ふじろく)」でしか作られていない。 藤六の店主は高野雄(昭和31年生まれ)である。

注文生産でもあり、すべて手作りなので、一日に生産できる本数も数十本に限定されているが、「おらんだ」は第61回全国かまぼこ品評会(平成21年)に出品したところ、いきなり水産庁長官賞を受賞し、一躍全国の脚光を浴びることとなった。

また、大阪で開催された第60回全国水産加工たべもの展(平成23年)の審査会でも、大阪府知事賞を取得しており、隠れた銘品となっている商品でもある。

これまで、自社の店頭売りしかしていなかったのであるが、この度、JR

西舞鶴駅

に出来た舞鶴観光ステーションや赤レンガパーク内の知恵蔵で販売されるようになっているので、ぜひお買い求めいただきたい。

「おらんだ」の名前の由来を店の主人である髙野雄氏に聞いてみたが、本人も先代からは伝え聞いてないらしく、いろいろ調べてみても、これというはっきりとした由来を記述したものにはめぐりあわない。

舞鶴では、小麦粉やパン粉など衣をつけて油で揚げたものも、魚肉すりみを油であげたものも両方「てんぷら」と呼んでいる。 関西一円でも、おおむね同様の呼び方をしている。

 しかし、魚肉すりみを油で揚げた商品は、たとえば鹿児島に行くと「さつまあげ」だとか「つけあげ」、関東の一部では「揚げかま(ぼこ)」などと呼んで、衣のついたてんぷらと魚肉すりみを揚げたものとを区別している。

「天ぷら」の語源を調べてみるとおもしろい。オランダ語で油で揚げた食べ物を「テンポラ」と言ったことから、これがなまって「テンプラ」になったという説や、ポルトガル語では「テンペラ」と発音したので、それが「テンプラ」になったという説などがある。   

こうしたことから、どこかの地域で、一時的に小麦粉、パン粉をつけて揚げた「テンプラ」と魚肉すりみを揚げた「テンプラ」を区別する際に、語源である言葉をもつ国の名「オランダ」を洋風な(ハイカラな)食品のネーミングとして利用したのではないかというのが私が苦労して調べ上げた末の推理である。 “オランダ”は調べると、舞鶴だけでなく、長崎、神戸など、当時外国との交流の盛んであった地域の煉製品のネーミングにも使われていた形跡があるが、現在は数えるほどしか残っていない。

この舞鶴の“おらんだ”の製法は、魚肉をいったん竹棒にまき、すだれを巻いて蒸しあげ、ちくわのような形のかまぼこをつくる。これをいったん冷やしてからサラダ油でじっくり揚げる。つまり、形を作ってから、蒸して、冷やして、また揚げるというけっこう面倒な一連の作業がすべて手作りで進められているわけである。 

実際に食べてみると、表面はサラダ油で揚げたため、キツネ色に染まって香ばしいが、中心のほうはしっかりかまぼこ特有の弾力とあじわいを有している。 中央の空洞に野菜を入れて輪切りにして出すと、酒の肴に最適なのではないだろうかと思ったりする。

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ブラックバスでかまぼこを世界で初めて作った人  かまぼこ百科⑳

 1992年というから今から20年以上も前、滋賀県琵琶湖のブラックバスなどの外来魚の繁殖により、滋賀県の特産である「ふな寿司」などの名産に使うニゴロブナや、琵琶湖の佃煮の原料であるモロコやゴリなどが消えてしまうのではないかと大問題になったことがあった。

 そこで、琵琶湖からブラックバスを撲滅することに国から補助金がついたので、漁師さんがいっせいにブラックバス捕獲しはじめたことがあった。

しかしながら、漁獲したブラックバスがどんどんと増えてくると、廃棄処分も間に合わず、保管する場所にも困るようになり、大量のブラックバスの活用方法を早急に考えなければならなくなっていた。 当時、ブラックバスの利用法として、フランス料理に使ったり、から揚げにしたりといった料理法が考えられていたが、それだけでは、とても大量のブラックバスを消化することができなかった。

当時、滋賀県の食品技術アドバイザーをしておられた日本食品開発研究所の故太田博士が、直営のすりみ工場を持っている舞鶴かまぼこ組合に目をつけられ、ブラックバスをすりみにしてかまぼこにすることができれば、毎日、数トンもの原料が消化できると考えられ、当時、太田博士と親しくしていた私に研究を依頼してこられたのであった。

 ブラックバスは、スズキの仲間でもあり、肉食の白身魚でもある。 内臓はにおいがきついが、内臓を除去して水洗いをすると、さほど強烈な臭いもせず、淡水魚にしては淡白であるがうまみがあることもわかった。 ただ、実験の結果、弾力面では、高級品への使用が難しいので、当時は試験的にちくわやてんぷらに一部使用してみる実験を続けていた。

 50センチを越える丸々としたブラックバスを当時、食通であった故嶋田正男前理事長が持ち帰られ、家で“あらい”にして食べられたが、美味しかったとの感想を聞いたことがあった。

 ブラックバスは、弾力等では、北海道の陸上すりみ(スケソウダラ)クラスの成績を示していたので、価格さえ折り合えば、長期の使用は可能であると判断した。

 使用実験を数ヶ月おこなって、実際に製品化していたが、実験が終了するころに、国の補助金が打ち切られたため、当時の滋賀県の沖島漁協からは、新鮮なブラックバスが届けられることはなくなった。

 したがって、ブラックバスで煉製品を作るプロジェクトはその時点で終了してしまったわけであるが、実験室レベルでは、何度か板についたかまぼこを試作していたので、おそらく世界ではじめてブラックバスでかまぼこ作りをしたのは私ではないかと自負している。 当時、ブラックバスについては、ルアーフィッシングが最盛期の頃であり、わたしも、まだ幼かった息子とよく琵琶湖へバス釣りに出かけたものである。

 当時はキャッチ&リリースが認められてたので、ちいさなブラックバスを生きたまま持ち帰り、家で飼育していた。1992年あたりから10年にわたるブラックバス飼育記録は、わたしの個人運営サイト「舞鶴生き物研究所」http://maizuru-k.com/ikimono/ に今でも残している。<< ※現在は、ブラックバスを勝手に持ち帰り、飼育することは禁じられている。>>

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舞鶴かまぼこの原料魚(その5)  かまぼこ百科⑲

スケトウダラともスケソウダラとも言うが、その名前のとおりタラ目、タラ科の魚である。 最も大量に、最も安定的に生産と供給ができている冷凍すりみとして、世界中の煉製品の原料として使われている。

日本海、西北太平洋、ベーリング海だけに生息している。 昔は日本の船団がこうした海域に出向き操業をしてスケソウすりみを持ち帰っていたが、200海里専管水域が決まってからは、日本の船が勝手によその国の海域にはいることができなくなったため、工船を売却するなどをして海外で多くを生産するようになった。

つまり1990年代の10年の間にすりみは国産品から輸入品へとすっかり姿を変えてしまったのである。

スケソウダラ冷凍すりみの品質は上級から下級まできめ細かくランク付けされている。

ベーリングでの工船もの(船内がすりみ工場となっていて、漁獲してすぐに船内ですりみにされて、急速凍結されるもの)はその鮮度のよさから陸上すりみ(魚を水揚げして陸上のすりみ工場ですりみにされ急速冷凍されるもの)よりも上級のものができる。

 主に舞鶴かまぼこ(板付きかまぼこ)の原料として買い付けしているすりみは、その中でも最高級(SAランク)のものである。

 スケソウダラのすりみは、味はそれほど強くないが、そのしなやかさと色の白さは、かまぼこのよい食感をつくりだす為にはなくてはならないものとなっている。

 しかも、ベーリング海では米国が徹底した資源管理をしているため、他の海域のような資源の枯渇のリスクも少なく、比較的安定な資源として世界中の煉製品メーカーが使用している。

 スケソウダラでは、唯一の国産すりみとして残った北海道の陸上工場でつくるすりみも一部使用しているが、これも、舞鶴では別注品として品質の高いもののみを購入して、揚げ物(=天ぷら)、ちくわなどに使用している。

 そもそも、魚肉すりみに砂糖、ソルビトールのような糖を配合して冷凍すると、たんぱく質の冷凍変性が抑えられるという発見があったからこそ、このようなすりみ産業が発展したのである。

 現在、すりみ(Surimi)は国際用語になっている。 冷凍すりみは日本人が開発し、世界中にひろめた食糧資源である。 現在では、北洋資源のスケソウダラ、ホッケのほかに南米チリ周辺でホキ、南ダラ、東南アジアでイトヨリダイ、キントキダイ、ハモ、グチなどのすりみ生産がおこなわれ、世界中に流通するようになっている。

 かまぼこ工場についても、すでにリトアニアにはヨーロッパ向けの煉製品をつくる世界最大規模の工場もできているらしく、原料だけでなく製品(かまぼこ)製造も世界中にひろまってきている。 むろん日本以外でつくられているかまぼこ類は、カニ肉に似せた商品、揚げ物などが中心であり、板についたスタイルのかまぼこはほとんど流通していない。

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舞鶴かまぼこの原料魚(その4)  かまぼこ百科⑱

イトヨリダイはスズキ目、イトヨリ科に属し、南日本から東南アジアに分布している。

紅色に輝くからだの側面に八本の銀色の線が入っている美しい魚であるイトヨリダイの名前にはタイがついているが、いっぱんに言う鯛(タイ)ではないため、この魚をつかったからといって、練り製品に“鯛ちくわ”“鯛かまぼこ”などというネーミングをつけることは虚偽表示として認められていない。 そのため、舞鶴の鯛ちくわ(丸海謹製)にはレンコダイを原料として使っている。

 日本海でのイトヨリの漁獲量は少ないが、南シナ海、シャム湾、ベンガル湾などの比較的温帯、熱帯の海ではイトヨリダイが大量に底引き網で漁獲されている。

 そのため、タイ、インドなどの東南アジアでは、重要な冷凍すりみの原料魚となり、製造したすりみは、自国のほか、日本、欧州など世界中に輸出されている。

 舞鶴でも、この魚については、鮮魚から生すりみにすることはほとんど無く、今ではほとんど商社経由で冷凍すりみを東南アジアから輸入している。

 東日本の煉製品メーカーが、スケソウダラなどの北の魚を多用しているのに対して、西日本の煉製品メーカーは、イトヨリなどの東南アジアものを多用する傾向がある。

 舞鶴では、東南アジアのイトヨリダイのすりみは、品質の高いものだけを輸入して使用しているが、北の魚、地元の魚、南の魚をバランスよく使っている珍しい生産地と言ってもよいだろう。

 イトヨリダイは、低温でも高温でもよく座り(本加熱前の温度処理で弾力がますことを坐りという)がかかるが、これも60℃くらいの温度で前処理すると、あとで90℃で蒸しあげても弾力が極端に低下する。 これは先に、グチやエソで述べたことと同様の現象であり、この温度帯がプロテアーゼ(タンパク分解酵素)の働きをよくすることが原因であるといわれている。

 グチと同様、イトヨリダイも重合リン酸塩を加えると塩ずり肉の粘度が低下して、だれやすくなる。

 昔から、舞鶴では、このダレを嫌う為に、冷凍すりみも無塩すりみよりも加塩すりみ(塩がはいっているかわりに重合リン酸塩が入っていないもの)をよく使っていた。

 しかし、最近では、いろんな研究開発が進み、無塩すりみもうまく使えるようになってきている。

 いずれにしても、イトヨリダイは坐りという予備加熱の工程を入れることで、強い弾力をつくり、一般的にスケソウダラよりも味が良いことから、板かまぼこにもすこし配合されていることが多い。

 しかしながら、このイトヨリダイすりみの生産地であったタイ、インドの資源も近年では、近隣諸国の国情不安定さと燃料の高騰、資源の枯渇化により三重苦の状態になってきており、生産地はインドネシア、マレーシアに徐々に移ってきているように思える。

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舞鶴かまぼこの原料魚(その3) かまぼこ百科⑰

トビウオはダツ目トビウオ科の魚で世界の暖海域に約60種類ものトビウオが生息しているそうである。 舞鶴では、「丸とび」、「角とび」と上から見た頭の形の違いで2種類に分けている程度ではないだろうか?

 出雲の野焼きちくわや山陰のアゴちくわの原料として有名である。だが、現在では、アゴ(=トビウオ)を主たる原料として製品作りをしているメーカーは少なくなってきていると聞いている。

 漁期は夏の3ヶ月間ということで短い。 舞鶴でも20年ほど前には大量に水揚げされ、すりみにして毎年夏場には、かまぼこに使っていたことがある。

 また、私がこの業界に足を踏み入れた頃、夏になると、毎年トビウオがかならず一ヶ月程度は続いて獲れたので、舞鶴でも夏の風物詩としてトビウオを原料とした“厚焼きかまぼこ”を作っていた。

 トビウオは、肉質は白いのだが肉の中に血管が多数分布している(空を飛ぶ為、血管が発達しているのかもしれない)ので、かまぼこにするとやや色がくすんで灰色っぽくなる。

 それゆえ、高級品については、あまりたくさんは使うことができず、グチの二、三割程度を置き換えて使う程度であったことを覚えている。

 最近、地元では昔のように夏に大量にトビウオが獲れることもなく、すりみに多用することはなくなっているが、また、海の資源状況が良くなれば、使うこともあるだろう。

 この魚は冷凍耐性が強いので、凍結貯蔵をしておいて1年を通じて使うこともできる。

ただ、舞鶴では生の鮮魚にこだわってきた関係で、冷凍魚をつかってすりみにすることはこれまでやってこなかったので、トビウオが多く獲れてもかまぼこ用に冷凍にして保管するということは現在もしていない。

<<たちうお>>

 タチウオはスズキ目サバ亜目タチウオ科に属する。鋭い歯をもち、長く扁平な体となによりも銀色に輝くその色で非常にポピュラーな魚である。

 大型のものは塩焼きなどにすると美味しいので鮮魚扱いで出荷されてしまうため、われわれ練り業者は少し小さいのを買ってすりみにして使う。

 この魚も表面の銀粉が身の中に混入して、かまぼこの色が灰褐色になりやすいので、白さを大切にする高級かまぼこには使えない。

 舞鶴では、味は非常によい魚なので、色の白さをそれほど要求されない天ぷら、ちくわ等に使っている。

 タチウオを使った有名な商品といえば、紀州の産品で有名となった“ほねく”といわれる天ぷらである。 これはタチウオをすりみにせず、頭と内臓以外を丸掛けした(まるごとすり潰した)天ぷらである。 

 まさに、色とか食感は犠牲にしても、タチウオの旨みだけを活用した商品といえる。

舞鶴では、同様に魚を丸掛けした商品が生産されているが、その代表選手がいわしちくわ(丸海謹製)やジャコだらけ天(嶋岩謹製)などである。 

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舞鶴かまぼこの原料魚(その2)   かまぼこ百科⑯

エソはハダカイワシ目エソ科の魚で、世界中の暖海域に分布している。 巨大なアゴと鋭い歯を持ち、非常に獰猛で、写真のように漁獲された網の中でも捕食をして口に他の魚を丸のみしている姿をよくみかける。

 舞鶴ではエソの種類はあまり気にせず使っていることが多いが、ワニエソ、トカゲエソ、

マエソの3種類が主に漁獲されているらしい。

 エソは肉色が非常に白い。グロテスクな魚であるが、藤六かまぼこの先代の店主がよくすりみ工場から、エソのアラを持ち帰って、よろこんで家で食されていたのを思い出す。

 あまりにその姿がグロテスクで、顔だけを見ているとゴジラか、エイリアンのように見えたりするので、本当に美味しいのか半信半疑であったが、分析してみるとエソは旨みの非常に強い魚であるということがわかった。 やはり先代の舌は確かだったことが証明されたわけである。最近、エソは舞鶴で比較的よく水揚げされるようになっている。

 鮮度のよいエソは、グチと同様に40℃~50℃で高温坐りをかけると弾力の強いかまぼこができる。 ただ、エソでつくる弾力にはグチのようなしなやかさが足りない。

ただ、焼き抜き(蒸さずに最後まで遠火で焼いてつくる)かまぼこについては、独特のよい食感がでるので、山口県の仙崎地区や紀州田辺、豊橋の焼きちくわなどの高級かまぼこを中心とする生産者は、舞鶴におけるグチと同じようにエソを重宝しているようである。

 また、グチとの違いとして大きい特徴は、鮮度低下がかまぼこのアシ(=弾力)形成を致命的にするということである。 グチのように遠い漁場から運んできて、陸上ですりみにするということができず、漁場が遠いと、かまぼこの原料としてはあきらめないといけないくらいである。

 また、冷凍にも弱く、エソは冷凍にすると、急速に冷凍変性がおこってかまぼこ原料にならなくなるのである。

 いずれにしても、この魚をかまぼこにするためには、時間との闘いである。

舞鶴では、弾力面でのエソへの期待はなく、むしろ、味付けに利用しているため、鮮度が特によいものは板かまぼこにも使用するが、天ぷらやちくわの味付けの原料として活用していることのほうが多い。

 エソが冷蔵中や氷蔵中に、かまぼこにならなくなる理由として、体内でトリメチルアミンオキサイドを分解してホルマリンを作る性質があり、これがたんぱく質を急速に変性させることが原因であることがわかっている。

 余談であるが、エソはその身が美味しいのはもちろんだが、その皮も脂肪が多くて旨みに富んでいるため、四国の八幡浜や紀州田辺では、ごぼうに皮を巻きつけてたれをつけてあぶり焼きにして“八幡巻き”という名産品として売られている。

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舞鶴かまぼこの原料魚(その1)  かまぼこ百科⑮

シログチは舞鶴かまぼこの高級品に使われている魚種であり、現在でも、毎日、組合のすりみ工場ですりみにして、舞鶴のかまぼこ屋さんに届けている。

グチ類はスズキ目スズキ亜目ニベ科に属する。ニベ科の魚は頭部に大きな耳石(じせき)を持っているので、よくイシモチとよばれる。

 ニベ科の魚が最も多く漁獲されているのが、黄海、東シナ海の以西底引き網漁業であった。 過去形で書いたのは、実は、近年になって以西底引き網漁業の衰退がみられ、ニベ類を漁獲する船団がほとんど姿を消してきたからである。

 しかしながら、タイをはじめとする東南アジアにも、日本のシログチとよく似た鰓のうしろに黒い斑点のあるタイワンシログチがいる。ただ、何種類かのニベ類と混獲されるために、シログチだけのすりみは生産されておらず、また、日本の以西底引きで漁獲されたものと比較すると全体的に品質が悪い。

 現在では、良質のシログチ原料は、中国の漁船で漁獲して、日本の港に揚げる鮮魚と、中国のすりみ工場でつくったシログチの冷凍すりみに限られている。 お隣の韓国では、日本における“鯛”のように、ハレの席の料理に使われる魚である。

 地元舞鶴では、少しだが獲れても、鮮魚としての価値は少ないが、たまにスーパーなどのお刺身コーナーで「クツ」という名前で販売されており、私はたまに買って食べるが、白身の淡白な味の魚である。

 ただ、地元で獲れるグチ(地元ではクツと呼ばれる)は、残念ながらかまぼこには、さほど向いておらず、以西底引きで獲れるグチよりも少し品質が劣る。 同様に瀬戸内海でとれるグチも使用するが、これも、鮮度がよくても、舞鶴産と同じで、高級かまぼこには余り向いているとはいえない肉質をしている。

 しかしながら、グチ類はしなやかさのある強いアシ(=弾力)のかまぼこをつくるためにはなくてはならない魚である。ちょうど、この食感が舞鶴かまぼこの特徴ということになる。

 舞鶴かまぼこは2段加熱(一度に蒸さず、40℃~50℃の低温で蒸してから、90℃以上の高温で蒸しあげる)の製法をとっているが、まさにこれはシログチの弾力を最もうまく引き出す為の加熱方法であり、原料魚のこだわりとあわせて舞鶴の伝統の製法となっている。

 ただ、温度加減は微妙で、55℃から60℃の温度で蒸してから、高温で蒸しあげると、まったく弾力のないかまぼこになってしまう。 わずか5℃~10℃温度を間違えただけで全く違う品質の商品になってしまうのである。

 この魚は、また、かまぼこのために生まれてきたような魚で、鮮度が少々落ちても、なかなかかまぼこのアシ(=弾力)をつくる能力が落ちないのである。

 現在のようにコールドチェーンが完備していなかった時代に、かなり遠くはなれた工場まで運んでからかまぼこにしても、そこそこのかまぼこができたらしい。

 しかしながら、鮮度が落ちると臭いがするなど、品質には悪影響を及ぼす為、現在では、グチの秘められたその能力の恩恵をうけることはない。

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舞鶴かまぼこをささえる組合組織  かまぼこ百科⑭

 舞鶴かまぼこの特徴として、地元あるいは近海の鮮魚を組合直営工場で生すりみにして、舞鶴のメーカーが全員、それを原料として使ってかまぼこ作りをしているということは何度も述べてきた。 もちろん、近海の鮮魚だけでは量は足らないので、冷凍すりみも購入して混ぜて使っている。 一般に高級品になるほど生すりみの比率が高く、下級品になるほど冷凍すりみの比率が高くなるし、その等級も低くなる。

ただ、舞鶴のかまぼこ業界は、他地区とは異なり、組合を中心とした事業運営をしていることから、使用する原材料は組合の検査室で厳重な検査をして、合格したもののみを購入するという形になっているため、組合員であるかまぼこ屋さんが、勝手に原料を買いつけて、安かろう悪かろうに走ろうとしても走れない仕組みになっている。

他の地域では、各かまぼこ屋さんが独自に、ディーラーさんから原料を仕入れるため、現在のようなデフレ状況になると、末端から値下げ要求があると、値段をあわせるために品質が悪くても、安い粗悪品の原料を使ってでも、コストを下げて対応するというようなケースも多いと聞く。

冷凍すりみといえども、舞鶴で使っている原料の等級は最上級のものであり、他の多くの地区よりも1ランクも2ランクも上である。(同業者に、保管している冷凍庫内を見せると、その等級の高さに驚かれることが多い。)

組合では、原材料の共同購入を進め、現在では、組合員の利用結集率が100%近い状態にある。 これは組合と組合員の信頼関係が究極の状態に達していることを意味するものであり、この信頼関係を損なわないような努力が双方に求められている。

また、冒頭に記した“地元鮮魚から造る生すりみ”を地域ぐるみで共同で生産し利用加工している地域は、全国でみても、長崎と舞鶴くらいになっている。

舞鶴かまぼこ協同組合は協同の購入、保管、配送、販売、検査などの事業を実施し、ほぼ、その事業収益のみで運営されている。 組合員との協労によりここ15年来、一度も赤字に陥ることなく、2年前にはかまぼこ型の屋根を特徴とする新社屋を建てることができた。

特に、他の同業者組合にない舞鶴だけの事業が共同加工事業と共同販売事業と協同検査事業である。 共同加工事業は、すでに説明をした地元鮮魚を生すりみにして組合員に供給する事業である。共同販売事業は、組合員企業による独自の販売のほかに、組合でも組合員が製造した製品を買い上げて、他所の地域に販売するという事業である。 通信販売事業である「ふるさと舞鶴便」も運営し、全国のふるさと出身者を中心に舞鶴の産品を広く販売し、好評をいただいている。

注目の共同検査事業であるが、世界最速を誇る原料検査システムや、できあがった組合員の製品の品質検査なども組合で実施し、各種証明書の発行や仕入れ原材料の決定をするための重要なデータ作成業務などをおこなっており、当事業は全国でも注目されている。    検査というとすぐに専門の職員をという人がいるが、私どもでは、普通の高校を卒業した女性も会社で教育して、事務をしながら細菌検査や各種分析業務ができるように育てあげている。 当組合の職員は、全員が中途採用であり、いずれも他企業で働いてきた経験と専門性を持っているので、配送、営業、事務、総務、検査、オペレーターなどいろんな業務を複数こなすことのできるスーパー(ウー)マンが多い。

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おせちとかまぼこ  かまぼこ百科⑬

 おせち料理は、御節料理と書いて、昔は節句に作られる料理のことを指していた。

最近は、特に正月にむけて年末までに用意されるお祝いの料理である正月料理のことをおせち料理というようになった。 現在のように正月からスーパーや百貨店が開いている時代には、味を濃くして保存をよくしたりする本来のおせち料理の必要もなくなり、なんとなく正月のお膳の彩りのような存在になりつつあるのではないだろうか?

おせちは元々、正式には五段の重箱に詰められた料理だった。 一の重には祝肴として田づくり(orたたきごぼう)、数の子、黒豆の三種が入っていた。 かまぼこは二の重に入っていた。二の重には酢の物や口取りといわれる紅白かまぼこ、伊達巻(orだし巻き)、栗きんとん、昆布巻き、お多福豆などが入っていた。三の重には焼き物が、四の重には煮物が、五の重には何もいれない空の重とすることが決められていたが、四の重では縁起がわるいのでそのようにしたといわれている。

 それぞれに、新年を迎えての縁起のよいものが料理として使われてきたが、かまぼこは、かならず紅白で入れて、めでたい彩りを演出する役目があるようであるが、元々は神饌(神棚に供するお供え物)の赤米、白米を表すものであったという。

 いずれにしても、日本人のめでたさや神聖な色は、ずっと紅白であった。  日本人のDNAにはきっと、この紅白が縁起のよいめでたい色として焼き付けられているような気がする。

 おせちの中には、ほかに紅白なますといって、お祝いの水引をかたどった料理もある。

おせちの中に使われている食材は、めでたさを表現するもの、長寿を祈願するもの、子宝を祈願するもの、出世を祈願するもの、来る年の先見性を祈願するもの、幸福を祈願するものなどにわかれている。

 その中でも、紅白かまぼこは、めでたさと五穀豊穣を願って加えられたものと考えられる。 上流階級の七五三の祝いの膳にも、昔から紅白かまぼこが使われてきたと言い伝えられているので、とにかく、めでたい席には常連の食品であったことは間違いがない。

 今では、かまぼこも、大量生産が可能になり、誰もが食することのできる比較的ポピュラーな加工食品になっているが、昔は比較的裕福で、位の高い人しか味わえないものであったようである。

 しかしながら、江戸時代後期の貞丈雑記には「蒲の字、カマとすみて読むことなり。田舎びとはガマとにごりていふなり。」と書かれており、この頃になると、年に何度かは普通の市民でもなんとか、かまぼこを食べることができるようになったのではないかと推察している。

 最近、かまぼこも、「舞鶴かまぼこ」のように鮮魚から加工した生すりみを原料とした本格的なかまぼこが少なくなり、他の地区で、おせちに使われている多くのかまぼこが、どちらかというと、味よりも彩(いろどり)を大切にする傾向にあるのが残念である。 

 おせちスタイルでかまぼをたべていただくのもよいことだが、お雑煮の横に新鮮な地元のかまぼこを11ミリの厚さに切って、皿に盛り、正月を祝って食べていただくほうが、舞鶴らしいかまぼこの食べ方といえるのかもしれない。

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かまぼこ板の役目  かまぼこ百科⑫

まぼこ百科--かまぼこ板の役目

 

「かまぼこの板はいらない。かまぼこの身だけがあればいい。板はもったいない」といわれる消費者の方がおられるのだが、考えようによっては、それは“かまぼこ”という食品の伝統と知恵を否定する考え方だともいえる。

かまぼこは板があったから、現在のように量産が可能になったし、日持ちをはじめとする品質の向上を可能にしたのだと考えてよいだろう。つまり、板はかまぼこの原料である糊のような粘着性の高い扱いのやっかいな魚の肉糊を運び、包み込む運搬(包装)容器のような働きをしているものと考えていただきたいのである。

 また、日本人は、古くから、木の香りを楽しんだり、草木から天然由来の保存効果などを発見して活用してきた。 特に最近の化学の発展により、場合によっては木材がプラスチックなど別の素材に置き換わったものなども多数あるが、かまぼこ板は現在でも木を原料としているのはご存知のとおりである。

森林は人間が手をかけて育て、管理してやらなければいつかは荒れてしまうといわれる、実際には、かまぼこ板の原料は風で倒れたり、落雷で折れたり、木を管理する工程で発生する間伐材なども利用しているので、資源の循環としてむしろ、好意的に見ていただきたいくらいのものなのである。 しかし、どんな種類の木でもよいというわけではなく、消費者の好みに応じて、杉材やモミ材が一般的に使われている。 板には上述したようにその板臭があまりに激しいようなものは使えないし、更に板そのものを違う素材で置き換えようとしても、現在のところ、コスト面、機能面で木材に替わるものは見つかっていない。

 天然の木には、もともと微細な穴がたくさん開いている。当然ながら、木が生きているときに水や養分を吸い上げた穴が残っているからであり、その空洞が微妙にかまぼこの保存性を支えているのである。

 かまぼこの水分は、製造してから一部離水した水は、板の微細な空洞に吸い込まれる。だが、かまぼこの身が乾燥をはじめると、板の空洞にたまった水分がかまぼこの身に補給される。

 つまり、かまぼこの身とかまぼこ板の間には適当な水分のやりとりがあるのである。

それが証拠にかまぼこを板からはずして置いておくと、すぐに表面から水分が蒸発して乾燥して変色したり、組織の劣化が起こったりする。

 また、かまぼこ板に木材以外のものを探しても、そういう自然の微細構造を人工的に、廉価で作ることが極めて難しく、現在においても木にかわるものはない。

元々、魚肉を練り上げて形をつくる工程では、魚肉は肉糊といわれるほど、粘りと接着性が強くて、何かに身を巻きつけるか、乗せるか、包むか、一気に加熱してしまうしか加工する方法が考えられない。  特に舞鶴かまぼこはソフトであるがコシが強いという特徴を持っているため、特に板の持つ保湿効果は、舞鶴かまぼこの品質(みずみずしさ)を保つ上では必要不可欠のものなのである。かまぼこ板はそのほかにも、かまぼこをスライスする際にまな板が不要で、切るものさえあれば、どこでもカットでき、しかも包丁の刃をいためないという物理的な利点もある。 最近では、全国初となる本物のかまぼこ板を使った「舞鶴かまぼこ手形(特典付きバス乗車チケット)」を発行して、観光にも一役買っている。

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おでんとかまぼこの話   かまぼこ百科⑪

 かまぼこは高タンパク食品であっても、それ以外の油脂分や水溶性蛋白は製造段階で減量する。加工食品はいろんな“健康イメージ”を打ち出して、販売しているが、医食同源ということばの通り、食品は人間に栄養となり、時に薬にもなったりすることがある。

しかしながら、ある特定の食品のある特定の栄養素だけに注目して、偏って食べることは栄養学的にみても好ましいことではなく、おすすめはできない。

通常、ある食品を食べる時はかならず、他の食品からも必要な栄養素を補うことをおすすめしたいが、「おでん」の場合は意識してそうする必要はない。

鍋の中は、あらゆる栄養成分が揃った状態にあるからであり、しかも、日本人のほとんどが好きな料理の一つが「おでん」ではないだろうか?これにはかまぼこ類(天ぷら、ちくわ、すりみ、つみれ、ハンペンなど)がたくさん使われてる。

ごぼう巻きだと食物繊維が、野菜天のにんじんにはビタミンAがいっぱいである。

ビタミンAは油といっしょにとらないと体内に吸収されないのであるが、野菜天は油で揚げたものなので、非常によく吸収される。

また、つみれ、調味すりみ(いわし、さば、など)には血液、脳の働きをよくするEPAやDHAといった高度不飽和脂肪酸が豊富に含まれている。

そのうえ、おでんにはかまぼこ以外にも大根、こんにゃく、卵、厚揚げ、昆布巻きなどが使われ、それらの栄養素も加味されるので、まさにおでんは栄養の宝庫といっていいだろう。

食品というのは、元来、こういう風に組み合わせて食べると身体によい場合が多く、その種類が増えることで不足する栄養素が自然に補われていることが多いのである。

寒い日は家族で鍋を囲んで食べるのが一番であるし、その食卓の光景が一般的になったのは、調べてみると、日本の歴史の中ではそう古いことではないようである。
 
 そもそも昔は、日本も身分制度が厳格であったために、夫と妻、親と子あるいは身分の高いものと低いものが一緒になって食事をすることはなかったようである。
 
 日本の歴史上、最も古く鍋料理が書物に登場したのは1643年(寛永20年)の「料理物語」であるが、その書物によれば、当時は野菜を味噌の上で煮た鍋を炊事場から食卓へ運んで出していたようである。
 
 日本の伝統食品である「かまぼこ」が初めて書物に出現したのが、1115年であるので、鍋料理が登場したのがそれから500年あまり後のことであると考えると鍋の歴史は比較的新しいということになる。
 
 さて、おでんも、所により入っているものが大きく変わる。関東ではおでんの中に、ちくわぶ(ちくわでなくてちくわのような形をした麩)や練り物のすじ(牛すじではない)や白いハンペン、くじらのベーコンまで入っているが普通だが、舞鶴から東京に就職した私の同級生に聞くと、最初は驚いたし、なかなかなじめないでいたと言う。 それぞれの地域でたべるおでんの味にはその土地の文化と歴史が隠されている。 最近、おでんも、地域おこしの目玉になっており、静岡おでん、姫路おでん.....などという独特の地域のブランドおでんが誕生してきている。

ちなみに、10年あまり前に、ミツカンが実施した「家庭における鍋料理のトレンド」調査によると、なべの中で実施率がもっとも高かったのは、やはりおでん(85%)であったそうである。

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食感がつくるかまぼこの美味しさ  かまぼこ百科⑩

 以前、『かまぼこのおいしい厚みを探る』というテーマで、多くの消費者にいろんな厚みに切ったかまぼこを食べてもらって、美味しいと思う厚みに投票していただくという調査をテレビ番組の中で行ったことがある。

 その結果、かまぼこを最もおいしく感じる厚みが11ミリであることがわかり、逆にたった1ミリ厚くなっても、薄くなっても、評価が下がるというような、おもしろい結果が得られた。 味は同じでも、かまぼこの厚みを替えるだけで、人の感じる美味しさが変化するという非常に興味深い事実に気づかされたのである。

  うどんなどに、むこうが透けてみえるような薄切りのかまぼこが入っていたりするが、これでは、かまぼこの味と食感は楽しめないということになる。

 実際に、夏場の暑い時期に、冷蔵庫から出して11ミリをめやすに切りそろえておいた舞鶴かまぼこを冷たいソーメンをすすりながら、食べると本当に美味しい。

 それでいて、夏に不足しがちな良質のたんぱく質を摂取できるので、栄養学的にもすばらしく、食欲のない暑い夏におすすめしたい食べ方のひとつである。

  話しはそれるが、かまぼこのような良質のたんぱく質が多く含まれている食品を酒の肴にするのは、アルコールから肝臓を守るという観点からも理想的といえるだろう。

 アルコールとかまぼこの研究は、実際におこなわれているが、かまぼこの中の特定の成分が働いているというよりも、かまぼこを形成しているたんぱく質そのものが、肝臓のアルコール代謝によい働きをすることが最近の研究で明らかになっている。

さて、業界では、かまぼこの食感は、人間の感覚をつかっての官能検査のほかに、レオメーターという分析装置を使って数値であらわすことにしている。

舞鶴かまぼこの食品研究室では、かまぼこを25ミリの厚さにしたものを、この分析機器にかけ、5ミリ径のパチンコ玉のようなちいさな玉を一定速度で押し込んでゆき、かまぼこが押し切られるまでに玉にかかる応力の変化や、圧縮距離などを計測して、かまぼこの持っている食感の要素となる数値をデーター化していくのであるが、残念ながら、人間の歯やアゴで感じる評価と、全て一致するものではない。

 最近、日本人の多くが、かたいものや弾力の強いものを食べなくなっている傾向にあるため、序々にアゴが退化してきて、歯並びも悪くなったり、脳に刺激を与えなかったりするため、いろんな影響がでてきているというこがわかってきている。

 高齢化社会となり、アルツハイマー病をはじめとする認知症患者も急上昇すると予想されている。 認知症患者と健常者の食生活に関する疫学調査から、アルツハイマー型認知症患者は健常者に比べて魚の摂取が非常に少ないということがわかり、特に、魚の中に含まれているDHAが、認知症防止に重要な役割を果たすことが知られていたが、かまぼこのペプチドを添加した動物実験でも、確かな効果が認められているという。

わたしは、学者でもないので、こうしたことを断言する立場にはないが、最近の文献を読んでいる限りでは、かまぼこの持つ弾力は、あごにある程度の刺激を与え、栄養としての側面だけでなく、食感を通して脳によい影響を及ぼしているようである。

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かまぼこは贅沢なたべもの  かまぼこ百科⑨

 日本の水産加工品の多くは、保存性を追及したものが多い。 塩水に漬けてから干した魚の干物であるとか、高濃度の塩や砂糖に漬け込んで保存性を増したものであるとか、内臓や味噌やこうじにつけて発酵による香りと保存性を期待したものであるとかが殆どである。

 しかしながら、「かまぼこ」だけは、他の加工品のような保存性を大きく期待したものではなく、お魚の身だけを食べたいという超グルメ発想から生み出された唯一の水産加工品であったということである。 このことは、京都大学の名誉教授であった故清水先生にお聞きして、メモしていることであるから事実に間違いがないだろうと思われる。 実際には、戦後、ビルマ(現在のミャンマー)やベトナム奥地で日本の揚げかまぼこ(舞鶴では天ぷらと呼ぶ)に似たような食べ物を食べている民族がいることが知られ、かまぼこのルーツは東南アジアではないかと推測されている。

 それは事実であったとしても、それを現在のように魚肉だけを取り出して、その身を水で洗って色を白くし、魚の臭みや雑味を取り除き、油脂分を取り除いて独特の歯ごたえを出して、しかも、板につけて蒸しあげるというような食品にまで完成させた民族は世界広しといえども日本人しかないのである。

 日本人が生んだ世界でも誇れる伝統食品であるかまぼこは、当時から日本人がいかにすぐれた食品加工の技術力を持っていたかを示している。

 江戸時代に、ペリー提督が黒船にのって日本にやってきて、徳川幕府に開国を迫る中、当時の市民の暮らしぶりや、文化程度を調べて本国に報告しているものの中に「日本は、鎖国により多くのことは西洋に比べて、技術的に遅れているが、生活の中に根ざしている技術水準は非常に高く、応用力に富んでいる。なによりも新しいことを学んで吸収しようという意欲は非常に強い。将来わが国がこの民族を通商で敵にまわせば、脅威となる国の一つになるだろう」というような内容のことが記されているという。

  かまぼこが贅沢品であるというのは、その原料の処理工程を見てもわかる。板についたかまぼこにする魚は、まず、頭と内臓をとり、骨と皮を取り去った身だけをたっぷりとした量の冷たい真水の中で洗うのである。 その際に、血合いであるとか、汚れであるとかを洗い落とし、次に水槽を移して、魚の不要な油脂分を浮かせて取り去る。(油脂分のはいったすりみからは弾力のあるかまぼこができない)。最後に水分を搾り取る。

 元々100あった魚から、こうしてできあがってくる魚の晒し肉は20くらいになる。

つまり元の魚からは5分の1しかとれない晒し肉を原料としてかまぼこが作られているということであるから、いかに贅沢かがわかっていただけると思う。

 かまぼこは、塩溶性たんぱく(塩によく溶けるタンパク質)を主に取り出して、これに2%前後の塩を加えて溶かし出し、分子量の比較的小さなミオシンというたん白を網目状に分散させて、さらにこれに熱を加えることで網目が固定されることで、バネのような構造になる。 

これがかまぼこのアシ(弾力)といっている独特の食感を生んでいるわけである。

 アシは使う原料の魚種によっても、魚のとれる海域、季節によって変動する。このため、地元の鮮魚を使い続けている舞鶴の職人たちの経験と勘と、協同組合の技術支援により、品質が大きく変動しないようコントロールされている。

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自家製調味エキスの開発  かまぼこ百科⑧

舞鶴のかまぼこは近海の鮮魚を使ってかまぼこ作りをしているから、少しコストが高くても安心してお買い求めいただけるとありがたいと記したが、生鮮魚を使うということながら、せっかく原料に高価な魚を買っておきながら、魚肉を採ったあとの頭も内臓も骨皮も全部捨ててしまうということでは実にもったいない。

そこで、平成初期の数年間、大学の先生や、各界の技術者とチームを組んで研究を重ね、かまぼこの原料魚の残さいである頭と骨、皮については、煮出して、それに酵素処理を行い調味エキスとし、濃縮、調整し、これを舞鶴かまぼこの味付けに再利用する技術を確立した。

現在も、舞鶴では、一般の(化学)調味料だけに頼らず、自らの使用している魚の残債物から抽出したエキス(MK-C)を再び、かまぼこの味(香)付けに使っている。商品名のMK-Cは(aizuru amaboko -op)の頭文字をとって命名した。尚、この研究成果について、私は、平成5年に京都府知事より創意工夫発明功労者表彰を受けた。

実はこの実験も、最初は失敗の連続で、大変苦労した思い出がある。

かまぼこ屋さんで昔、魚肉を洗うために使っていたステンのズンドウを集めてきて、ガス屋さんに大型のガスコンロをお借りして、その中に魚のアラ(内臓以外の残さい)を入れて煮込んでいくのだが、量が多いので、なかなか温度があがらず、絶えずかきまぜないと、底のほうで魚のアラが焦げ付いてしまう。 また、沸騰させてから、今度は、急速に出し汁を冷まさないといけないので、ビニールに大量の氷を入れた氷枕のようなものを大量に作ってズンドウに投入してかきまぜながら冷やすのだが、なかなか温度が下がらない。 試験を真夏にしたせいで、温度制御のために、たくさんのズンドウ鍋の前で徹夜の実験作業を何回か繰り返した。

こうした実験で、私は二日ほど家に帰ることができず、実験場となった当時のすりみ工場(第二工場)に泊まったことさえあった。

前の日に煮出ししているときに部屋中に良い匂いがして、工場の従業員さんたちが、私が何をしているのか興味津々で集まってきてくれたたりしたのだが、朝になると、出勤してきた従業員さんが全員、私におはようと言ったっきり、変な顔をして部屋を出て行くのである。 理由は簡単なことで、温度コントロールが不完全だったため、徹夜したのにもかかわらず、朝になると、実験したズンドウ鍋のほとんどが、メタン発酵をおこして悪臭を放っていたのであった。

一晩中、鍋の横で奮闘していた私の身体や衣類には、この悪臭が染み付き、あまりの悪臭に翌朝、家に入れてもらえなかったという大失敗の経験をした思い出がある。

その後、何度も失敗を繰り返す中、いろんな人や会社に助けられて、なんとか調味エキスの生産を実現させることができ、この自家製調味エキス(MK-C)を舞鶴のすべてのかまぼこ屋さんに現在も使っていただいている。

しかし、悲しいことに、私どもが鮮魚残さいからエキスを抽出する工程を当初から外注していた石巻の工場が今年起きた東日本大震災で水没してしまい、その1月後に経営者が心労で急死したことで再起不能となり、生産のめどが立たなくなっている。

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かまぼこは添加物が多いというウソ  かまぼこ百科⑦

着色料についても、かなりの人が、健康への影響ありと考えておられるようだが、紅白の色合いは、日本人のハレの場を表現する唯一の歴史的、文化的な色合いである。

しかも、かまぼこを一生の間食べ続けても、摂取できる着色料の量はとても健康への影響があるような量ではない。 逆にどうしてもそれが嫌な方は、色のついていない白板か、表面を焼いた焼板をお求めになっていただければ、問題は解決する。

 また、厚生省で認可された着色料についてさえも、合成品イコール毒というような極端な考えをする方が多くいらっしゃるが、天然着色料についても、退色が早いだとか、色合いが悪いだとか、合成品の数倍から数十倍というような量を入れないと色調が保てないといったいろんな問題があるので、われわれ生産者からすると、天然物だから安全ということはまず考えないほうがいいと思う。

 また、かまぼこは製造する際に、独特のアシ形成(弾力形成)を阻害する油脂分は取り除かれるので、油脂の酸化を防止するためによく使われている酸化防止剤なども添加する必要はない。 また、一時、海洋汚染で騒がれたPCBのようなものは、ほぼ魚の油脂分に溶け込んでいる場合が多いのであるが、製造段階で油脂分を除去しているかまぼこはそうした海洋汚染の影響を受けにくいということができる。

 このように、かまぼこという加工食品は、消費者がイメージで抱いているほど、添加物が使われているわけではない。

 基本的に魚肉に添加されているものは、塩、砂糖、みりん、てんぷん、卵白、調味料………など、添加物というよりも食品に分類されるものがほとんどである。

 また、塩については、かまぼこには3%以上の塩が入っていて、高血圧の人はあまり食べないようにとまことしやかにアドバイスしている栄養士さんなどがおられるようだが、これはあきらかに誤解が生んだ定説?といえる。

 昔、かまぼこ屋さんが魚肉に塩をいれて、塩にとけるタンパク質を抽出する工程で、元の魚にたいして3%程度の塩を加えて練ったということが、一人歩きして、それが「塩分3%の定説?」になってしまったのかもしれない。

 実際には、ほどよい食感にするためにさらに氷水や、砂糖、みりん、卵白、だし(調味料)などをいれて練っていくので、実際の製品の塩分値は2%前後となってる。

 多くの加工食品の中でも、塩分値が2%程度の食品は、とても高塩食品とは言えない。 まして、食パンのように一度にたくさん食べられるものでもないはずである。(食パンやうどんのような主食でも塩分が12.5%程度は含まれていることをご存知だろうか)

 かまぼこが非常に消化の良い食品であるのに、消化が悪い食品だと思われていたり、まだまだ、誤ったイメージが定着しているようである。こうしたことを、一つ一つちゃんと説明をしてこなかった我が業界の責任は重いといわざるを得ない。

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かまぼこは添加物多いというウソ  かまぼこ百科⑥

かまぼこやちくわ、てんぷらなどの魚肉練製品(ぎょにくねりせいひん)には添加物や保存料が多いという消費者の不安感が強いようである。わたしはこの業界に足を踏み入れてからも、常に練製品には添加物が多く使われているのではないかとの消費者の不安の声を数多く聞かされてきた。

しかし、私には、魚肉練製品が他の加工食品と比較して添加物が多いという話は、全く、理解できないことであり、多くの加工品の中では、むしろ使っている添加物の種類が圧倒的に少ないほうの部類にはいると思っている。(私は大学を出てから、大手食品会社の研究所に入り、いろんな加工食品の研究開発業務に携わってきたのでよくわかる。)

中でも、舞鶴のかまぼこは、まず、近海の鮮魚を毎日、頭切り、内臓除去を実施して魚の肉(身)だけを取り、水でさらして適度な水分まで絞った生のすりみを原料として多く使用しているので、冷凍変性防止剤などの添加物は不必要である。 さらに、舞鶴かまぼこは、生の肉糊(にくのり)をかまぼこ板の上に成型して載せると、すぐにセロファン系のフィルムで表面を完全に覆って(焼き板は例外である)から蒸しあげているため、以後の工程で、落下細菌などの二次汚染を受けにくいことから、かなり日持ちがするようになっている。

 そのため、昔のように保存料を入れなくても、舞鶴かまぼこは賞味期限10日間を保証している。(賞味期限というのは、おいしさを保証する期間の意味であって、日持ちする期間を示しているわけではない。) もちろん、こうした理由から10数年以上も前から舞鶴かまぼこには保存料はいっさい添加されていない。

 組合の研究室で保存試験をしているが、条件さえよければ、実際には10℃以下の冷蔵庫で、2週間以上、生で放置しておいて、そのまま生で食べても大丈夫なときが多い。

 販売店のほうから、さらに日持ちのする真空商品やレトルトなどへの要望も数多くあったが、舞鶴かまぼこは、やはり鮮度のよい日配品、生鮮品として消費していただくのが一番であり、おいしさにこだわれば、これ以上の日持ちは求めないという信念のもとに舞鶴かまぼこを生産してきている。

したがって、舞鶴では、一ヶ月以上も日持ちのするような長期保存用のかまぼこを製造するというような考え方を持っている事業者は今のところ皆無である。

 今よりも日持ちを長く保証するためには、衛生管理のほかに、どうしても保存料に頼らざるを得なかったり、過度の加熱工程を経て、魚肉タンパクそのものを傷めて味を落さなくてはならなくなるからである。

 ソーセージのように高温高圧殺菌をして、タンパク質を傷めても、強烈なスパイスなどを配合しておくことで味をマスキングしたりすることができるが、味覚的にも淡白なかまぼこではそうして誤魔化すことができないのである。

 

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かまぼこがヘルシーな理由  かまぼこ百科⑤

 ダイエットの基本は栄養価が高く、それでいて低エネルギーのものを食べることである。
そういった意味からもおすすめしたいのが「かまぼこ」である。
 油で揚げた分エネルギーが高くなる揚げかまぼこ(舞鶴ではてんぷらという)にしても、カロリーは卵よりも低く、普通サイズの蒸しかまぼこだと、1本で約100キロカロリーしかなく。豚肉の半分以下の低さである。
 ダイエット中はタンパク質が不足しがちであるが、かまぼこは高タンパク質であり、これをおぎなっていけるダイエットの強い味方なのである。

 
 たんぱく質はアミノ酸が鎖状につながってできており、そのつながり方は食品によって違う。アミノ酸は約20種類あり、このうち体内で合成できない9種類を必須アミノ酸というのであるが、このアミノ酸をバランスよく含んでいるものが良質たんぱくといわれる。必須アミノ酸をどのくらい含むかを示したものがアミノ酸スコアで、これは理想的なたんぱく質を100点とした場合、食品がどれだけ理想値に近いかを示す数値である。
かまぼこ製品のたんぱく質の評価は必須アミノ酸をバランス良く含んでいるため、いわば、100点に近く、必須アミノ酸の一部が不足しているご飯や麺類、大豆などもかまぼこ製品と組み合わせることでおのおの不足分を補うことができるのである。

栄養成分としての意味はないが、最近、かまぼこの持つ独特の食感が脳によい影響をあたえるというような研究報告もでてきている。

中国では、この種の食感のことを「脆(ツオエイ)」といって表現し、中国人がもっとも好むところのものであるとのことである。

やわらかいものばかりを、ろくに咀嚼しないで食道に流し込むような食事が増えてきている現代人の脳はある意味、退化しているのだそうである。

かまぼこ製品には、一度かんだくらいではかみきれない強い弾力を持つものがあるため、消化が良くないと考える人がいるが、実はまったく逆なのである。
 かまぼこ製品の弾力は、魚のたんぱく質だけで、その性質をうまく利用してつくられたものであり、魚肉をペースト状にするので、筋肉繊維がすりつぶされて消化されやすくなってるのである。
 したがって、かまぼこは、育ちざかりの子供や、体力の弱った老人にとっても、とても吸収性のよい胃腸にやさしい食品ということになるのである。
 かまぼこは日本人が平安時代以前から1000年もの間、食べ続けてきた誇るべき日本の伝統食品であり、似たような食品は、その発祥の地といわれている東南アジアの国々の一部に残っているが、鮮魚を加工して、現在のような食感と品質の“かまぼこ”にまで発展させた民族は世界広しといえでも日本人しかいないのである。

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かまぼこがヘルシーな理由 かまぼこ百科④

テレビで何かの食品がヘルシーだとコメンテーターが言うと、スーパーマーケットの棚からその商品が人気殺到して消えてしまうというような現象が起こる時代である。

私は食品というものはすべてヘルシーだし、極論すれば、すべて毒だと考えている。 特定のものを過剰に消費すれば、その食品は毒となり、いろんな食品をバランスよく摂取すれば、それらの食品は栄養となり薬となり人を健康にする。

 そういうことで、ここでは、「○○○○をたべたら、癌に効く」というような非科学的なことを並べ立てるつもりはない。 

 ただ、かまぼこというものを考えた場合、あくまで、海に泳いでいる魚が主原料であり、魚のもつ栄養の多くを引き継いでいると言うこともできる。

 しかしながら、かまぼこは、科学的に言うと、塩溶性タンパク抽出加工食品ということができる。 つまり、魚のタンパク質のうちほぼ塩に溶けるタンパク質だけを取り出して、それを成型加工して熱を加えて固まらせたものである。

 まず、かまぼこの栄養成分として最初にあげられる機能ではなんといっても消化のよいタンパク質が豊富なことである。

また、かまぼこの原料処理工程では脂肪分はほとんど除去されるが、わずかに含まれる脂肪についても牛肉,豚肉のそれと異なり、たくさん食べても肥満や動脈硬化を引き起こしたりすることがない。
 また、かまぼこはたくさん食べることで、血中コレステロールが低下し、動脈硬化が予防されるなど、体に素晴らしい働きをもたらすことも最近の研究で少しづつ分かってきたことである。

近年では、古今東西多くの人がダイエットに挑戦してるので、少しだけダイエットとかまぼこを関連づけて話をしていこう。
 
 体重オーバーの人が減量することは成人病を防ぐ上でも必要で、ダイエットそのものは悪いことではない。 問題なのは無茶な痩せ方である。例えば、体重50キロの人が過剰なダイエットによってあっという間に40キロに減量したする。この場合、減った10キロをすべて脂肪と勘違いする人がいるが、実は減った重さの半分は脂肪であっても、あとの半分は骨や筋肉を減らしてしまっていることに多くの人が気づいていないのである。
 
その上、さらに悪いことには、そのあとリバウンドがきて、元の体重に逆戻りしたとき、
 
増えた分の殆どは脂肪で、骨や筋肉は戻らないということである。
 
このようなダイエットを繰り返していれば、脂肪は減るどころか増え、また筋肉は衰え、骨も弱くなっていき、若くても骨粗しょう症になったりする弱い身体になっていくのである。(見た目はスマートになっても、どんどん不健康な体になっていく)

 

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かまぼこの日  かまぼこ百科③

 かまぼこが文献にはじめて登場したのが、西暦1115年であることにちなんで、業界では11月15日を“かまぼこの日”と決めていることを読者の皆様はご存知であろうか?

 かまぼこの日のイベントとして、2年前から『舞鶴かまぼこ板に絵と文字大賞』というイベントを企画し、昨年末は第二回目のイベントを実施している。

 テーマを決めて、かまぼこ板1枚に、絵と文字で自分の世界を表現していただくことにしている。 テーマは毎年、変えてきており、第1回のテーマは「愛」とし、第2回目は「ありがとう」とした。

 ありがたいことに、当初より、舞鶴市を中心とした近隣市町村地域の幼時からお年寄りまで、たくさんの応募をいただいた。

応募要領については、ホームページや新聞報道などに、逐次詳しく掲載させていただいているが、これからも応募点数はどんどん増えていくだろう。

 今年も、1月中旬から2月にかけて、約1ヶ月間にわたり応募していただいたすべての作品をJR

西舞鶴駅

にできた「舞鶴観光ステーション」にて展示させていただき、西舞鶴駅利用者の皆様方にご覧いただき、帰りにはその場でかまぼこをはじめとする舞鶴の土産品や記念品をお買い求めいただいた。

 さて、舞鶴は地図でみると、一見、北側に海をたたえた海のゆたかな地形をしているが、実際に舞鶴に足を運んだ人からは、三方が山に囲まれている地形であるため、舞鶴市内にはいってもなかなか海が見ず、海というイメージがわかないと言われることが多い。

 魚を扱う側で仕事している私としては、地元で獲れる魚は確かに新鮮で美味しいと思っているが、他所から来られたお客様をもてなす際には、多くの安価な店では特別美味しいと思うような魚を出す店が意外に少ないと人から言われることがある。

 当然なのかもしれないが、お客も自分も納得するような魚料理を食べようとすると、そこそこ高級なお店にいかざるを得ないというのが舞鶴の現状ではないだろうか。

  地元のマツバカニやトリガイなどの高級品に至っては、舞鶴の特産品といっても、なかなか一般の市民が口にできるものではない。 そのような中では、舞鶴のかまぼこは、若干、高価であるものも多いようだが、手が届かないほどでもなく、年中、地元の鮮魚や近海の魚を豊富に使用して製品作りをしているために、魚本来の味がし、地元流通を中心としているので不要な添加物も使われておらず、舞鶴市内ではほとんどの小売店(スーパーなど)の食料品売り場、お土産売り場に置いてあるので、買いやすい食品になっているのではないだろうかと贔屓目で見てしまう。

 反面、人様からはよく、もう少し相手に差し上げるのなら、差し上げるようなスタイルや相手の心を打つしかけが商品にもっと必要なのではないかと叱咤されることも多く、まだまだ研究の余地があり、業界人としても、品質にあぐらをかいている場合ではないという警鐘と受け止めている。

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舞鶴かまぼこの発祥と歴史 かまぼこ百科②

関が原の合戦前のこと、忠興出兵の留守をあずかっていた幽斉が舞鶴城でわずか500名程度で、石田三成方の軍勢15000人に対して篭城戦を開始した。

 

普通に考えれば、舞鶴城がいかに難攻不落の城でもあったとしても、多勢に無勢の状態で勝負は時間の問題だったと思われるが、篭城を知った八条宮親王が古今伝授(古今和歌集の極意を伝える)の役目をもっていた幽斉を救ってほしいと後陽成天皇に嘆願したため、天皇から和議救済の使者が何度も送りつけられ、最初は固辞していた幽斉も、やがて天皇の意を汲んで城を明け渡すことを決めたのであった。

 

田辺城篭城戦が起きると、吉原の漁師さんたちは、食糧搬入に手柄をたてたので、あとで、細川幽斉さんから褒美として「浪打際三間 勝手次第たるべし」(波打ち際の数メートルの土地は、仕事に好きなように使ってもよろしい)と漁業独占のお墨付きをいただいたと伝えられている。

 

地元の歴史に詳しい加藤晃先生によると、吉原町はそのころ、国道175号線北側の海際にあったらしく、京極時代になって、若狭街道が掘を渡る橋は「魚棚橋」(後に伊織土橋)と呼ばれていたそうである。

 

今も国道27号線京都銀行の南あたりは魚屋町だが、細川時代から魚屋さんたちは吉原町の続きのそこに住んで生魚を売るだけではなく、干したり、焼いたり加工しての販売に精を出してたようである。

 

そうした産業が盛んになるにつれ魚屋町は、海を埋め立て静渓川まで広げられていったということである。

 

現在のような板についたかまぼこは天正年間(15731592)につくられ始め、江戸時代に入ると蒸して作る様になり、さらに表面を焼いて日持ちをよくするなどの工夫がされるようになったというが、舞鶴でも豊富な日本海の魚を使ってかまぼこが作られ、髙作(代表 高野真一)のように、文政年間(1818年~1830年)に創業したかまぼこ屋さんが、今も残っており、伝統の製法で舞鶴かまぼこを作り続けている。 

 

「舞鶴かまぼこ知ろう館」では、原料のお魚のすりみを煉る石うすや、大正時代に使われていたかまぼこの小道具を展示しているが、それ以前のものについては、主産地であった吉原地区が二度の大火と台風などにより壊滅的な打撃を受けたことにより、残念ながら、ほとんど残っていない。

 

江戸時代から創業しているかまぼこ屋さんには、当時、お城へ収めるかまぼこの添え書き(現在の納品書のようなもの)が残っていたらしいが、これも何回か工場を建て替える際に紛失してしまっている。

 

当時、舞鶴かまぼこの青年会(青葉会)で、当時、城へ献上したかまぼこを再現する取組みをおこなったことがある。昔はこのように鮮やかな色素はなかったと思うが、植物などの汁で色をつけていたと考えられている。 いずれにしても、昔から、かまぼこはおめでたい出来事の時のハレの食べ物で、当時は、かなり高級な食べものであったようである。

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