かまぼこ百科 34 海外かまぼこ事情 韓国編①
平成19年6月4日 関西空港から韓国ソウルにむけて飛び立った。
今回私が会社の有給休暇をとってまで、韓国へ飛ばなくてはならなくなったかについて、少しだけ触れておこう。
韓国の大手企業であるT社では現在の自社の練り製品の付加価値をたかめたいという思いがあり、品質向上と生産技術などにアドバイスしてくれる人間を探していたらしい。日本でその技術者を探していた韓国企業の最高責任者がB常務であり、実は彼が以前、別の会社に勤務していたころ、丸大食品の研究所長であったS氏と親交があったため、丸大食品に技術者派遣の相談にこられたらしい。
しかし、丸大食品は現在、その韓国企業とは取引関係にないため、社内から人を派遣することはできず、S氏にとって、最初にひらめいた人間が、たまたま、かつての中央研究所時代の後輩でもあり、現在もかまぼこ組合という練り業界に在籍している私という人間であったというだけのことである。
ダイレクトに携帯電話にてこの話を受けた時には、「わたしで指導できるようなことなのだろうか?どういった点が技術的に問題になっているのか?」と尋ねたが、はっきりせず
「とにかく一度来て、見てほしい」というレベルの話であった。
雲をつかむような話だったし、最初はお断りしたが、また再度連絡がはいり、「具体的に問題を提起するので、その点を解決するために来てもらえないか」との話になってきた。
とにかく、語学も達者でないし、食品加工技術といっても、もう技術者としての最前線から離れて10年以上も経過している以上、私一人では不可能であると再度断った。
これでもう話は流れたと思っていたら、今度は「食品コンサルの中塚氏とだったら一緒に行ってくれるか?」ということだったので、そこまで必要とされているのならということで、とうとう「中塚氏が同行してくれて、韓国企業との交渉窓口になってくれるなら行ってもいい」と返事をしてしまったのだった。
以後、中塚氏が私のメールを英語に翻訳して韓国企業に送ってくれたり、私のかわりにB常務とも東京で直接に会っていただいて、今回の韓国企業のニーズの把握や、韓国へ行くための段取りをすべてしていただいたのである。 ここまで彼にお世話になって、行かないというのも悪いし、もう後へはひけなくなったのであった。
出発一月前になってはじめて、事前質問の用紙がメールで送られてきた。思った以上に難問も多く、それから数週間は仕事から帰ると家でもレポート作成や資料集めにかなり時間を割いた。
かまぼこ百科35 海外かまぼこ事業 韓国編②
とにかく、無事出発すると、遅い昼食は早速、機内サービスのお弁当となり、壁面のテレビで現在飛行している位置を確認する。
その後瀬戸内海をしばらく横切っていたと思うと途中で北上し、島根あたりの上空から日本海にはいった。もちろん画面モニターは日本海でなく東海(イーストシー)と表記されてる。ふと現地でこうした話題から日本人と韓国人とのちょっとした感情のもつれがないことを祈る気持ちになった。
到着時間が1時間遅れて、現地で空港に迎えにきてくれているスタッフは待ちぼうけをくらってるんじゃないかと心配するが、中塚氏は心配しなくても現地にすでに遅延の情報が行っているだろうというのでいらぬ心配はしないことにした。
韓国のソウルの仁川国際空港は、ちょうど関西空港のようにひとつの島になっているが、空港の広さは関西空港とは比較にならないほど広かった。
ちょうど大阪の伊丹空港に相当するのが韓国の金浦空港であり、関西空港に相当するのがこの仁川空港である。 ようやく韓国に着陸し、空港出口に向かい英語の名前の書いたプラカードを差し出している人が10人ほどいたので、自分たちの名前の書いたカードを持っている人を探す。ずーっと目を人の列にそって流していくと、あったあった。
Mr.Tsuji のプラカードを差し出している人を発見!なんと挨拶したらいいのだろうと思っているうちに、中塚氏が流暢な英語で話しかけていた。 航空便が遅れたのでお詫びと迎えのお礼を言っているのはわかった。
車にのってソウル市内まで役1時間近く高速道路を走る中、名刺交換し、彼が李さんという研究員であることを知る。その上で、自己紹介をし、中塚氏が最初に”(辻さんは英語が喋れません)Mr.Tsuji can not speak English”と私が日本語しか話せないことを伝えた。
そのため、それ以後の会話は李さんと中塚氏だけの会話となり、私は完全に部外者となり、なんだか寂しい感じもした。「俺だって、10年近く学校で英語を習ってきたのに…….」と日本の英語教育の貧弱さをつくづく感じしてしまった。
中塚氏は、大阪大学の工学部を卒業しているが、別に英語に関して私とは違う特別のことをしたわけでもないのに、この差(喋れるのと喋れないの差)はどこからきているのかが気になって、後で聞いたのだが、彼は神戸に生まれ育ったせいで、幼少のころから外国の人との交流が多く、外国語を喋ることに抵抗がなかったし、学生時代に英会話のサークルのようなものにも加入していたことがあると聞き、納得した。
とにかく、社内の会話を隣で聞いていて、李さんの年齢が33歳で、親兄弟と高速道路沿いのマンションに住んでいて、会社までの通勤に毎日2時間かけていることがわかった。したがって、彼は独身であることもわかったのである。
かまぼこ百科36 海外かまぼこ事情 韓国編③
李氏は、日本には3度(福岡、宇部、東京?)来ており、Y社にも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。 私はY社の機械カタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。
車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつてかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。
N氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。 結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。
しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加していったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。
中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私は仁川空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。
工場から、ホテルまで運ばれ、ここにいったん大きな荷物を置いたあと、いよいよT社の工場に向かうことになった。 工場へ行くまでの道は、セントラルパークのような美しい公園の池のまわりを回っている道路(休日には外国から来た人であふれる観光地らしい)を通って、わざわざ遠回りして、工場まで連れていってもらった。
公園近くの道を抜けると、また幹線道路に出て、工場までの道はまた、広々としてきた。ここソウル近郊の道路は非常に広くゆったりと作ってあるので、道路はみな高速道路に思えてしまうくらいであった。 また、行き交う自動車も、日本車こそ少ないものの、その大きさや形態は日本車と似ているため、車が右側を走ることに違和感こそ感じたが、それ以外はまるで日本のハイウエーを走っているのと同じであった。
相変わらず車の中で、案内人の李さんは中塚氏といろいろとコミュニケーションを繰り返して、気心が合ったようで、笑顔で語り合うまでになっていた。
しかも、工場に着いて、目の前にそびえたっている五階建ての巨大なビルが、その工場だとわかったとたん、軽いめまいがした。「こんな大規模な工場にこれから入り込んで、私は彼らにどんな指導ができるのだろうか?」という不安と、おそらく主力になっているかもしれないカニ足ラインについての詳細なノウハウを持ち合わせていないことの不安が重なり、中塚氏の笑顔をよそにどんどんと顔がこわばってくるのを感じた。
かまぼこ百科37 海外かまぼこ事情 韓国編④
ハングル語で工場入り口の看板に大きな字が書かれていて、その内容はわからなかったが、ISO9001やHACCPというような数字が見えたので、この工場はすでにHACCPやISOを取得しているのだということがわかった。中塚氏もこれを見て、さすがに「私たちに指導できるようなことはあるんだろか?」と冗談まぎれに私に言うので、よけいに不安になってきた。 アシアナ航空の飛行機が遅れたことにより工場到着の時間も予定よりも1時間以上遅れたことから、工場に着いたのは夕方の五時近くであった。初日の打ち合わせの時間も相当遅くなりそうに感じた。
手前の大きなビルは原料冷凍庫などの施設であることが後でわかった。その裏には工場棟がコの字型にあり、地上三階建ての工場になっていて、私たちは最初、その工場の三階部分にある研修室のようなところに案内された。(しかし翌日、この工場は地下二階から製造ラインがあることを知り、結局、五階構造であることを知った。)
そこで、英語を中心に明日以降のスケジュールの打ち合わせをした。
しばらくして、工場の製造責任者(日本でいう製造課長)昔氏を紹介された。
工場長は人当たりのいい感じの方だったが、昔氏は気が強そうに感じた。最初から名刺交換したのは工場長だけで、昔氏に名刺を渡しても彼は私に名刺をくれなかった。
とにかく、あちらのスケジュール表にあわせなければならなかったが、中塚氏と相談して、正直に“ミスター辻の会社では、板かまぼこ、あげもの、ちくわ、それに原料の生すりみしか現在は、生産していないので、カニ足ラインに関しては、指導できない。魚肉ソーセージのラインについては、以前に彼は丸大食品で開発部門にいた経験があるので、指導はできるだろう”と英語で説明してもらった。 あちらからの、スケジュールでは、朝から夕方近くまで工場に入って、我々が直接、現地で技術指導をすることになっていたが、1日しか時間がないため、事前に私に投げかけられている技術的な問題の解決方法や、工場を見た後での我々の意見や改良点などのアドバイス、上席をいれた新製品開発の話などの時間を持つと、それでは時間が足らなくなるということで、彼らとの意見調整し、2日目の工場視察指導の時間は、午前中いっぱいで終えることに変更した。
とりあえず、話し合いがまとまったのが午後7時ごろで、夕食をとることになり、いったんホテルまで送っていただき小荷物を置かせてもらってから、夕食をとる店までの送り迎えをすべて社員の方にしてしいただき、まるで殿様になったような気分であった。
かまぼこ百科38 海外かまぼこ事情⑦韓国編(7月掲載)
朝食を食べながら、リラックスして迎えが来る予定の午前8:30にパソコンなどの商売道具を入れたカバンを持ってロビーで待っていると、昨日からずっと一緒にいてくれている李さんが迎えに来てくれた。 中塚氏とは、旧知の友のように親しく挨拶して握手までして、さらにお互いの携帯番号の交換などをしていたが、残念ながら私はほとんど無視されてしまい、また、テンションが下がるのを感じてしまった。 昨夜覚えた韓国語を緊張しながら、少し喋って笑いを誘おうとしたが、逆に“グッドモーニング”と韓国スタッフに英語で答えられてしまい、益々しらけてしまった。<不器用な日本人ここにあり!>
工場に着くと、昨夜、一緒に夕食をとった工場のスタッフが笑顔で迎えてくれ、初めてお会いした人に“アニョハセヨ”と元気よく挨拶すると、“おはようございます”と返事が返ってきてびっくりするとともに、その人がキム氏(海外事業部貿易チーム部長代理)であり、本日の日本語翻訳をしてくれる強い味方であることがわかった。
昨日、一日中、中塚氏以外の人とは日本語を話すことのなかった自分にとって、日本語が自由に話せる環境は天国に近いものだった。とたんに元気がでてきた。<単純な日本人ここにあり!>
昨夜、中塚氏とも話し合って、「もし時間が足らないのなら、3日目の午前中もディスカッションの時間をとってもいい。 日本への帰国の飛行機便をひとつ遅らせてもいい。もし、それを望まれるのならそちらで航空券を手配しなおしてほしい」と申し出たが、数分間、別室で協議してから、部屋に戻ってきたキム氏が「もし、時間が足らなくて、積み残した分があっても、また、レポートで日本にお帰りになってから提出していただいても結構なので、とりあえず、予定どおりでやりましょう」と言った。
まず、3階のベランダから、おおまかな工場の構成を教えてもらう。 日本でこれと同規模の工場を作ろうとすれば、かなり広大な敷地が必要であろうが、彼らの工場は縦に積みあがっているため、敷地としてはさほどでもない。(ソウル近郊もまとまった土地は少ないのか、あるいは地価が高いのかもしれない。)
ビルを改造したり、隣のビルとつなげたりということで以前は工場ではなかったスペースまで現在は工場になっているのだという説明を受けた。
最初は地下2階にあるカニ足ラインを見ることにした。 日本製のボールカッター、サイレントカッターから練成肉がホッパーに移されるのを横目で見ながら、パレットに積まれているすりみを見た。 すりみの種類と等級は、イトヨリやタチウオの下級すりみであるということであった。 澱粉は水で溶いて入れていないように見えたので、“水で溶解させてから投入したほうが粉立ちがなく工場が汚染されなくていいし、澱粉の練りこみも均一になる”と指導したが、二等粉と一等粉があって、一等粉は水で溶いて入れているが、二等粉は作業性が悪くて、そのまま投入しているのだという。(少し意味がわからず、後のディスカッションへ、持ち越すことにする。)
(9月予定)
かまぼこ百科39 海外かまぼこ事情⑧韓国編
カニスティックの加熱ラインはドラムからスチームが出る機械がすでに導入してあり、数ヶ月前に日本の大手、姫路のヤマサを視察したときに見たものと構造は同じであった。
ただ、日本のドラムスティーマーの上のシートと比較してもそれは、若干、褐色かかり、シートには無数の穴が開いていた。 なぜ、こんなに穴だらけなのか?と聞いたが、逆にどうすれば、気泡を防止できるのか?と逆に問われ「バキュームカッターの真空圧が低いのでは?」と答えると「以前に、圧を変えてやってみたが同じことだった」と言うので、「じゃあ、練り肉に問題があるのかもしれない」と答えると「どんな配合にすればいいか」と聞いてくる。「日本では、カニアシの良品を生産しているメーカーはスケソウの上級すりみを使用している。イトヨリと混ぜているメーカーもあるが、シート適正はイトヨリはあまりよくないのではないかと私は思う。スケソウの配合を増やすことで解決できると思う」などとアドバイスと質問の応酬が始まった。彼らも興味をもった部分については、私の意見を聞いて熱心にメモをとったり、大きくうなずいたりしていた。結局、アドバイスなど、それほどできないだろうと思っていたカニ足ラインでさえ、最初からかなり時間をくうことになり、精神的には少し楽になっていった。 また、工場スタッフからの質問で「日本のかまぼこメーカーと比較して機械などの能力はどうか?」とよく聞かれたので、「概ね、機械等は日本のかまぼこメーカーの使用しているものと同等かそれ以上だ」と答えておいた。
彼らのすばらしいところは、真面目に工場衛生を考えて取り組んでいることであった。
ハンドブラシで爪の中を洗浄し、手を洗い、殺菌液に浸したタオルを手で絞り、紫外線殺菌のついたエアーで手を乾かし、クリーンローラーで体の異物を取り除いてから殺菌液のはいった水溜りに足を入れ、エアーシャワー室にはいってから、さらに殺菌槽に足を入れて製造場に入る。 手で触る箇所のドアノブなどは殺菌液を含ませたタオルで巻いてあるなどの、かつて上野製薬あたりが日本のかまぼこメーカーに衛生指導をしていたころのマニュアルがそのまま守られていた。 さらに逆走できないように、中側のドアノブは切り落とされていた。 これをみても、単にあつらえたものを買ったのではなく、自分たちでそれなりに工夫をして真面目に取り組んでいる様子が伺えた。
エアーシャワーなどの装置も、買ってきたものだけではなく、見栄えはよくないが、日本で見てきたものを自分たちでオリジナルで作っていた箇所もあり、ハードは金で買ってくればいいというような思想だと思っていた自分が、少し勘違いしていると反省した次第である。 トイレにはいっても、私は手洗いの水道の蛇口をつかんで思わずひねろうとしたが、一緒にはいっていた中塚氏に「衛生指導に来ていて、そんなことじゃ駄目ですね」とひやかされ、足ふみで水が出てくる仕組みであることに気がつき、少し恥ずかしい思いをした。 もちろん、日本の企業であれば、そういう装置ならもともと蛇口などひねらないようにできている筈であり、これも、通常の水道を改造して使っていた彼らのオリジナリティを理解してないことから起こったハプニングなのであった。
かまぼこ百科40 海外かまぼこ事情⑨韓国編(10月予定)
地下2階から1階へ行き、同じように先ほどの入室作業を繰り返して中に入ると、そこは揚げかまぼこの製造ラインが整然とならんでいた。
揚げかまぼこは、5ラインくらいの揚げライン(ほとんど二槽式であったが、通常の平天スタイルのものは、一槽式で揚げているようだった。)主原料は韓国語で記載されたすりみ(これが質問状の中でどんな原料を意味するのか不明だったのだが、現地でやっと太刀魚のすりみを意味していることが判明)であった。
工場スタッフに聞くと、太刀魚すりみはベトナムからの輸入品であるとのことだった。これは日本では増量剤程度にしか使われていないすりみである。 一度、私の検査室でも調べてみたが、数値として計測できないような格外品であったのを覚えている。 澱粉配合率を聞いてみたが、平然として「20%です」と言っていた。でん粉配合率の高さに驚いてしまった。(舞鶴かまぼこの10倍以上のでんぷんが配合されている)
平天といっても、韓国のそれは、成型機から出てくる厚みが数ミリのシート状のものであり、油槽から揚ってくる姿は、日本で言うところの“きつねうどんにいれるお揚げさん”のように見えるものであった。
あとで試食もしたが、非常に食感が硬い。とても日本人の生食ニーズにはこたえられない品質であった。 まだ、揚げ物はかたくても食べれるが、板かまぼこはまさにゴムを齧っているようなもので、これは日本人の私としては食えたものではなかった。
今回、品質向上のためにもアドバイス、指導をしてくださいということで呼ばれたわけであるが、韓国市場では、やわらかくすると不良品と見られまったく売れないという話を聞くと「じゃあ、あなたがたの目指す高品質とはどんな商品のことをいうのか」と何度も聞いて意見がぶつかった。 これは昼からのディスカッションでも、時間をとった問題であり、いろんな意味で日本と韓国の食文化の違いを認識せざるを得なかった。
問題点は、成型時の重量バラつきをどうしたら解消できるかとか、この商品にはどんな魚種のすりみ、真空商品の殺菌条件、冷却条件、それに商品の冷却後の水分除去などの問題についても詳細にわたっての指導を行った。 現地から、それぞれの工程の機械等をリスト化してモバイルパソコンに入れてきたので、それも役立った。
だが、今日一日だけの現地指導であり、私の言ったことが検証されるのは後日になる。もし、私が指導して帰ったことを実際にやってみて、問題が解消されなければ、もう私の指導者としての意味はなくなるだろう。
結局、技術者としては、本当なら現場にはりついて、もう少しの間、試行錯誤を繰り返してみたいという欲求が高まったのは事実であった。(冷静に考えれば、まじめにそこまで
労力を提供する必要もないのだが、やはり元々技術者であった血が騒ぐのであった。)
かまぼこ百科41 海外かまぼこ事情⑩韓国編(11月予定)
これだけの大きな工場の中に、かまぼこの成型機と蒸しの部屋があったが、失礼な言い方かもしれないが、かまぼこ最大手、紀文の工場の中に家族経営の蒲鉾屋さんが使っている機械があるというようなものであり、板かまぼこの需要は現在の韓国ではほとんどないというのが実態であった。
仮にこのまま、輸出向けに量産したとしても、日本の市場では彼らのかまぼこはほとんど売れないだろう。ただ、うどんなどに薄切りしていれるなどの業務用素材としては、近い将来、日本にも輸出される可能性はないとはいえないだろう。(いくらかは入ってきているのだろう)
種物のはいった揚げ物も生産していたが、種物が細切されていて、日本では、種物はあまり細かくすると何が入っているのかわからないので、もう少し大きい状態で製品化するのだと言うと、逆に「韓国では種物の大きいものは気持ち悪がられる」という工場スタッフもいて、これも食文化の違いを感じた。だが技術の人間があとで、「具材の大きさが大きいと異物混入を防止できにくくなる」と言っていたのを思い出す。はて?具材の入った商品もフィルターをかけてたっけ??思い出せない。
ボイル後の水冷却のあとの水拭きを完全にしないままダンボールケースにつめていたのでダンボールが水で湿ってクレームは来ないか?と聞くと「他のメーカーではかなりクレームになっているが、当社ではクレームは少ない。ただ、数件はある。」との返事だったので、数件、最新の風圧で水滴を吹き飛ばす装置や、殺菌液を含んだ不織布で表面水を除去する方式の機械などの紹介をしておいた。
なつかしいソーセージラインに入ると、このラインが一番厳しく衛生管理されているとの工場スタッフの話に、「レトルト食品なのに、日本とは正反対の対応だな」と日本チームの二人は同時に喋っていた。 なつかしいソーセージのパッカー、結束機械(KAP)が3台稼動していた。 サイレントカッターは下のラインでは見慣れた日本製が多かったが、ここはどうも、丸大時代によく使っていたヨーロッパスタイルのサイレントカッターであるので、聞いてみるとスイス製の機械であるということであった。 畜肉の繊維をカットするのはやはり、日本製よりもスイス製などのほうが優れているということであった。事実、私がかつて勤めていた丸大食品でも、ドイツ製のサイデルマンをかなり使用していたのを思い出す。
レトルト釜は回転式のものが導入されていた。さらに、 パッカーのカットフィルムの部分から細菌汚染が始まるので、これを殺菌するようにと前もって指導していたら、すでにレトルトが終わったソーセージをもう一度、殺菌洗浄している工程が別にあることを知らされて、さすがだなあと感心した。
韓国かまぼこ事情 まとめ42(2014.12月予定)
今回、魚肉加工の先進地の日本から、お隣の韓国に技術指導という名目で足を運んだわけであるが、言葉の障壁もあり、事前に質問状がメールで届いても、相手が何を聞いているのか? あるいは原材料の名称でも、当方では利用していないものもあり、それがなんだかわからないまま、現地に飛んだわけである。
とにかく、工場の規模は相当大きく、工場そのものが、最初から工場として建てられたものではなく、どこかのマンションビルをそのまま買い取って、改造して建てたような工場であった。 マンションとマンションの間をぶち抜いて廊下にしたりと、日本の製造メーカーからは考えられないような工場空間であった。
また、同じ練り製品といっても、機械はほとんど日本製で、日本から機械も生産技術も韓国に輸出されたものではあったが、そこで生産されている製品は、私たち日本が美味しいと思うような食感をもったものではなかった。
品質改良も、私の今回の技術指導に求められていた目的の一つであったが、日本人と韓国人とは食への志向が違い、めざすものが違うために話は平行線に終わってしまった。
製造現場へいくと、日本の中小のかまぼこメーカーとは違い、働いているのが若い人たちばかりであるのに驚く、特に工場長であっても、30歳後半と、私などよりもずっと若かった。
最後の日に、今回派遣を要請してきた会社の常務と顔をあわせ、夕食をとったときに彼が私と同年齢だと知り、韓国では大会社の役員も若いのに驚くと同時に、韓国の年寄りはどこでなにをしているんだろうかと不思議に思ってしまった。
工場の食品衛生については、かなり気を使っており、逆に我々が勉強をさせられる面も多々あったように思う。 これもヨーロッパ向けなどに製品を輸出していることから考えるとじゅうぶんうなずけるのであった。
たしかに製造機械や、設備そのものは、日本の中小企業と比較すると格段上ではあったし、生産管理という意味では、日本と同等、あるいはそれ以上のように感じた。
しかしながら、使っている原料、副原料にかんしても、なぜそれを入れるのかといった基本的な理論であるとか、科学的根拠などについての学習は、まだまだだなと感じたのも事実である。
隣の外国への出張であったが、ほとんど工場とホテルにカンズメ状態で、観光とはほど遠い出張になり、しかも日本に帰ってくるまで一円もお金を使わなかった(使えなかった)ような状態であったので、次回、韓国に行くことがあれば、もう少し、その国の様子を色々と見てまわる時間もとりたいなどと思ってしまった。
幸い、その後、私に技術指導のオファーはなく、韓国へいくこともなかったが、さいごまで譲れなかった“かまぼこの美味しさ”に固執しすぎて、案外、頭の固い日本の先生と嫌われたかもしれない。
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