2017年2月 3日 (金)

かまぼこ百科 最終稿


P012_2


かまぼこのことを、このコラムに連載させていただくお話をいただいて、ほぼ月に一度のペースで原稿を書いてきたが、はや4年の歳月が過ぎようとしている。

 私も、還暦となり、会社でいうところの一応の区切りを迎えたばかりである。 大学を出てから、他の食品会社に在籍した年数や現在の舞鶴かまぼこ協同組合で働いた年数を加えると、ほぼ37年となるが、この間、ずっと食品関係の仕事をしてきたことになる。

 もちろん、共働きの両親のもとで育った私には、食品会社とはほとんど無縁であったと言ってよいが、元来、食べたり呑んだりすることが大好きな人間であり、後から考えると自分にとってはこれこそが天職であったのかもしれないと思えてくる。

 わが業界にも、これから、天変地異ともいえる自分たちの力ではどうしようもないような地球規模の動きが少なからず影響を及ぼしてくるだろうと思われる。 海の環境と資源問題もそうであるし、国家間の食糧の争奪もそうであるし、エネルギー問題や、あってはならない国と国との係争事、経済のうねり、などもそうであろう。

 思えば、私が舞鶴のかまぼこ業界に身を置くようになった頃、組合員の会社は14社もあったし、さらに、現組合の前身であるかまぼこ水産加工業協同組合が設立されたころ(昭和25年)は26社があったといわれている。

 私が定年となった今では、組合員企業の数はわずか5社のみとなっている。

10年先、50年先はどうなっているだろうかと思うと気が遠くなりそうだが、その時代、その時代の大きなうねりの中で、波に乗るか、波間にのみこまれてしまうか………先のことは誰もわからない。

 ただ、かまぼこという食べものは、900年以上も日本人に食べ続けられてきたわけであり、これまでも幾多の時代の波が押し寄せてきた中でも、生き残ってきたことを考えると、私がこの業界にお世話になったわずか数十年のことだけで未来を予測するのは、かまぼこに対して、あまりにも失礼ではないかと思うようになった。

 魚という動物蛋白から、有用な塩に溶ける蛋白質をとりだし、それらを細かい分子構造の組織にして、繊維状になったたんぱく質をからめて熱でかためた加工食品……….これがかまぼこの姿であり、魚のもっているタンパク質や有効成分をそのまま引き継いで、いつでも簡便に食べることができる食品である“かまぼこ”は、これからも日本人の食卓から消えてなくなることはないと信じたい。

 三十余年もの長きにわたり、舞鶴かまぼこに関わって仕事ができたことは、本当に幸せであったと思うし、これからも生ある限り、見守っていきたいと思う。

 舞鶴かまぼこ百科への投稿記事も、まだまだ、中国へ技術指導にいった思い出や、商品開発にかかわった思い出だとか舞鶴かまぼこの営業に全国行脚した思い出など、他にも色々とあり、話題は尽きないが、冒頭で述べたように、私自身の区切りとなる年がやってきたことを契機に、ほぼ4年にわたり、浅学な私の投稿記事を読んでいただいた読者の皆様と、投稿の場を与えてくださった舞鶴市民新聞のスタッフの皆様方に感謝を申し上げつつ、いったん、幕を下ろしたいと思う。 本当に長い間、ありがとうございました。(完)
P02

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴かまぼこのこだわり   かまぼこ百科㊸

 私がこの業界に足を踏み入れた35年ほど前までは、まだ、舞鶴のかまぼこ屋さんは、それぞれ各社で生すりみ加工を行っていた。 北洋のスケソウダラを原料とする冷凍すりみ技術が完成し、全国流通するようになると、ほとんどのかまぼこ屋さんは、冷凍すりみに依存し、面倒な鮮魚生すりみ加工からは足を洗っていった。

 そんな中、鮮魚からつくるかまぼこの伝統の味を忘れてはいけないというかたくなな先人の意思もあり、舞鶴では相変わらず昔ながらの伝統の製法を残し続けていたのである。

 つまり、その頃は、組合はかまぼこ屋さんである組合員さんに、必要なだけ鮮魚を供給して、組合員さんが、それぞれの工場で、魚の頭、内臓、骨、皮を取り除いて、魚の身だけを取り出し、それを水で晒して、脱水して、かまぼこの原料となるすりみを製造し、それをさらに加工してかまぼこにするという一連の工程を受け持っていたわけである。

 私が業界にお世話になることを決めたころ、当時のかまぼこ屋さんに行くと、薄暗いよ

うな部屋で、女工さんが魚の頭を切っている姿を見かけたし、工場の床には、魚の頭や内

臓が落ちていたり、魚の血が流れていたりして、工場そのものが生臭かったのを覚えてい

る。

 組合の職員であった私も、近くに漁師町があるとはいえ、こんな環境の職場には、おそ

らく将来、若い人が働きにきてくれないのではないかという不安を抱いていた。

この生すり身の加工を衛生的で機械化された工場で一括しておこなうことができれば、組合員の工場は衛生的になり、わずらわしい鮮魚の買付、加工に時間をとられなくて済むのではと考えた当時の役職員が、長年の構想をベースに、舞鶴市和田の水産加工センター(協)内に、昭和54年に組合の生スリミ生産直営工業を建設したのであった。

 だが、舞鶴かまぼこ協同組合として、加工センターの排水処理施設などを含めて数億円の投資をして建設した最新の施設“すりみ工場”も、すでに34年目をむかえ、あちこちが老朽化してきているのが現状である。

 舞鶴かまぼこのこだわりは“生すりみ”にありというくらい、この地元の鮮魚からつくる生すりみを舞鶴かまぼこに配合することそのものが舞鶴かまぼこの“こだわり”であり、この伝統の製法をこれからもひき続いて受け継いでいく為には、老朽化してきたすりみ工場を建て替え、いつか“新”すりみ工場の建設していかねばという思いもある。

舞鶴市民にこれだけ愛されて育てられてきた“舞鶴かまぼこ”の伝統の味をそう簡単に消し去るわけにはいかないからである。

伝統を守るということは、現在の社会情勢、自然環境の中では、それなりに厳しい道のりであることも予想される。

 すりみ工場は、現在、自動ラインの処理機械を配し、女子従業員と工場長数名で運営している。 この職場に夢を与えることができるかどうか、一番にリスクと感じていてるのは地元の漁業資源の将来であり、最近の漁獲量の低迷には大いに不安を抱かざるを得ないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かまぼこ900年の歴史   かまぼこ百科㊹

 かまぼこが初めて我が国の文献に登場したのは西暦1115年、関白右大臣の祝宴の膳に挿絵入りで登場していることは、このシリーズの最初の投稿で述べた。

 つまりそれから数えても、今年はちょうど900年目にあたるわけである。 おそらく文献に出る少し前には、世の中に“かまぼこ”が登場していたと思われるので、想像するに1000年近く前に日本人が発明し、日本人が食べ続けてきた加工食品ということができる。

 さて、日本の伝統食品の代表格といえば、かまぼこの他に、味噌、納豆、豆腐などといったものがあるが、味噌そのものの発祥は中国であり、実際いつごろ日本に伝わってきたのかということは、諸説ありはっきりしないそうである。

 しかし、巷の間で、味噌汁が広まったのは西暦1400年ごろであると言われているので、それから数えて615年目ということになる。

 また、現在、我々が普通に食べている糸ひき納豆は、できたのが西暦1500年頃といわれているので、今年で515年ということになるそうである。

 豆腐については、西暦1183年の奈良の春日大社の神主さんの日記にはじめて登場していることから数えても今年が832年目ということになる。

 こうした日本の他の伝統食品と比較しても、かまぼこがいかに古い歴史をもっているかがおわかりいただけると思う。

 現在、かまぼこがはじめて文献に登場してから900年の今年は、かまぼこ組合の全国組織である全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会(略して全蒲と呼んでいる)では、かまぼこ900年のお祝いと感謝の意味を含めた色んな催しを全国で実施するように呼び掛けている。 かまぼことちくわのキャラクターである“かまぴー”と“ちっくる”をあしらったピンバッチなども作り、全国のかまぼこ関係者がそれを身につけて、話題性を広げていこうというようなことも実施している。

 ここ舞鶴でも、今年は、いろんなイベントを実施する中で、“かまぼこ900年”を祝して、長く続いてきたご愛顧に感謝をしていかねばいけないと考えている。

 現在発見されているかまぼこが掲載された最古の文献「類聚雑要抄」には、図の中にさしみのようなものもたくさん見られる事から、当時の海の魚である“タイ”や“ヒラメ”といった魚が海水容器詰めで、川を伝って京の都に運び込まれていたのではないかと想像することができる。

 古くは、かまぼこの原料も、海水魚だけでなく、淡水魚である鯉、ナマズなども使われていたようであるが、淡水魚を使わずに、こうした海水魚が原料として使われるようになると、かまぼこの味や品質も格段の向上が見られたのではないかと想像する。

 京都の祇園祭の時期に欠かせないハモ料理も、海のない京都市内で生きのよい魚を食べるためには、ハモのような生命力の強い魚に依存していた伝統が残されているからかもしれない。 今年、全蒲では、かまぼこの登場した最古の文献の舞台となった

古都、京都において、老舗料理店のご協力を得て、当時のかまぼこ

や料理を再現しようという計画もたてているようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴かまぼこ手作り体験工房    かまぼこ百科㊸

 最近、旅行も発地型から着地型のものに変化し、以前のような団体旅行のいわゆる物見遊山型から、少人数の参加体験型の観光に様変わりしているようである。

 そこで、以前から、舞鶴の名産加工品である“かまぼこ”の製造体験を観光客にしていただくことのできる施設があれば、そうした地域の観光資源の一つになりえるのでないかと思っていた。 過去には、かまぼこ生産者の工場の一角を借りて、小中学生にかまぼこの製造の真似事のような体験をしていただりしてもらったことがあるが、現場の機械器具をお借りしながらの作業なので、何かとスムーズにゆかず、体験のお世話している我々もかまぼこ屋さんの仕事の邪魔をしているようで、なかなかうまくいかなかった経験があった。

 また、そういう体験施設を別に作ることに対しては、費用対効果という意味合いから、なかなか組合として設置に踏み切ることができずにいたわけであるが、舞鶴市のチャレンジファンドという制度があることを知り、この体験施設が“舞鶴の観光にとってぜひとも必要であり、舞鶴のかまぼこ業界にとっても宣伝効果があるので、ぜひ投資をしていただきたい”という熱いプレゼンテーションを行い、幸いにもそれが市に認められ、平成25年の春に組合の倉庫の一部を改造し、体験ができる機械器具を導入し、“舞鶴かまぼこ手作り体験工房”が立ち上げることができたのであった。

 当面は、組合の職員の中で、かまぼこなどの技術を理解し、ある程度、現場経験のある私が先生となって、お越しいただいた観光客(生徒)に、かまぼこのことを楽しく教え、実際に手作りをしていただき、その場で製品にして、できたての味をたのしんでいただく仕組みをつくりあげたが、それがが平成25年5月のことであった。

 それから、一年間は、一日10人までという限られたスペースで体験をしていただいていたが、独自で宣伝もしながら、まいづる広域観光公社への予約客や取引先の研修に利用していただいたりしたため、初年度とはいえ、年間で250名ほどのお客様に手づくり体験をしていただいた。

 しかしながら、定員10名という枠をはずさないことには、ちょっとした団体のお客様を逃がしてしまうことになる為、開業後一年経過したところで、思い切って一度に20名以上収容できるように倉庫を改造してスペースをひろげた。

また、作業台や、体験用具などを人数分揃え、壁一面に「かまぼこができるまで」のLED付きの大型パネル(オリジナル)を作って設置し、製造工程の説明が眼で見ながら理解できるようにした。 また、今後、舞鶴も海外からの観光客も増えることを想定し、体験工房内の表示という表示はすべて英語表記をすることにした。

 その甲斐あって、2年目は4月からの約半年で初年度の来客数を超えてしまった。

 当初は子供が多いのではないかと予想していたが、これまでのところでは、大人の方が圧倒的に多く、しかも、少ないだろうと予想していた20歳代のお客様がけっこう増えている。 彼らの多くはインターネットを通じて工房のことを知り、体験の申し込みをしてくれていることもわかった。 工房に来た観光客に、ここでもいろんな情報を流すことができるし、逆にお客様から、舞鶴の観光について生の声を聴くこともできるので、なかなかやりがいのある仕事に思えてきている今日このごろである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

海外かまぼこ事情 韓国編その1 かまぼこ百科㉞から㊷

 

かまぼこ百科 34 海外かまぼこ事情 韓国編①

 

 

 

 平成19年64日 関西空港から韓国ソウルにむけて飛び立った。

 

今回私が会社の有給休暇をとってまで、韓国へ飛ばなくてはならなくなったかについて、少しだけ触れておこう。

 

 韓国の大手企業であるT社では現在の自社の練り製品の付加価値をたかめたいという思いがあり、品質向上と生産技術などにアドバイスしてくれる人間を探していたらしい。日本でその技術者を探していた韓国企業の最高責任者がB常務であり、実は彼が以前、別の会社に勤務していたころ、丸大食品の研究所長であったS氏と親交があったため、丸大食品に技術者派遣の相談にこられたらしい。

 

 しかし、丸大食品は現在、その韓国企業とは取引関係にないため、社内から人を派遣することはできず、S氏にとって、最初にひらめいた人間が、たまたま、かつての中央研究所時代の後輩でもあり、現在もかまぼこ組合という練り業界に在籍している私という人間であったというだけのことである。

 

 ダイレクトに携帯電話にてこの話を受けた時には、「わたしで指導できるようなことなのだろうか?どういった点が技術的に問題になっているのか?」と尋ねたが、はっきりせず

 

「とにかく一度来て、見てほしい」というレベルの話であった。

 

 雲をつかむような話だったし、最初はお断りしたが、また再度連絡がはいり、「具体的に問題を提起するので、その点を解決するために来てもらえないか」との話になってきた。

 

 とにかく、語学も達者でないし、食品加工技術といっても、もう技術者としての最前線から離れて10年以上も経過している以上、私一人では不可能であると再度断った。

 

 これでもう話は流れたと思っていたら、今度は「食品コンサルの中塚氏とだったら一緒に行ってくれるか?」ということだったので、そこまで必要とされているのならということで、とうとう「中塚氏が同行してくれて、韓国企業との交渉窓口になってくれるなら行ってもいい」と返事をしてしまったのだった。 

 

 以後、中塚氏が私のメールを英語に翻訳して韓国企業に送ってくれたり、私のかわりにB常務とも東京で直接に会っていただいて、今回の韓国企業のニーズの把握や、韓国へ行くための段取りをすべてしていただいたのである。 ここまで彼にお世話になって、行かないというのも悪いし、もう後へはひけなくなったのであった。

 

 出発一月前になってはじめて、事前質問の用紙がメールで送られてきた。思った以上に難問も多く、それから数週間は仕事から帰ると家でもレポート作成や資料集めにかなり時間を割いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科35 海外かまぼこ事業 韓国編②

 

 

 

とにかく、無事出発すると、遅い昼食は早速、機内サービスのお弁当となり、壁面のテレビで現在飛行している位置を確認する。

 

その後瀬戸内海をしばらく横切っていたと思うと途中で北上し、島根あたりの上空から日本海にはいった。もちろん画面モニターは日本海でなく東海(イーストシー)と表記されてる。ふと現地でこうした話題から日本人と韓国人とのちょっとした感情のもつれがないことを祈る気持ちになった。

 

 到着時間が1時間遅れて、現地で空港に迎えにきてくれているスタッフは待ちぼうけをくらってるんじゃないかと心配するが、中塚氏は心配しなくても現地にすでに遅延の情報が行っているだろうというのでいらぬ心配はしないことにした。

 

韓国のソウルの仁川国際空港は、ちょうど関西空港のようにひとつの島になっているが、空港の広さは関西空港とは比較にならないほど広かった。

 

 ちょうど大阪の伊丹空港に相当するのが韓国の金浦空港であり、関西空港に相当するのがこの仁川空港である。 ようやく韓国に着陸し、空港出口に向かい英語の名前の書いたプラカードを差し出している人が10人ほどいたので、自分たちの名前の書いたカードを持っている人を探す。ずーっと目を人の列にそって流していくと、あったあった。

 

 M.Tsuji のプラカードを差し出している人を発見!なんと挨拶したらいいのだろうと思っているうちに、中塚氏が流暢な英語で話しかけていた。 航空便が遅れたのでお詫びと迎えのお礼を言っているのはわかった。

 

 車にのってソウル市内まで役1時間近く高速道路を走る中、名刺交換し、彼が李さんという研究員であることを知る。その上で、自己紹介をし、中塚氏が最初に”(辻さんは英語が喋れません)Mr.Tsuji can not speak English”と私が日本語しか話せないことを伝えた。

 

 そのため、それ以後の会話は李さんと中塚氏だけの会話となり、私は完全に部外者となり、なんだか寂しい感じもした。「俺だって、10年近く学校で英語を習ってきたのに…….」と日本の英語教育の貧弱さをつくづく感じしてしまった。

 

 中塚氏は、大阪大学の工学部を卒業しているが、別に英語に関して私とは違う特別のことをしたわけでもないのに、この差(喋れるのと喋れないの差)はどこからきているのかが気になって、後で聞いたのだが、彼は神戸に生まれ育ったせいで、幼少のころから外国の人との交流が多く、外国語を喋ることに抵抗がなかったし、学生時代に英会話のサークルのようなものにも加入していたことがあると聞き、納得した。

 

とにかく、社内の会話を隣で聞いていて、李さんの年齢が33歳で、親兄弟と高速道路沿いのマンションに住んでいて、会社までの通勤に毎日2時間かけていることがわかった。したがって、彼は独身であることもわかったのである。

 

 

 

 

 

かまぼこ百科36 海外かまぼこ事情 韓国編③ 

 

 

 

李氏は、日本には3度(福岡、宇部、東京?)来ており、Y社にも機械の買い付けに行ったことがあると話をしてくれた。 私はY社の機械カタログも取り寄せて持参していたが、悲しいかなこの時点で、そのカタログもすでに用がなくなったことを認識した。

 

車の中で、これから3日間のスケジュールを書いた紙を渡され、いよいよ緊張感が高まってきた。一番心配なのが、カニ足ラインなど、自分がかつてかかわったことのない製造ラインなどについては細部にわたっては指導ができないだろうという事だった。

 

N氏とはこの点で、打ち合わせ、はっきりと専門外であることを彼らに言ってもらうことにした。 結局、自分が過去にやったことのあるソーセージライン(レトルト)と揚げかまぼこライン、クリーンルームなどの現地指導をすることにした。また、事前にメールで寄せられていた質問事項にも答えなくてはならない。 

 

しかも、質問の中に書いてある言葉の意味がつかめないものがたくさんあって、レポートの3分の1は空白のまま韓国に来てしまったこともあり、不安が倍加していったのである。極度の緊張感と、それにも増して、昨夜から腰痛がひどくなりはじめ、車からの乗り降りの際に腰に激痛が走り、自分でも集中力が欠くのを感じた。

 

 中塚氏がもし、今回一緒に来てくれなかったら、私は仁川空港到着の時点ですでにバッターアウト!のようなものだったろうと想像する。

 

工場から、ホテルまで運ばれ、ここにいったん大きな荷物を置いたあと、いよいよT社の工場に向かうことになった。 工場へ行くまでの道は、セントラルパークのような美しい公園の池のまわりを回っている道路(休日には外国から来た人であふれる観光地らしい)を通って、わざわざ遠回りして、工場まで連れていってもらった。

 

公園近くの道を抜けると、また幹線道路に出て、工場までの道はまた、広々としてきた。ここソウル近郊の道路は非常に広くゆったりと作ってあるので、道路はみな高速道路に思えてしまうくらいであった。 また、行き交う自動車も、日本車こそ少ないものの、その大きさや形態は日本車と似ているため、車が右側を走ることに違和感こそ感じたが、それ以外はまるで日本のハイウエーを走っているのと同じであった。

 

 相変わらず車の中で、案内人の李さんは中塚氏といろいろとコミュニケーションを繰り返して、気心が合ったようで、笑顔で語り合うまでになっていた。

 

 しかも、工場に着いて、目の前にそびえたっている五階建ての巨大なビルが、その工場だとわかったとたん、軽いめまいがした。「こんな大規模な工場にこれから入り込んで、私は彼らにどんな指導ができるのだろうか?」という不安と、おそらく主力になっているかもしれないカニ足ラインについての詳細なノウハウを持ち合わせていないことの不安が重なり、中塚氏の笑顔をよそにどんどんと顔がこわばってくるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科37 海外かまぼこ事情 韓国編④

 

 

 

 ハングル語で工場入り口の看板に大きな字が書かれていて、その内容はわからなかったが、ISO9001HACCPというような数字が見えたので、この工場はすでにHACCPISOを取得しているのだということがわかった。中塚氏もこれを見て、さすがに「私たちに指導できるようなことはあるんだろか?」と冗談まぎれに私に言うので、よけいに不安になってきた。 アシアナ航空の飛行機が遅れたことにより工場到着の時間も予定よりも1時間以上遅れたことから、工場に着いたのは夕方の五時近くであった。初日の打ち合わせの時間も相当遅くなりそうに感じた。

 

 手前の大きなビルは原料冷凍庫などの施設であることが後でわかった。その裏には工場棟がコの字型にあり、地上三階建ての工場になっていて、私たちは最初、その工場の三階部分にある研修室のようなところに案内された。(しかし翌日、この工場は地下二階から製造ラインがあることを知り、結局、五階構造であることを知った。)

 

 そこで、英語を中心に明日以降のスケジュールの打ち合わせをした。

 

しばらくして、工場の製造責任者(日本でいう製造課長)昔氏を紹介された。

 

工場長は人当たりのいい感じの方だったが、昔氏は気が強そうに感じた。最初から名刺交換したのは工場長だけで、昔氏に名刺を渡しても彼は私に名刺をくれなかった。

 

とにかく、あちらのスケジュール表にあわせなければならなかったが、中塚氏と相談して、正直に“ミスター辻の会社では、板かまぼこ、あげもの、ちくわ、それに原料の生すりみしか現在は、生産していないので、カニ足ラインに関しては、指導できない。魚肉ソーセージのラインについては、以前に彼は丸大食品で開発部門にいた経験があるので、指導はできるだろう”と英語で説明してもらった。 あちらからの、スケジュールでは、朝から夕方近くまで工場に入って、我々が直接、現地で技術指導をすることになっていたが、1日しか時間がないため、事前に私に投げかけられている技術的な問題の解決方法や、工場を見た後での我々の意見や改良点などのアドバイス、上席をいれた新製品開発の話などの時間を持つと、それでは時間が足らなくなるということで、彼らとの意見調整し、2日目の工場視察指導の時間は、午前中いっぱいで終えることに変更した。

 

 とりあえず、話し合いがまとまったのが午後7時ごろで、夕食をとることになり、いったんホテルまで送っていただき小荷物を置かせてもらってから、夕食をとる店までの送り迎えをすべて社員の方にしてしいただき、まるで殿様になったような気分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまぼこ百科38 海外かまぼこ事情⑦韓国編(7月掲載)

 

 

 

 朝食を食べながら、リラックスして迎えが来る予定の午前830にパソコンなどの商売道具を入れたカバンを持ってロビーで待っていると、昨日からずっと一緒にいてくれている李さんが迎えに来てくれた。 中塚氏とは、旧知の友のように親しく挨拶して握手までして、さらにお互いの携帯番号の交換などをしていたが、残念ながら私はほとんど無視されてしまい、また、テンションが下がるのを感じてしまった。 昨夜覚えた韓国語を緊張しながら、少し喋って笑いを誘おうとしたが、逆に“グッドモーニング”と韓国スタッフに英語で答えられてしまい、益々しらけてしまった。<不器用な日本人ここにあり!>

 

 工場に着くと、昨夜、一緒に夕食をとった工場のスタッフが笑顔で迎えてくれ、初めてお会いした人に“アニョハセヨ”と元気よく挨拶すると、“おはようございます”と返事が返ってきてびっくりするとともに、その人がキム氏(海外事業部貿易チーム部長代理)であり、本日の日本語翻訳をしてくれる強い味方であることがわかった。

 

 昨日、一日中、中塚氏以外の人とは日本語を話すことのなかった自分にとって、日本語が自由に話せる環境は天国に近いものだった。とたんに元気がでてきた。<単純な日本人ここにあり!>

 

 昨夜、中塚氏とも話し合って、「もし時間が足らないのなら、3日目の午前中もディスカッションの時間をとってもいい。 日本への帰国の飛行機便をひとつ遅らせてもいい。もし、それを望まれるのならそちらで航空券を手配しなおしてほしい」と申し出たが、数分間、別室で協議してから、部屋に戻ってきたキム氏が「もし、時間が足らなくて、積み残した分があっても、また、レポートで日本にお帰りになってから提出していただいても結構なので、とりあえず、予定どおりでやりましょう」と言った。

 

 まず、3階のベランダから、おおまかな工場の構成を教えてもらう。 日本でこれと同規模の工場を作ろうとすれば、かなり広大な敷地が必要であろうが、彼らの工場は縦に積みあがっているため、敷地としてはさほどでもない。(ソウル近郊もまとまった土地は少ないのか、あるいは地価が高いのかもしれない。)

 

 ビルを改造したり、隣のビルとつなげたりということで以前は工場ではなかったスペースまで現在は工場になっているのだという説明を受けた。

 

 最初は地下2階にあるカニ足ラインを見ることにした。 日本製のボールカッター、サイレントカッターから練成肉がホッパーに移されるのを横目で見ながら、パレットに積まれているすりみを見た。 すりみの種類と等級は、イトヨリやタチウオの下級すりみであるということであった。 澱粉は水で溶いて入れていないように見えたので、“水で溶解させてから投入したほうが粉立ちがなく工場が汚染されなくていいし、澱粉の練りこみも均一になる”と指導したが、二等粉と一等粉があって、一等粉は水で溶いて入れているが、二等粉は作業性が悪くて、そのまま投入しているのだという。(少し意味がわからず、後のディスカッションへ、持ち越すことにする。) 

 

(9月予定)

 

かまぼこ百科39 海外かまぼこ事情⑧韓国編

 

 

 

カニスティックの加熱ラインはドラムからスチームが出る機械がすでに導入してあり、数ヶ月前に日本の大手、姫路のヤマサを視察したときに見たものと構造は同じであった。

 

 ただ、日本のドラムスティーマーの上のシートと比較してもそれは、若干、褐色かかり、シートには無数の穴が開いていた。 なぜ、こんなに穴だらけなのか?と聞いたが、逆にどうすれば、気泡を防止できるのか?と逆に問われ「バキュームカッターの真空圧が低いのでは?」と答えると「以前に、圧を変えてやってみたが同じことだった」と言うので、「じゃあ、練り肉に問題があるのかもしれない」と答えると「どんな配合にすればいいか」と聞いてくる。「日本では、カニアシの良品を生産しているメーカーはスケソウの上級すりみを使用している。イトヨリと混ぜているメーカーもあるが、シート適正はイトヨリはあまりよくないのではないかと私は思う。スケソウの配合を増やすことで解決できると思う」などとアドバイスと質問の応酬が始まった。彼らも興味をもった部分については、私の意見を聞いて熱心にメモをとったり、大きくうなずいたりしていた。結局、アドバイスなど、それほどできないだろうと思っていたカニ足ラインでさえ、最初からかなり時間をくうことになり、精神的には少し楽になっていった。 また、工場スタッフからの質問で「日本のかまぼこメーカーと比較して機械などの能力はどうか?」とよく聞かれたので、「概ね、機械等は日本のかまぼこメーカーの使用しているものと同等かそれ以上だ」と答えておいた。

 

 彼らのすばらしいところは、真面目に工場衛生を考えて取り組んでいることであった。

 

ハンドブラシで爪の中を洗浄し、手を洗い、殺菌液に浸したタオルを手で絞り、紫外線殺菌のついたエアーで手を乾かし、クリーンローラーで体の異物を取り除いてから殺菌液のはいった水溜りに足を入れ、エアーシャワー室にはいってから、さらに殺菌槽に足を入れて製造場に入る。 手で触る箇所のドアノブなどは殺菌液を含ませたタオルで巻いてあるなどの、かつて上野製薬あたりが日本のかまぼこメーカーに衛生指導をしていたころのマニュアルがそのまま守られていた。 さらに逆走できないように、中側のドアノブは切り落とされていた。 これをみても、単にあつらえたものを買ったのではなく、自分たちでそれなりに工夫をして真面目に取り組んでいる様子が伺えた。

 

エアーシャワーなどの装置も、買ってきたものだけではなく、見栄えはよくないが、日本で見てきたものを自分たちでオリジナルで作っていた箇所もあり、ハードは金で買ってくればいいというような思想だと思っていた自分が、少し勘違いしていると反省した次第である。 トイレにはいっても、私は手洗いの水道の蛇口をつかんで思わずひねろうとしたが、一緒にはいっていた中塚氏に「衛生指導に来ていて、そんなことじゃ駄目ですね」とひやかされ、足ふみで水が出てくる仕組みであることに気がつき、少し恥ずかしい思いをした。 もちろん、日本の企業であれば、そういう装置ならもともと蛇口などひねらないようにできている筈であり、これも、通常の水道を改造して使っていた彼らのオリジナリティを理解してないことから起こったハプニングなのであった。

 

 

 

かまぼこ百科40 海外かまぼこ事情⑨韓国編(10月予定)

 

 

 

地下2階から1階へ行き、同じように先ほどの入室作業を繰り返して中に入ると、そこは揚げかまぼこの製造ラインが整然とならんでいた。

 

揚げかまぼこは、5ラインくらいの揚げライン(ほとんど二槽式であったが、通常の平天スタイルのものは、一槽式で揚げているようだった。)主原料は韓国語で記載されたすりみ(これが質問状の中でどんな原料を意味するのか不明だったのだが、現地でやっと太刀魚のすりみを意味していることが判明)であった。

 

 工場スタッフに聞くと、太刀魚すりみはベトナムからの輸入品であるとのことだった。これは日本では増量剤程度にしか使われていないすりみである。 一度、私の検査室でも調べてみたが、数値として計測できないような格外品であったのを覚えている。 澱粉配合率を聞いてみたが、平然として「20%です」と言っていた。でん粉配合率の高さに驚いてしまった。(舞鶴かまぼこの10倍以上のでんぷんが配合されている)

 

 平天といっても、韓国のそれは、成型機から出てくる厚みが数ミリのシート状のものであり、油槽から揚ってくる姿は、日本で言うところの“きつねうどんにいれるお揚げさん”のように見えるものであった。

 

 あとで試食もしたが、非常に食感が硬い。とても日本人の生食ニーズにはこたえられない品質であった。 まだ、揚げ物はかたくても食べれるが、板かまぼこはまさにゴムを齧っているようなもので、これは日本人の私としては食えたものではなかった。

 

 今回、品質向上のためにもアドバイス、指導をしてくださいということで呼ばれたわけであるが、韓国市場では、やわらかくすると不良品と見られまったく売れないという話を聞くと「じゃあ、あなたがたの目指す高品質とはどんな商品のことをいうのか」と何度も聞いて意見がぶつかった。 これは昼からのディスカッションでも、時間をとった問題であり、いろんな意味で日本と韓国の食文化の違いを認識せざるを得なかった。

 

 問題点は、成型時の重量バラつきをどうしたら解消できるかとか、この商品にはどんな魚種のすりみ、真空商品の殺菌条件、冷却条件、それに商品の冷却後の水分除去などの問題についても詳細にわたっての指導を行った。 現地から、それぞれの工程の機械等をリスト化してモバイルパソコンに入れてきたので、それも役立った。

 

だが、今日一日だけの現地指導であり、私の言ったことが検証されるのは後日になる。もし、私が指導して帰ったことを実際にやってみて、問題が解消されなければ、もう私の指導者としての意味はなくなるだろう。

 

結局、技術者としては、本当なら現場にはりついて、もう少しの間、試行錯誤を繰り返してみたいという欲求が高まったのは事実であった。(冷静に考えれば、まじめにそこまで

 

労力を提供する必要もないのだが、やはり元々技術者であった血が騒ぐのであった。)

 

 

 

 

 

かまぼこ百科41 海外かまぼこ事情⑩韓国編(11月予定)

 

 

 

 これだけの大きな工場の中に、かまぼこの成型機と蒸しの部屋があったが、失礼な言い方かもしれないが、かまぼこ最大手、紀文の工場の中に家族経営の蒲鉾屋さんが使っている機械があるというようなものであり、板かまぼこの需要は現在の韓国ではほとんどないというのが実態であった。

 

 仮にこのまま、輸出向けに量産したとしても、日本の市場では彼らのかまぼこはほとんど売れないだろう。ただ、うどんなどに薄切りしていれるなどの業務用素材としては、近い将来、日本にも輸出される可能性はないとはいえないだろう。(いくらかは入ってきているのだろう)

 

種物のはいった揚げ物も生産していたが、種物が細切されていて、日本では、種物はあまり細かくすると何が入っているのかわからないので、もう少し大きい状態で製品化するのだと言うと、逆に「韓国では種物の大きいものは気持ち悪がられる」という工場スタッフもいて、これも食文化の違いを感じた。だが技術の人間があとで、「具材の大きさが大きいと異物混入を防止できにくくなる」と言っていたのを思い出す。はて?具材の入った商品もフィルターをかけてたっけ??思い出せない。

 

ボイル後の水冷却のあとの水拭きを完全にしないままダンボールケースにつめていたのでダンボールが水で湿ってクレームは来ないか?と聞くと「他のメーカーではかなりクレームになっているが、当社ではクレームは少ない。ただ、数件はある。」との返事だったので、数件、最新の風圧で水滴を吹き飛ばす装置や、殺菌液を含んだ不織布で表面水を除去する方式の機械などの紹介をしておいた。

 

なつかしいソーセージラインに入ると、このラインが一番厳しく衛生管理されているとの工場スタッフの話に、「レトルト食品なのに、日本とは正反対の対応だな」と日本チームの二人は同時に喋っていた。 なつかしいソーセージのパッカー、結束機械(KAP)が3台稼動していた。 サイレントカッターは下のラインでは見慣れた日本製が多かったが、ここはどうも、丸大時代によく使っていたヨーロッパスタイルのサイレントカッターであるので、聞いてみるとスイス製の機械であるということであった。 畜肉の繊維をカットするのはやはり、日本製よりもスイス製などのほうが優れているということであった。事実、私がかつて勤めていた丸大食品でも、ドイツ製のサイデルマンをかなり使用していたのを思い出す。

 

 レトルト釜は回転式のものが導入されていた。さらに、 パッカーのカットフィルムの部分から細菌汚染が始まるので、これを殺菌するようにと前もって指導していたら、すでにレトルトが終わったソーセージをもう一度、殺菌洗浄している工程が別にあることを知らされて、さすがだなあと感心した。

 

 

 

韓国かまぼこ事情 まとめ422014.12月予定)

 

 

 

今回、魚肉加工の先進地の日本から、お隣の韓国に技術指導という名目で足を運んだわけであるが、言葉の障壁もあり、事前に質問状がメールで届いても、相手が何を聞いているのか? あるいは原材料の名称でも、当方では利用していないものもあり、それがなんだかわからないまま、現地に飛んだわけである。

 

 とにかく、工場の規模は相当大きく、工場そのものが、最初から工場として建てられたものではなく、どこかのマンションビルをそのまま買い取って、改造して建てたような工場であった。 マンションとマンションの間をぶち抜いて廊下にしたりと、日本の製造メーカーからは考えられないような工場空間であった。

 

 また、同じ練り製品といっても、機械はほとんど日本製で、日本から機械も生産技術も韓国に輸出されたものではあったが、そこで生産されている製品は、私たち日本が美味しいと思うような食感をもったものではなかった。

 

 品質改良も、私の今回の技術指導に求められていた目的の一つであったが、日本人と韓国人とは食への志向が違い、めざすものが違うために話は平行線に終わってしまった。

 

 製造現場へいくと、日本の中小のかまぼこメーカーとは違い、働いているのが若い人たちばかりであるのに驚く、特に工場長であっても、30歳後半と、私などよりもずっと若かった。

 

 最後の日に、今回派遣を要請してきた会社の常務と顔をあわせ、夕食をとったときに彼が私と同年齢だと知り、韓国では大会社の役員も若いのに驚くと同時に、韓国の年寄りはどこでなにをしているんだろうかと不思議に思ってしまった。

 

 工場の食品衛生については、かなり気を使っており、逆に我々が勉強をさせられる面も多々あったように思う。 これもヨーロッパ向けなどに製品を輸出していることから考えるとじゅうぶんうなずけるのであった。

 

 たしかに製造機械や、設備そのものは、日本の中小企業と比較すると格段上ではあったし、生産管理という意味では、日本と同等、あるいはそれ以上のように感じた。

 

しかしながら、使っている原料、副原料にかんしても、なぜそれを入れるのかといった基本的な理論であるとか、科学的根拠などについての学習は、まだまだだなと感じたのも事実である。

 

 隣の外国への出張であったが、ほとんど工場とホテルにカンズメ状態で、観光とはほど遠い出張になり、しかも日本に帰ってくるまで一円もお金を使わなかった(使えなかった)ような状態であったので、次回、韓国に行くことがあれば、もう少し、その国の様子を色々と見てまわる時間もとりたいなどと思ってしまった。

 

 幸い、その後、私に技術指導のオファーはなく、韓国へいくこともなかったが、さいごまで譲れなかった“かまぼこの美味しさ”に固執しすぎて、案外、頭の固い日本の先生と嫌われたかもしれない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴かまぼこの全国品評会での成績   かまぼこ百科㉝

 舞鶴かまぼこの品質を客観的に評価することのできる全国品評会にも、弱小零細といわれる5軒で構成される舞鶴かまぼこ協同組合の組合員であるかまぼこ屋さんが、ずいぶん過去には出品していたが、途中からなんだかんだと言って挑戦するのをやめてしまい、数十年審査に出さないようになってしまっていた。

 ところが、当時、京都大学の教授であり、審査委員長になっておられた牧野段先生が、講評で「審査に出てこない地域の商品にもたいへん品質のよいものもある。例えば舞鶴地区のかまぼこもそのひとつ…….」というような舞鶴かまぼこに触れた内容を業界紙に書かれたことから、やっぱり、賞はいただけなくても、審査に出して評価を受けようという機運がひろがり、かまぼこ屋さんの店主世代交代を機会に、全組合員で品評会に商品の出品を再開したのである。

 もちろん、その頃には牧野段先生は京都大学を退官され、審査員のメンバーも少し変わってしまった(現在の審査員 水産大学特任教授 福田 裕氏/東京大学大学院教授 渡部終五氏/東海大学教授 加藤登氏/中央水研主幹研究員 金庭正樹氏/国学院短大客員教授 鈴木たね子氏など、そうそうたるメンバーである。)が東京で、年1回おこなわれる全国蒲鉾品評会において、舞鶴の組合員から出品した商品がすべて入賞するという快挙をなしとげることとなった。 知らぬうちに舞鶴かまぼこの品質レベルは高くなっていたのだという自負と喜びが、組合員だけでなく、組合の職員にまで力を与えてくれる結果となったのである。

 この数年の全国品評会、全国審査会などでいただいた賞を次にご紹介しておきたい。

 

2009  58回全国水産加工たべもの展 

大阪府知事賞     御蒲鉾     嶋七

 大阪府知事賞     鯵竹ちくわ 丸海

   

2009  61回全国蒲鉾品評会 

水産庁長官賞     焼の極     髙作

 水産庁長官賞     おらんだ 藤六

 大日本水産会会長賞 御蒲鉾     嶋七

 全蒲連会長賞     まいづる(紅白 嶋岩

 全蒲連会長賞     竹ちくわ 丸海

 

2010  62回全国蒲鉾品評会 

沖縄県知事賞     舞づる(紅白) 嶋七

 沖縄県知事賞     練の極     髙作

 沖縄県知事賞     藤の花     藤六

 全蒲連会長賞     上大(塗) 嶋岩

 全蒲連会長賞    竹ちくわ 丸海

 

2011  60回全国水産加工たべもの展 

水産庁長官賞     焼の極     髙作

 大阪府知事賞     おらんだ 藤六

 大阪府知事賞     ほたて天 嶋岩

 

2011  63回全国蒲鉾品評会 

水産庁長官賞     海峰(白) 嶋七

 大日本水産会長賞 練の匠     嶋岩

         かまぼこ 髙作

         藤の花(白) 藤六

 全蒲連会長賞 ちびくろ(9本入り)  丸海

 

2012年冬   第64回全国蒲鉾品評会

            東京都知事賞      練の極     高作

            大日本水産会長賞    御蒲鉾(焼)  嶋七

                        藤の花(塗)  藤六

                        上大(塗)   嶋岩

 

2013年冬   第65回全国蒲鉾品評会

            水産庁長官賞      おらんだ    藤六

            神奈川県知事賞     練の極     高作 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴おでんにご支援を!   かまぼこ百科㉜

 舞鶴市の新しいご当地グルメとして、昨年の夏にデビューした「舞鶴おでん」であるが、舞鶴の練り製品業者、農産物生産者、こんにゃく製造業者、水産加工業者、行政、印刷業者など、様々な分野の市民メンバーから構成される「舞鶴おでん会」がその啓発母体となって活動をおこなっている。

 会長は、レストランととやなどを経営している齋藤友幸氏(現;舞鶴観光協会会長)である。不肖、わたくしも副会長を務めさせていただいている。

舞鶴おでんは、舞鶴伝統の「じゃこ(煮干し)だし」、特産の平天、棒天、いわしちくわ、豆腐団子、カニ物語など地魚をつかった「水産練り製品」、最近復活した煮物に最適な京野菜「佐波賀だいこん」、地元のこんにゃく屋さんが開発した「わかめ入りそーめんこんにゃく」、地元産の高品質の鶏卵などを具材として利用している。

 舞鶴地域はもともと、煮物料理に適した食材の宝庫であるため、「舞鶴おでん会」がこれを生かすメニューを開発して、全国に広めて、地域活性化につなげようという思いから、こういう活動をはじめたのである。

 また、舞鶴おでんのロゴマークも全国公募をして、親しみやすいデザインを選んだ。

現在、市内の料理店で舞鶴おでんの掟(おきて)にしたがったおでんを出されるお店には、舞鶴おでんの認定店として有料で幟(のぼり)と認定証を配布させていただいている。

 また、おでんは、秋から冬に食べるものという固定観念を打ち破るために、夏に冷やして食べる“冷やしおでん”の開発も行い、今年9月1日に赤レンガパークで実施された“総おどり”会場にて、テスト的に試売して、好評を得た。 

 舞鶴おでん会は、ちょうど先月、姫路で開催された「全国おでんサミット」にも初出場し、全国の有名な7おでん会に挑戦状をたたきつけてきた。

 まだ、全国的に名前を知られていないはずの「舞鶴おでん」ではあったが、1200食近くを完売して、十分に手応えを感じて帰ってきたのである。 各地域、出汁にこだわり、中の具材の地方色にこだわる中、舞鶴おでんも地方色を出して、おおいに健闘した。

 舞鶴でも、全国大会を誘致し、こうした数万人規模の集客イベントを開催することができれば、不定期ではあるが、市の流動人口を増やすことができ、地元商店街をはじめとする地域活性化につながるはずである。

 また、一方で、こうした舞鶴おでんをなかだちとした地域おこしのような運動が認められ、最近、舞鶴おでん会が、NHKの密着取材をうけることになり、12月19日午後9時より1時間番組で全国放送されることとなった。NHK BS“めざせグルメスター”)

 いずれにしても、地元の素材のみでつくる舞鶴おでんは、味の面、品質の面で他所のおでんにひけはとらない。 今後も、舞鶴市民の温かい応援をお願いしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かまぼことお酒   かまぼこ百科㉛

わたしは大学でかまぼこの分野でドクターを取得したわけでもないのに、最近、舞鶴市民の多くの方から「かまぼこ博士」という称号をいただいて、親しまれるようになってきた事は非常に光栄なことであるが、同業者あるいは、私のことをよく知っている友人、知人、先輩、後輩方に私のことについて聞いていただくと、かなり高い確率で、かまぼこ以外に“酒”がキーワードとして出てくるのではないかと思っている。

恥ずかしい話ではあるが、それほど、私は酒に関するエピソードに事欠かない経歴(=武勇伝あるいは懺悔記録)をもっている。

酒もいろいろあり、ビール、焼酎、泡盛、ワイン、日本酒、紹興酒、ウイスキー、バーボン、ウオッカ、テキーラなどなんでも呑むが、やはり食べるものに合わせて酒を選んでいることが多い。

 中華料理を食べるときは、紹興酒が多いし、肉料理を食べるときはワインが多い、しかし魚の刺身を食べるときだけはどうしても日本酒でないと、美味しく食べた気がしない。

 したがって、魚を原料にしたかまぼこをそのまま生で食べるときも日本酒が一番あうはずだと思い込んでいる。

 日本酒は、酒としては味はそれほど強烈ではないが、一般に蒸留酒とくらべると、ほんのりとした甘味とうまみを持っているので和の料理の味を壊すことがない。

 刺身を食べる際に、しょうゆをつけて口の中にいれ、食べながら日本酒を呑めば、しょうゆの辛さがまろやかになり、酒が魚の味をさらに引き立ててくれる気がする。 

一時、焼酎ブームで、焼酎を片手に刺身を食べたが、しょう油の辛さが酒の辛さで倍加されてしまい、せっかくの魚の味が損なわれてしまい、がっかりしたことがある。

 中華料理などは、紹興酒を呑みながら食べると、食欲も増すし、中華の油がさほどしつこく感じなくなるし、第一に二日酔いになりにくい。 一度、中国へ行き、現地で中国人の方と紹興酒を呑んで、中国人を降参させるほど呑んだこともあるが、翌日は本当に何もなかったように元気で商談をすすめることができた。

また、かまぼこをカルパッチョ風に仕上げて、オリーブオイルなどをかけると今度はワインがあうようになってくる。 おでんにしたりして温かい料理にすると、今度はビールがあうようになってくる。 オードブル形式にしてチーズを挟んだりすると、こんどはウイスキーや焼酎などの蒸留酒があうようになってくるような気がする。私は料理評論家でも何でもないのだが、このようにかまぼこは料理方法ひとつで、いろんな酒と相性がよくなる不思議な伝統的加工食品といえるだろう。

 とにかく、料理が酒を選び、酒が料理を選ぶ……それほど、酒と料理は人を幸せにしてくれるものである。

 話がかまぼこから逸れてしまったが、かまぼこも過去には「板わさ」という定番の居酒屋メニューがあったのだが、現在はだんだんと姿を消しつつあり、非常に淋しい。

 「板わさ」には日本酒と相場が決まっていたが、最近、居酒屋でも日本酒を呑む日本人の数が減ってきているように思う。どうも、かまぼこと日本酒はお互いに頑張らないといけないようだ。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かまぼこを冷凍してはいけない理由   かまぼこ百科㉚

 基本的に、家庭の冷蔵庫についている冷凍保管庫で保管することは避けてほしいと思う。 家庭用のものでは凍結速度が遅くて、組織内部で大きな氷の結晶ができて、その氷の結晶が大きくなって組織を破壊し、解凍したときに水を組織内に吸収しきれなくなり、大量のドリップを吐き出し、かまぼこがスポンジ化するからである。 

かまぼこの凍結点は水分や、砂糖含量によって違うが、だいたいマイナス4℃からマイナス7℃くらいである。

マイナス10℃になれば、かまぼこの水のほとんどが氷に変わる。

マイナス10℃までの冷凍速度が急速であればあるほど、かまぼこ内にできる氷の結晶が小さい状態で凍り、解凍したときのドリップを少なくすることができる。

しかし、かまぼこのように肉厚の製品を超急速凍結すると、かまぼこの表面がひび割れし、場合によってはかまぼこ全体が割れてしまいう。

 水が氷に変わる際にはその体積が約8.7%膨張するので、かまぼこを凍結するとその体積が増加する。 超急速凍結するとかまぼこ表面が瞬間的に凍って、氷の非常に固い殻ができてしまう。 表面の氷の殻が内部が凍って体積膨張するのを抑えるので、かまぼこ内部に大きな圧力が発生してしまうことになる。

表面の氷の殻がその圧力に耐えられないで壊れると、かまぼこ表面にひびが入るのである。

ひび割れ防止には中心温度がマイナス10℃になったら凍結を止め、マイナス15℃付近の低温に置いて内部温度を平均化する。そうすると、かまぼこ表面の冷気が内部に伝わって表面と内部の温度差が小さくなるので内圧が大きくならず、ひび割れしないのである。

いったん冷凍したかまぼこは、一般の食品と同様に、貯蔵温度が低いほど品質の低下は遅いのである。したがって、保管温度は低ければ低いほどよい。かまぼこの足の弱いものほど、貯蔵期間のドリップの比率は高く、弾力が低下してスポンジ化が進みやすくなる。 また、みりんをたくさん入れたかまぼこは冷凍期間が長いと保存中に、みりんの中のブドウ糖とアミノ酸やタンパク質が低温でも反応して、化学反応をおこして、全体が褐色化していく場合もある)

かまぼこを急速冷凍するためには、その設備に莫大な資金がかかることもあり、舞鶴では生産者がかまぼこを冷凍することはないが、小田原地区のように、年末の首都圏の膨大な需要にこたえるために、かまぼこを冷凍貯蔵して、需要が多いときに解凍して出荷する技術とノウハウを持っている地域もある。

冷凍するのにも、そこに難しいノウハウが必要になってくる。 まして家庭用の冷凍庫のような緩慢な冷凍条件では、かまぼこの品質を維持することは不可能である。

ちくわ、てんぷらなどの比較的厚みのない練り製品については、冷凍による品質劣化はかまぼこと比べると少ないのだが、劣化が無いとは言えないので、美味しく召し上がっていただくためには冷凍はしないほうがよいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

舞鶴かまぼこの価格は高いの?  かまぼこ百科㉙

 最近、舞鶴のかまぼこも美味しいが高くなったと人によく言われるようになった。

しかし、ご年配の方ならよくご存知であると思うが、昔はかまぼこを一般の人が食べることができたのは、祭り、祝い事など、特別な日だけであったというほど、元々かまぼこは高級品だったようである。

 かまぼこの製法を簡単に言うと、鮮魚から頭、内臓、骨、皮を除去して生肉だけをとりだして、洗って油脂分、血合いなどを取り除き、脱水してから少量の塩で魚のタンパク質を溶かして、成分調整したあと、成型したものを熱で固めるというものである。

 100㌔の鮮魚から得られるかまぼこの原料すりみは20㌔程度でしかなく、このように貴重なお魚のたん白質を贅沢にとり出して、つくりあげるグルメな加工食品というのは他に例がない。

 昔は、全国の港でとれる鮮魚を使ってかまぼこ作りをしていたので、その地域で使う魚の特徴がそれぞれに出て、地方へ行くといろんな蒲鉾の味や食感を楽しむことが出来た。

 しかしながら、近海漁業の衰退、魚資源の高騰から、だんだんと安定して地魚だけでかまぼこを作ることが難しい時代となってきた。

 その中で、潤沢な北洋資源であるスケトウダラが着目され、すりみ加工して冷凍して、全国流通させるという冷凍すりみの技術が確立されていった。 糖を加えることで、魚肉タンパクの冷凍変性をある程度は防止できることがわかり、急速冷凍をすることで、氷結晶の増大を抑え、尚一層の信頼性を高めていったのである。  これにより冷凍すりみ原料が全国に流通するようになり、冷凍庫さえあれば、原料は1年~2年は、ストックでき、いつでも、必要なだけ解凍して使うことができるようになった。

 また、煉製品の製造機械の発展もめざましく、石うすからサイレントカッター、手付けから自動成型機、観音扉の蒸し庫から、自動蒸しラインへ、扇風機から自動冷却装置へ……..と、ある意味、大量生産が可能になってコストが下がってきたのである。

 さらに、近年では、東南アジアでも、すりみ生産がおこなわれるようになると、スケソウダラ以外のいろんな魚種の冷凍すりみが世界中を冷凍で流通するようになっている。

 ただ、すりみを生産するためには、前記の理由から、大量の鮮魚が必要になり、中国など東南アジアの諸国では乱獲が原因で、資源が枯渇しはじめている。

 また、広く国民にかまぼこを食べていただくという事、かまぼこが消費者により身近になった点はよかったのだが、反面、地方の味が失われ、全国画一化が進むとともに、元々、味の弱いスケソウダラを使うことによる欠点を補うための調味料による不自然な味つけが流行りだし、本来の魚の風味に欠ける商品が氾濫するようになってしまった。

 舞鶴では、「美味しいものは残していかなければいけない。冷凍原料に頼りきってはいけない。地魚を生(なま)で活用する技術は残すべきだ。」という先人の教えに導かれ、今でも伝統の製法を守ってかまぼこ作りをしている。

 つまり、地魚や近海の鮮魚を一匹、一匹丹念に頭切りし、内蔵を取り身を採り…….という作業工程を組合事業として共同化して残している。 もちろん、大量に漁獲して送られてくる冷凍すりみと地元の鮮魚からつくられる生すりみとは、元の魚の価格も違うし、製造コストもかなりの差がでてしまうので、原料コストでかなりのハンディを背負っているのが『舞鶴かまぼこ』である。

 しかし、安心、安全で美味しいとお客様に喜んでいただける間は、現在の製法をやめるつもりはない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

グルメ・クッキング